ネリネ | ナノ



自分の時間の割り振りを自分で決めるというのは案外難しいものだった。

今までは決められた時間配分に沿ってひたすらに自分を高めていればよかった。それがいきなり起床から就寝まで全ての時間を自分のものとして自由に使用してもいいとなると如何すればいいのかわからなくなる。平穏な日常などとうの昔に置いてきてしまった俺は何気なく時計を見て時間を噛み締めることすら新鮮に感じるようになってしまっていて。今までを否定するつもりは無いが、過去の幼い時期から先にぽっかりと穴が開いたような地に足のつかない浮遊した感覚が纏わりつく。暗く限られた陽しか射し込まないあの場所で、俺は確かに息をして生きていた。それは変えることのできない真実であり、変えるつもりの無い俺の人生の一部でもある。


ぐるりと腹の虫が鳴いたような気がしたので、少し早いが食料調達に出かけることにした。先日のスーツの男が置いていった店などの主要地点に印のついた周辺の地図とそこそこの金額の這入った財布を持って仮宿を出る。
遮られない陽の光に目が眩む。真上を外して上がった太陽は燦々と道や屋根を暖めて鎮座する。鼻を擽る様々な香りが、そろそろ食事時だと告げていた。

流れる街並みに時間の早さを感じ驚きながらも、如何にか僅かな知識の中から引っ張り出した品を買った。両手に持つビニール袋には三日間なら持つであろうインスタント食材や冷凍食品と、申し訳程度の野菜。
品揃えに圧倒されたのは言うまでも無いが、一番驚いたのはインスタント製品だ。栄養面は兎も角この量を湯を入れて数分待つだけで食せるというのはなかなかに画期的だった。特に俺のような子供や料理ができない人間などは重宝するだろう。噂に聞いていただけで味はわからんが、利便性においてはリピーターになってしまいそうで怖い。

帰り道に飄々と塀の上を歩く真っ黒な野良猫とすれ違った。しなやかな後姿を見てあいつに似ているなと柄にもなく思いながら、慣れない自宅の鍵を鳴らした。


孤食と個食。昔アイツがぽつぽつと漏らしていたドウオンイギゴとやらを思い出しながらカップ麺を啜った。若干油っぽい気がしなくもなかったが、成る程これは美味い。手軽さと俺でも作れるというオプションも相俟って頭の中の次回の買い物リストの筆頭に書き込んでおく。

あまり動いていないせいかそれ以上腹は減らず、かといってすることも無いので起きぬけで荒れたままのベッドに転がった。壁窓から射し込んでいた日光に当たっていたらしくふんわりといい匂いがする。今度きちんと干してみようか。


やることが無いというのもいつ以来だろうか。つい数日前までサッカーに明け暮れていた頃が懐かしい。
走馬灯のようにぐるぐると浮かぶのはあの島での出来事と、其処から逆走して辿りつく幼い頃。後者の方が(どちらも俺の人生において変わりは無いのだが)俺の記憶として正しいはずなのに、如何してか後付けされたように違和感のある記憶。あの島に居た頃にもあった、たまに思い出される虚無に近い空白。自分が過ごした筈の過去の景色は、他人事のように違うフィルターを通して見ているようで気持ちが悪かった。


「今も昔も、此処に来て僕とこうしている時も、全てひっくるめて白竜でしょ?」


あどけなく言うあいつの言葉は悔しいがその通りで、不思議と納得してしまうのが自分でも恐ろしい。そうして宥められていたこともあった。だがもうその笑みも景色も俺の感情すらも、塗りつぶされるように少しずつ霞んでいく。俺の中から薄れてゆくあいつの存在がこうも恐いものだとは思いもしなかった。

あいつの言葉のようにゆたゆたとしたぬるま湯のような幸福に今自分だけが浸かっていることを俺が赦せない。結局誰も彼も、俺達を円満に導いてはくれないのか。



俺に何も言わせず、足音も無く消えたんだろう、お前は。






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