ネリネ | ナノ



終わりを始めることすらできない自分は、弱いのか。





ぶぉお、と間抜けたエンジン音を身体に受けながら遠ざかる島を見送る。あの場で学び感じた天国と地獄を俺は忘れることは無いだろう。それがただひたすらに究極だけを追いかけた自分への戒めであり、これからのためであるのだから。


汽笛は白い煙を途切れることなくたなびかせ、波を裂きながら緩く尾を散らす。もう島があんなに小さく見える。忌まわしいと思えるようになってしまった聳え立つ訓練場は、人こそ去れどこの先ずっとあのままであろう。勿論、森も、あの石像も。
俺は殆どの時間を無機質な壁の中で過ごしていたからかあまり感じることは無かったが、ふと立ち行ったあの場はとても澄んでいたことは今でもよく覚えている。フィールド以外の土を踏んだ足の裏の感触も、髪をさらった風の生温さも、生き物のようにざわめく木々の隙間から小さく細く零れる日差しも。同じゴッドエデンだというのに、まるで異世界に降り立ったような戸惑いを感じて後ずさった。その先で、あいつと出逢ったのだ。


「君、だぁれ?」


擦れた吐息交じりの達観したような声が鼓膜を響かせる。今にでも聞こえてきそうなほど消え入りそうなその声。別段幼い頃から長く一緒に居たわけでも無いのに、いつの間にか溶け込んでいたあいつの不思議で不気味なこと。最初は幽霊みたいな奴だと思っていた。


景観は徐々に明るさを増していき、それと比例するように徐々に遠くなる楽園。俺にとってつい最近まで文字通りの意味を持った場所だったそれは、この距離ですら無人の島や森と共に空虚と退廃を漂わせていた。あそこが淀んでいたなど、あの空間であの空気に浸りきった自分が気づくものか。

あいつはそれを知っていたかのように、俺の練習を見ては寂しそうに微笑んだ。此処の昔から俺達の生きている今までを知っているように、淡く微笑んでいた。
森を訪れている間も絶え間無く練習を続ける俺に、あいつはいつでも出会い頭にこう言った。


「君は頑張り屋さんなんだね、白竜」


俺の名前を紡ぐあいつの声は何処か憂いており、薄く浮かべられる笑みと併せて何故か自分とは根本的な軸が違うような気がした。落ちつくような声音の癖をして、その実吐かれる言葉は皮肉と嘲りを含んでいるようで。その言葉一つで俺の醜い努力が綺麗なものとして片付けられてしまうことを恐れて、視線を外すことばかりを覚えた。


いよいよ島が見えなくなった。まっさらな海には船が起こす波紋だけが図形的に拡がり消えていく。
最後の時にあいつの腕を掴んだ感覚は、未だこの手に鮮明に残っている。本音を吐露した時の真剣な表情も去り際のあいつの言葉も笑みも、全部はっきりと憶えている。別れの言葉だなんて、滅多に使わないものではないだろうに。如何してお前はそんなに泣きそうな顔をしていたんだ。今までのごめんもありがとうも楽しかったも、全て言わせずに笑ったんだ。


「君の努力を簡単な言葉で括ったこともあったね、ごめん」

「君からただ真っ直ぐに、求めるものへ突き進む強さを学んだよ、ありがとう」

「白竜。楽しい時間を、ありがとう」



こんな時にまであいつの声はゆたゆたと温く耳に残る声で。しかし異様なまでに透き通って感じた細い声は、確かに別離を示していた。
とん、と背中を押されてもうあいつの顔は見えない。泣いているのだろうか、笑っているのだろうか。俺にだって言いたいことが山ほどあるんだ。しかし俺は振り向くことすら許されなかった。

もう一度とん、と背中を押される。軋んだ音を立てて乗り込んだ船の先では、仲間達が俺を見て手招きをしたりして笑う。
刹那振り向いた俺の目に映る懐かしい森と一緒に、あいつは柔らかく優しく、酷く儚い微笑を浮かべていた。俺の記憶と視界の中に、あいつは確かに、存在していた。


流れる雲の隙間から、あの日の木漏れ日よりも強く陽が射す。蜃気楼のように夢現な脳内は呆とアイツとの出逢いと別れとをリピートし続ける。
そして最後のあいつの泣きそうな笑顔を思い出す度に、俺は迷ったままの問い掛けを吐き出すのだ。



「じゃあね。さよなら、白竜」



俺一人で如何しろというんだ、シュウ。





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