青く染まり腫れあがる顔面に視線を感じたが、すぐに視線をそらして何も言わない阿伏兎に不愉快極まりない。

「女の子が顔腫らしてるのに何か無いわけ?」
「朝からノロケは聞きたくねぇよ」
「この無残な顔面をどう見たらノロケになるのよ」

どいつもこいつも能天気野郎ばかりで腹が立つ。
思いっきり彼女の顔面ぶん殴る彼氏がいる?しかもその後馬乗りになって更に殴る必要ある?私が夜兎だからこのダメージで済んでいるものの、普通の女子なら息絶えてるよ。人殺し。

「おじさん、最近のコの恋愛ちょっとわかんない」

いつも年寄り扱いすると怒るくせに、こう言う時だけジジイのふりしやがって。
阿伏兎が座っている反対側に腰掛け、テーブルに腫れていない方の頬をつけるとひんやりと気持ち良かったので、腫れている方を下に顔を置くとやはり痛くて体重を預けることは出来なかった。
目の前にマグカップを置かれると、コーヒーのいい香りが漂う。

「…砂糖とミルク10個ずつ入れて」
「ガキ」

阿伏兎の溜息が漏れる。

「ため息すると幸せが逃げるんだって。だから阿伏兎いつまでも彼女出来ないんだよ」
「大きなお世話だ。顔腫らしてる奴に幸せどうこう言われたくねぇよ」
「まぁ彼氏に半殺しにされるって幸せとは程遠いよね」

今度は私が大きく溜息を漏らした。私に残るわずかな幸せも逃げていってしまったかもしれないが、甘ったるいコーヒーを口に含むと何とも満ち足りたような気分になる。
昨晩、急に神威が部屋に入って来たと思えば眠っている私の胸倉を掴み乱暴に唇を奪う。そんな神威は返り血だらけの血生臭い姿で、白い布団が赤黒く染まっていた。無理矢理起こされたのと、不快な光景に苛立った私は、神威の舌を思い切り噛んでやった。
そこから記憶は曖昧になる、けど確かなのは舌を噛んだ後に神威が思い切り顔面にグーパンを決めた事。そして壁にめり込む私を引き剥がし、馬乗りになり何度も殴ってきた…気がつけば朝を迎えていて、部屋に神威の姿は無かった。

「いくら何でも理不尽すぎだよね」
「でも、先に手出したのは名前だろ」
「舌噛んだだけだよ」
「いやぁ、死ぬだろ。噛み切られたら」
「神威がそんなんで死ぬわけないよ。バケモノだもん」
「その化け物に殴られてピンピンしてるお前も十分化け物だ」

ふ、と少し笑みをこぼす阿伏兎に「大人の男は余裕があっていいね」と言うと、満更でも無い顔で惚れるなよ。と言われたので少し引いた。
もし私達が夜兎じゃなかったら、
「彼が殴るの」
とDVに悩み、涙を流して気持ちを落ち着かせた後に、彼からさっきはごめんね好きだよ。なんて言われて、体を重ねてすぐに仲直り出来たかもしれない。

「彼が半殺しにするの」

人種が違うだけで、こうも変わるとはね…だいたい涙で気持ちが落ち着くはずがない。戦うか飯食うかで欲を満たす私達には到底考えられない。体を重ねて仲直り…ここは同じなのかもしれないけど、神威から謝ってくるまで絶対やらせない。これが私のささやかな抵抗。
少しして、一切悪気無く寝ぼけた顔をして神威が起きて来る。

「名前、おはヨ」
「…」
「あれ。無視?」
「…」
「ってかその顔、超ブサイク」

はは、と無邪気に笑う神威の後ろで阿伏兎も笑いを堪えていた。

「誰のせいだと思ってんの?」
「だって、ただいまのチューしたのに舌噛むから」
「殴るにも限度があると思うんだけど」
「名前ならあのくらいじゃ死なないよ。前にもっと強く殴ったけど死ななかったし」

いつか本当に死ぬと思う。と溜息交じりに言うと、

「死んでもらっちゃ困るよ。俺には名前が必要だから、ね。阿伏兎」

俺を巻き込むなよ、と阿伏兎が神威の前にコーヒーの入ったマグカップを差し出すと

「砂糖とミルク10個ずつ入れて」

と笑顔で言う神威が、この上無い程憎らしくて愛しい。甘ったるいコーヒーが身体に沁み渡る頃には糖分が効いたのか苛立ちも消えていた。
せめて、腫れが治るまで私の不機嫌が続いていればいいのに。