ネリネ | ナノ



久しぶりにゴッドエデン以外のアスファルトを踏んだ気がする、というのは言い過ぎだろうか。
俺が孤島で己を縛り続けている間に、世間は随分と人工物で溢れかえっていた。訪れたことの無い場所だからか余計に近代的に感じる町並みは、しかしながらほんのりと昔の記憶を匂わせるあどけなさを残していた。


少ない荷物を引っ張りながら辿り着いた場所は簡素なマンション。
既に話は通っていたらしく、俺の姿を見つけたスーツの男(雷門の関係者だろうか)は恭しく頭を下げた後エレベーターのボタンを押した。此処は何なのかと尋ねれば、特に何てことの無い普通のマンションだと教えられた。ただやっぱり、雷門が関係しているのは確からしい。

案内されたのは外見に反して然程高層でない空き部屋の前。鍵を渡され促されるままに中に這入る。
一切のことを自分で気に掛けなければいけないという点ではゴッドエデンの中の生活よりかは不便をしそうだったが、普通に生活していく分には不自由の無い程度に物は揃っていた。学生の部屋、というのはこれぐらいが丁度いいのだろうか。一般基準の物差しが壊れている身としては測りかねる。


「それじゃあ」


ある程度の説明や諸注意を受けた後一方的に連絡先を教えられ(困ったらかけてこいとのこと)、何処かで見たような気のする短い黒髪を揺らしながらスーツの男は去っていった。去り際に俺の頭をがしがしと乱雑に撫で、「頑張れ」とだけ呟いたそいつの後姿を視線だけで追う。子供扱いされたのは、いつが最後だっただろう。


ガチャリと無機質に扉の閉まった音を聞いた瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。練習後とはまた質の違う疲労は、長旅と慣れない土地に疲れたのだと思えば納得できた。
ごろりと岩床では無いフローリングに寝そべる。疲れた後に転がる場所は、同じ冷たいでも此処まで感触が違うのか。ただ此方の方が何となく落ちつく。

外が橙に染まってきたとぼんやり感じ始めた頃、漸く荷物を弄り始めた。とはいっても元より所持しているものなど三日分程度の私服と軽い日用品程度しかないわけだから、特に苦労することも無く入居準備が整った。
そういえば隣人は居るのだろうかと考えたが、確かこの階には俺以外此処にいないとあの男がぽつぽつ説明していたような気がする。それも如何かとは思うがやはり自分の今までの立場などを踏まえれば寧ろ有難いのだろう。寂しい、などと思ってはいない。


練習も訓練も受けていない身体はそれ以外の疲労に参ったらしく、食事をする気にはなれなかった。それも仕方なしと無理矢理水を胃に流し込んで頑丈な造りのベッドに身を投げ出した。自身をくるむ柔らかい感触に埋もれながら、ゆっくりと瞼を閉じた。明日のことを考えないのは、久しぶりだった。



既知の誰とも関わりなく過ごす日々が、始まる。






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