ネリネ | ナノ



松風天馬。
俺にとっては何でもなく、あいつにとっては欠けていた何かを思い出させてくれた存在。
一人の人間に真逆の意見が持てるというのも珍しいものだと思いながら、俺はそいつの隣に座っていた。


「はい」


すっと差し出された何処かで買ってきたらしいペットボトルを成すがままに受け取る。すっかり雨の止んだ其処らは濡れていて、生温い風と匂いが辺りを漂う。ぐいっと一気に飲む松風をちらりと見やりながら渡されたそれを手持無沙汰に傾けた。とぷり、と揺れる中身。


「でも驚いたよ、白竜が稲妻町に来てるなんてさ」

「好きで来たわけではない」


如何考えたって俺が此処に居るのは聖帝達(言ってしまえば雷門だって)が原因なのだから、無理矢理と言っても過言では無い。ただ、行く宛が無かっただけとは言いたくなかった。
少しだけ何もすることの無いぬるい生活に慣れてきたというのに、こいつに会った所為で嫌でも今までからあの時までを思い出してしまう。試合の終了を告げる高らかなホイッスルだとか、いつもと違うチームメイトの気持ちや笑みだとか、含みの無い澄んだあいつだとか。


「逆に訊くが、如何してお前は此処に居る。見た所此処には何かあるわけでもないだろう」

「うーん、何でだろうなぁ……こんなこと言ったら笑われそうだけどさ、直感で感じたんだ」


此処に来たらいいことあるかも、って。
松風の言葉だけが風に流されず俺の頭に残る。一つの仮説を立ててはみたがそんなことを口走れるほどロマンチストではないので、胸に秘めておく。いやまさか、そんな筈はないだろう。あいつが、呼んだなどと。


そのままどちらとも動くことはなく、いつの間にか松風のペースに巻き込まれたまま雷門がゴッドエデンを去ってからの一連の出来事を聞かされた。
彼等の出場していた大会のこと、聖帝の正体。後者については牙山監督に繋がることでもあったので驚きはしたものの、不思議と納得できた気がした。


「彼にも考えがあってのことだったというわけか」

「でも聖て…豪炎寺さん、白竜達に酷いじゃ言いきれないことをしてしまった、って悔んでいたよ。もっと別のやり方があったんじゃないか、子供達の将来を考えられたんじゃないかって」


実際の彼を見たわけではない俺には、その苦悩も葛藤も理解はできない。しかし、俺は。


「…だが俺は、結果的に彼に感謝すべきなのだろうな」

「え………」

「やり方はどうであれ、単調でしかなかった俺の世界に剣城というライバルやチームメイトを知り合わせ、己の弱さを認める機会であったお前達雷門と出会うきっかけをくれたのは彼だからな。勿論全く憎くないわけではない。が、今はそれ以上に得たもの学んだことの方が大きいんだ」


松風の顔は見ないまま、手の内のボトルを転がす。そっか、と横からかかった声は俺の内情を理解できた故の言葉ではないのだろうが、それでも俺を認めてもらえたように感じた。

少しは俺も、成長できたのだと信じたい。


「…全てはお前達のお陰というわけか」

「へ?」

「独り言だ、気にするな」


礼を言いたくはないが感謝はしている。自然と表情が緩むのが自分でもわかった気がして、慌てて引き締める。しかし松風がぷぷっと笑いを口に含んでいるということは、まだ自分の唇は弧を描いたままなのだろう。
と、不意に松風は俺の周囲を見た後きょろきょろと辺りを見渡しだした。いきなりの挙動不審な行動に流石の俺もどうしたと声をかけざるを得ない。


「そういえば、シュウは一緒じゃないんだね」


ぎくりと表情が強張るのを感じた。先程までの浮かれた気分は吹っ飛んで、代わりに焦りと戸惑いが脳内を占める。そうだ、あいつのことは俺やあいつと親しかった一部の奴を除いて誰も知らない。


「あいつは……あの島に残っている」

「そっか、一緒に来たわけじゃないんだね……」

「だが、とても安らいだ表情をしていた。お前達と試合ができたことも理由の一つだろう」

「それが聞けただけでも十分だよ、ありがとう」


そう言って笑う松風。この笑みにあいつも救われたんだろうと思うと、真実を告げられないことに少し罪悪感が生まれる。だが世の中には知らなくてもいいことがある。それがあのひと時で築かれた綺麗なものであるならば、尚更。
もっと早くにその言葉の意味を理解して自分に言い聞かせていれば、俺もああはならなかったのだろうか、などとは遅すぎるか。


「それでさ、白竜は何しに此処に来たの?此処、遊び場所とかお店があるわけじゃないし、見晴らしがいいぐらいしか思いつかないんだけど…」

「それは……」


またも言葉を濁す。あいつのことにしても今にしても、まさか本当のことを言うわけにはいきまい。そもそも自分自身感情が先立って行動してしまった故の現状なので、上手く言葉にすることはできない。
如何にかして少ない語録から丁寧に弁解の言葉を選び出してこの話を撒こうと、


「あいつが、此処に居る気がしてな」


何を口走っているんだ俺は。
松風もぽかんと間抜けな顔を俺に向けてくる。そんなに柄ではないことを言ったのか…言ったな、俺。
不思議なほどにするりと喉の奥から漏れた言葉は頭の中で何度かリフレインする度に恥ずかしさと軽率さが生まれる。あいつのことに関して俺が軽々しく口にしていいものなのかは、言った後から迷っても遅いのだろうが。


「…白竜って、思ってたよりもロマンチスト?それとも寂しがり屋?」

「…どちらでもない。頼むから忘れてくれ、後生だ」


思った通りの返しをされてふつふつと怒りが沸くが、それを当たるのも筋違いだと判断した。
深く頭を下げると慌て出す松風。ああとかえっととか取り繕う声を暫く聞いていたが、不意に黙り込んで先程の明るさからは考えられないほど小さな声音でぼそりと俺もなんだ、と呟いた。頭上から降ってきた思わぬ言葉に、ゆっくりと頭を上げ松風の目を見る。


「さっき言った直感っていうか…正しくは声なんだけどね、シュウの声に似てたなぁ、って。ずっと考えてたんだ。だから白竜が此処に居て、俺が此処に来て、こうして二人で一緒に話ができるのって、もしかしたらシュウのお陰かも」


少し困ったように笑いながら、松風。
さわさわと木々を揺らす風が俺達を撫ぜる。雨上がりの風はしっとりとしているのに、何処となく人肌に似た暖かさで。言葉にする代わりに自嘲気味に笑ってみせた。いつまでも萎らしいのは俺らしくないというように、風がするりと頬を滑る。


「……あいつもとんだお人好しだな」

「ほんとだね」



足音も無く消えたお前は今、此処に居てくれているのか。






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