三年生になって及川徹と初めて同じクラスになった。
席が隣だったり、学校祭での係りが同じなど多少なりは接点があったものの、常に女子に囲まれながらまんざらでもない表情を浮かべてはべらせていた及川に好意を寄せるつもりはなかった。
しかし卒業を控えていた冬に、その関係は一変する事になる。


「卒業まであと少しだから今更っちゃ今更なんだけど、このまま卒業したら絶対後悔すると思うんだよね俺は。それくらい、いや、それ以上に…自分が思ってるよりずっと名前のことがたまらなく好きなんだと思う」


ずるい。そんな整った顔で、そんな真っ直ぐな瞳で告白されてみろ。落ちないわけがない。
ある日の放課後、初めてのデートはどこがいいかな?なんて聞くと「名前の家がいい」と及川は言う。もちろんそういう事だ。
親が帰って来る前に恋人同士が行うであろう全てをあっという間に終えてしまった初デートから、清廉潔白な健全なデートというものをする事はなかった。それが昼だろうが夜だろうが関係無しに部屋にこもり、ベッドから降りることはない。
恍惚な表情を浮かべ不規則に揺れている及川を目の前にすると、きっと高校生の恋愛ごっこなんて大体がこんな感じなのだろう。と思いながらそれ以上深く考える事を止めた。

及川と付き合った期間は三カ月というとても短く限られた時間の中で、どっちが、どうして、何で別れたとかも曖昧だった。ただ、及川と私は卒業すれば別の進路。遅かれ早かれ別の道を歩むことになっていたので結局は時間の問題だったのかもしれない。

卒業式に見た彼はブレザーの第二ボタンどころか全てのボタンを剥ぎ取られていて、その姿に少し胸が痛む。まだ及川の彼女でいれたなら…だなんて思っていると及川と目が合う。
及川は得意の胡散臭い笑顔をこちらに向けていた。


***


学生の夏休みは長い。
実家に帰って来たが、溶けてしまいそうな暑さで外なんて出れたもんじゃない。エアコンを利かせた部屋でごろんと横になり、仕事から帰って来た母親に小言を言われる毎日。
そんな時、及川から約半年ぶりに連絡がきた。可愛らしいスタンプを添えて、


『地元に帰ってきてる?会いたいな』


メッセージアプリの画面から伝わってくる相変わらずの軽さに呆れつつも、迷う事なく「いいよ」と返信してしまうどころか邪な期待を膨らませてしまう自分の方が呆れるし、どうかしてる。


「ちょっと見ない間に可愛くなったんじゃない、男でも出来た?」
「いたら会いに来ないでしょ」
「彼女がいたとしてもこうやって名前に会いに来てたけどね」
「……いるの?」
「どっちだと思う?」


大きな掌が私の頬をそっと包みこむ。どっちか、なんて。どっちでもいい。「可愛くなった」という誉め言葉は久しぶりに会う女性への決まり文句だということも、なんでもいい。私を求めてくれたという事実が何よりたまらなかった。
引き寄せられることでキスをされるものだと思ってたのだが、及川の唇は私の耳の方へと近づいていく。


「…どっか、ゆっくり休憩できるとこにでも行こうか」


そのまま及川に手を引かれながら、のこのことついてきてしまったそこは普段何となく恥ずかしくて目を背けてばかりのラブホテルだった。見るからに如何わしく下品にライトアップされているのはここが田舎だからだろうか、ずんずんと先に進んでいく及川はずいぶんと慣れているようだ。
部屋に入ると繋がれていた手が離れる。


「シャワー浴びる?」
「……さっきお風呂入ったばっかり」
「こんな遅くにお風呂って。それ、俺とセックスしようって思ってたってことだよね」
「ちが、」
「実は俺もさっき風呂入ったばっかり。こんな遅い時間に、ね」


それ以上何も言い返せなくなってしまった私をベッドに引き込きずりこむと、優しげな手つきで身体に触れ、ぬるい舌が這う。心なしか半年前より扱いが上手くなっていると感じ及川のふしだらな新生活が目に浮かんだ。


「会いたかったよ。名前」


胡散臭い笑顔で無責任なことを言い放つ及川の身体はとても熱い。
大人になりきれない私達は、この不毛な恋に熱をあげた。退屈で穏やかだった夏休みもおかげ様でそこそこ充実したように思える。
しかし、この関係もいつかと同じくあっという間に終わりが見えていた。夏休みが終われば再び別々の道を歩まなければならない。
行為が終わった後、明日には地元を離れなければならない事を伝えると「それ早く言ってくんない」と眉間にしわを寄せていた。
いつも甘えるように抱き着いたり、くだらないピロートークを続ける及川は今日に限ってだるそうにしていたかと思えばすぐに下着を掃き、備え付けの冷蔵庫に入っていたビンの炭酸飲料を一気に飲んでいた。


「名前って…結婚願望とかあったりする?」
「……はあ?」


突拍子のない質問に、つい間の抜けた声がでてしまう。


「急に何なの」
「この夏休み、ずっと俺にばっかりかまけてるから恋愛とか結婚とかこれから先ちゃんと出来るのかなって。ちょっと気になって」
「いずれはしたいよ。そりゃ」
「へぇ。じゃあ、ジューンブライドとか憧れちゃったりするわけ。あれって女の子好きだよね。6月なんて雨の日ばっかりなのにさ」
「…雨の日は嫌かな。及川こそ、結婚願望あるの?」
「相手による」
「…そう」
「名前となら、してあげてもいいよ」


及川はビンのキャップについていた金属のリングを外し、それを私の指に通す。左手の、薬指。まさか、と思ったがそのまさからしい。


「5年後。24歳になってお互い隣に誰もいなかったら、結婚しようよ」


安っぽいプロポーズとゴミみたいな婚約指輪(のようなもの)で交わされた約束の信憑性はかなり薄く、まるで叶いそうにもないそれはとても幼稚なものだった。
にんまり笑う及川を睨みつける。


「ずるいよ、それ」
「別に5年後まで待っててとは言ってないからね。名前チャン」
「それがずるいって言ってんのよ、徹クン」


***

あれから数年経ったが、及川から誘いの連絡は一度たりともくることはなかった。何て薄情な奴なのだろうか、と思ったのは最初だけで、よくよく考えてみれば私は及川の事をよく知らない。付き合っていた三ヶ月間はほぼセックスしかしていないし、及川だってきっと私のことなんて何にも知らない。及川が思ってるよりも、ずっと私は及川の事を好きだったということも。もっと一緒にいたかったと思う気持ちも。


『名前に会いたいな』


だから、こうして、何も知らない及川は数年ぶりに何事もなかったかのように連絡をよこす。
会いたいな、じゃねえよ。とか、何で今まで連絡くれなかったの、とか。色々言いたいことや聞きたいこともあるはずなのに、奥底にしまい込んだ都合よく美化した想い出に再び黒歴史を上塗りするべく「いいよ」と返信してしまう。


「久しぶり。どう?あれからいい彼氏は見つかった?」
「今はいないよ」
「へぇ、そうなんだ。可愛いのに勿体ないね」


背が更に少し伸びて大人びた及川だが、調子の良さは相変わらずのようだ。


「及川は?」
「俺は結婚すると思う」


あの軽々しい口調で、無頓着に放たれた言葉にじんわりと心が痛む。及川の顔を見れない、と言うより今、自分の顔を見られたくない。


「そう……おめでとう」
「…」
「…」
「ねぇ」
「なに」
「おめでたいことなんだからお通夜みたいな顔しないでくれる?あーヤダヤダ、名前って昔から考えてる事がもろに顔に出るよね。超単純。岩ちゃん並に」
「な…岩泉くん並はひどくない?岩泉くんはないでしょ…!」
「いーや、紛れもなく今の感じは岩ちゃんだね。あとさ、卒業式の日だって俺の方見ながら、めちゃめちゃわかりやすく寂しい顔してたし」
「何でそんなことまだ覚えてんの」
「名前のあのいじらしい表情がたまらなく好きだから」
「す、きって………何でいつもそうやって期待させること言うの?何で及川っていつまでたってもクソほどちゃらいの?このクソ川!」
「は!クソ川って!本当に岩ちゃんじゃあるまいし!いずれ名前もそのクソ川になるかもしれないんだからね!」
「誰がクソ川だっ………えっ?」
「……あのさ、今日が何の日とか全然知らないわけ?」


今日は、7月…20日……えっ、海の日?
しばらく黙っていた私に厳しい表情を向けていた及川は大きく溜息を吐く。


「誕生日、俺の」
「………おめでとう、ゴザイマス」
「お前ね、俺のこと好きならそういう事はちゃんと知っとくべきだよ」
「初耳なんだから仕方ないでしょ」
「え、ここで開き直る?っていうか俺のこと好きってところ否定しないね?」
「…」
「…24歳になってお互い隣に誰もいなかったら、って約束。今日がその日」


及川は笑った。そして私の手を取ると左手の薬指にシルバーのリングを通す。そのリングは皮膚を傷つけそうな剥き出しの金属ではなく、美しく輝きを放つ小さい宝石のついた指輪だった


「…」
「…」
「もしかして今日もヤるだけだと思ってた?」
「うん」
「マジで俺のこと何だとおもってんの」


及川は再び大きく溜息を吐いたが、じゃあしないの?と聞くと「いや、まぁするけど」と拗ねたように言った。


そしてまた夏が恋しい病