「君みたいな優等生が呼び出しくらうとはね」

先日死闘を繰り広げたとは思えないほどフランクに話すようになった海藤は何だか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
何をやらかしたんだよ?と聞かれるが、これといって身に覚えはない。顎に手を添えて目線を下にやると、

「知ってるか?目線が定まらないということは、やましい事やうしろめたさがあるという人間の心理を」

すかさず海藤に茶々を入れられ思わず小さく笑ってしまった。
人間の心理…ねぇ、
それは妖怪である俺へ皮肉か?という皮肉への上塗りは自分の胸の中にしまい込んだ。



***


「急に呼び出したりして悪かったわね」


生物室には苗字先生がいた。
俺を呼び出した張本人。生物の教師で、若く美しい彼女は生徒からの人気も高い。パリッとした水色のシャツに濃紺のタイトスカートを着こなし、その上に羽織っている白衣がまた良く似合っている。きっと思春期真っ盛りの男子からすれば堪らないものだろう。
海藤の言っていた「やましい事やうしろめたさ」とは彼女との関係を示す事だったのだろうか?だとすれば面倒だが後で訂正しなければならない。俺と彼女の間にお前の期待しているひそやかな関係など無い、と。

詰め寄ろうと足を踏み出したときに「鍵閉めて」と言われる。思わず喉の奥にあった言葉を詰まらせたが、彼女の視線に一切媚びがないことを確認すると言われるがままに鍵をかけ、再び歩み寄る。


「昨日、君を見かけたよ」
「そうですか。声かけてくれれば良かったのに」
「無理よ。だって44階にいたんだもの」


一瞬にして呼吸のリズムが狂う。


「マンションの44階のよりずっと高く飛んでいく君を見たの」


確かに昨日は飛影と夜の空を飛びまわりながら移動していたのだが、彼女のような普通の人間が目で追える速さでは無い。それに昨日の俺は妖狐化していた。まるで別人の姿が俺と断定出来るはずはない。


「…苗字先生。俺には一体何のことだか、」
「隣にいた小さな子はお友達?優等生クンがずいぶんと悪そうな子とつるんでいるのね」


腹の底が冷える感覚に陥る。目の前にいる女からは霊気も妖気も一切感じられず、どう見ても人間でしかない。しかしどこか得体の知れぬ違和感に俺の胡散臭い笑顔は消え失せた。


「人違いです」
「高層マンションより高く飛ぶ存在については否定しないの?」
「……俺からすれば、たかが私立高校の教師が高層マンションの高層階に住める事の方が不思議ですよ」
「ええとね、あそこは住んでるというか軟禁されてるだけよ」


内容とは裏腹に口調は実に穏やかだ。不気味なほどに。
彼女は普段からあまり感情を表に出さないミステリアスなところはあったものの、目の前に妖怪がいてなお、危機感が希薄なうえにどこか眠たそうにしている瞳が俺の想像力を掻き立て高揚させた。
さぁ、彼女をこれからどうしてやろうか。妖狐の声が脳を揺さぶる。


「君が今考えていること当ててあげようか」
「…」
「記憶を消すか、それとも私の存在ごと消し去るか迷ってるんじゃない?」
「……まぁそんなところですかね」
「私の素性がわからない以上今すぐに判断を決める事は難しいと思うけど、ひとつ言えるのは君にとって私は敵じゃない」
「でも、苗字先生はきっと悪党だ」
「君ほどじゃないよ。あと微量だけどさっきから妖気と殺気が漏れてるから気をつけなさいね」
「気をつけた方がいいのは苗字先生の方じゃないですか」


一瞬にして彼女の体を埃っぽい床に叩きつける。小さく呻き声をあげ、顔を歪めた。起き上がらないのをいいことに彼女の真上に覆いかぶさり、細く白い首元に指を絡ませる。少し力を入れただけで折れてしまいそうな華奢なそれは速く、大きく脈をうつ。


「俺は甘くないし優しくもない。殺そうと思えば今すぐにでも殺せる」
「…さすが悪党ね」
「このまま頭と胴体が離れて一瞬にして命が尽きるよりも、軽めの力を断続的に入れ続けて苦しみの中でゆっくりと走馬燈を見られるようにしてあげましょうか」


親指を喉元に喰い込ませると唾液が通り波打つ感触が伝わった。体を組み敷かれ首を絞められているにも関わらず一切命乞いをしない彼女は、ただじっと俺から目線をそらすことはない。
爪で肌を傷つけると鮮やかな赤が滲む。やはりこの人は脆く儚い人間なのだ。


「ねぇ…南野く、ん」


苦しそうな声で、初めて俺の名前を呼んだ。



「残酷に殺す前に、残酷に犯して」



正気じゃない彼女のせいで俺まで正気や理性、その全てが消え去ってしまいそうだ。
44階の汚い部屋よりも、後戻り出来ないところまで連れていってしまおうか。