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 次の日、成神は部活を休んだ。部活のために積み上げる羽目になっていたゲームを崩したり、快適な室温の部屋で意味もなくごろごろとしたり、買い溜めしておいた秘蔵のお菓子を惜し気もなく開封したり。好き放題の限りを尽くしてみたが、それも一日と半分も過ぎればすっかり飽きてしまった。
 ぐでーっと項垂れた成神の視界に、棚に並んだサッカー雑誌が映る。少し前までは見ることも辛かったそれらに、今は無性に手を伸ばしたくてしょうがなかった。結局辺見の言う通り、長く染み付いてしまったそれは、どうしたって切り離せないらしかった。スウェットのまま玄関に行って、少し汚れたボールを持って、成神はサッカーゴールのある公園へと向かった。

 リフティングから始めて、調子が出てきたところで、徐に無人のゴールへ向かってボールを蹴ってみた。これでは源田はおろか、その辺の小学生にだって止められてしまうようなシュートだった。入部テスト以来になる練習以外のまともなシュートは、FWのそれとは比べ物にもならないぐらいへにゃりと頼りない軌道を描いて、ぱしゅっと優しくネットを揺らした。たったそれだけのことなのに、成神は妙な高揚感に包まれた。初めてシュートを決めた、小学生の頃を思い出す。あの頃はポジションなんて関係なくなるぐらい、ひたすらに白黒のボールだけを追いかけて、ゴールが見えたら蹴り込む。ずっとそれだけをしていたように思う。
 大きくなるにつれてポジション分けをされたり、技とか、テクニックとか、覚えることも増えたけれど。ボールを蹴る。その単純で、けれど奥深い競技が、自分は心底好きなのだ。今も昔も――この先の、いつまでになるか判らない未来でも、きっと自分は、サッカーが好きでいるんだろう。
 そう考えると、今まで抱えていたもやもやとした痞えが、すとんっと流れ落ちたような感覚がした。思えば自分はずっと、サッカーをする理由の根本を忘れていたのかもしれない。何も難しいことはなかった。好きだから続けてる、好きだから悩んでる。好きだから、できるようになりたい。

 暮れかけた夕日が眩しい。赤く照った沈みかけの太陽を見つめた成神の顔は、笑っていた。





「すんませんでした」

 それから三日後、成神は学校に登校した。朝練がなかったために普通に授業を受け、清掃を済ませ、放課後の部活に顔を出す。恐る恐るといったように部室の扉を開けると、やはりぎょっとした視線たちが自分を見た。沢山の目が自分を見るのは怖かったが、何を言われるかは判りきっていたからか、不思議と落ち着いていた。かけられる言葉に身構えした成神だったが、しかし一同はそんな成神を一瞥しただけで、特に声をかけることなくユニフォームに着替え、さっさと部室を出て行ってしまった。きょとんとしている成神に、着替え終えた洞面が唯一「よかった、来たんだ」と微笑んで、それ以上は何も言わず、同じようにグラウンドへと消えていった。撤去されているのではと怯えていたが、自分のロッカーはまだあって、中もそのままだった。無断欠席を三日もしたのにも関わらず、だ。そのことに安堵と一抹の不安を抱えながら、成神は着替えを済ませて、そっとグラウンドへと向かった。
 練習前のミーティングと称して指示を出す佐久間と、それを聞く部員たち。その輪に加われず一歩を出しあぐねていると、不意に佐久間が目線を此方に向けた。射抜くような左目に、思わず身が竦む。しかし成神は勇気を振り絞って、ずんずんと大股気味に佐久間に近づくと、顔をくしゃりと歪めて、腰を折った。暫しの沈黙。顔を下げている成神には、佐久間が、周りが、どんな表情をしているかは判らない。

「……それは、何に対しての謝罪だ」
「この間の試合のミスと、無断欠席のです」

 降格されても、退部させられても、おかしくないと思っている。自分のしたことは、「次は気をつけろ」という言葉で片付けられるには軽過ぎる。そんな甘さを、此処は見せてはくれない。どんな処遇も受けるつもりだった。
 しかしそんな成神の真意を悟ったのか、はたまた沈黙に耐え切れなくなったのか、佐久間ははぁ、と一息緊張を吐き出した。

「無断欠席に関しては、罰として今日の外周を五周増やす。反省しているならそれでいいが、次回から欠席するときは、わかっている場合は事前に、急な場合でもできるだけ早く報告しろ」
「は、い……」
「あと、試合のミスに関してだが。……現状、代わりのDFを入れるつもりはない。次の練習試合までに、少しはマシなプレーができるようにしておけ」
「……うっす」

 想像してもいなかった言葉が返ってきたことに、成神は顔を跳ね上げぱちぱちと瞬きをしたが、佐久間はそれ以上何を言うこともなく、「各自練習開始」とだけ告げて、解散を促した。無論、他のメンバーも特に何と言うこともない。どころか、成神がスタメンから外されないことにほっとしているような雰囲気さえあった。このぬるま湯よりは少し熱いぐらいの湯加減が、今の帝国なのだ。思い返してみれば、自分と鬼道はそう長い付き合いではなかったにしろ、彼が居た頃もこんな感じで、理不尽な部員の切り捨てはなかったように思う。自分が思うほど、今も昔もそんなに変わりないのかもしれない。
 練習しようと己の手を引く洞面に連れられて、成神は三日ぶりにグラウンドの人工芝を踏んだ。





 練習内容は突っ込んでくるMFを止めるもの。相手は辺見。まるでいつぞやのときのようだ。思えばあれがきっかけだった。しかし、あのとき感じていた焦燥感や恐怖はなく、不思議とすっきりした気分で、成神は離れたところからボールをドリブルする辺見を見据えていた。ヘッドフォンから流れる音楽はテンポを上げ、サビの一歩手前だ。たんたん、と足でリズムをとって、ここだというタイミングで、体勢を低くして突っ込んだ。

「……っ、キラー、スライド!」

 一瞬の躊躇いの後吐いた言葉に呼応するように、必殺技が放たれる。足元に強烈なスライディングを食らった辺見は、つんのめって足からボールを離した。ころころとあらぬ方向に転がったボールを、すかさず立ち上がってクリアする。線の外に飛んでいったボールをぼんやりと眺めながら、成神は今の出来事をゆっくりと反芻していた。

「何だよ、できんじゃねぇか」

 悔しそうに、けれどどこか嬉しそうに辺見が言う。じわじわと実感が湧いてきて、成神は小さく震えた。泣きそうになる目元をぐいっと擦る。珍しく辺見が茶化さずにぽんぽんと頭を撫でてくるものだから、引っ込めようとしていた涙が目尻から溢れてきそうだ。

「辺見センパっ、やめ……うっ」
「ま、これに懲りたら溜め込んでスランプなんて馬鹿なことすんなよ。二度目はねぇからな」
「へんみぜんばい〜!」
「おわっ、てめぇ人のユニフォームで鼻水拭くんじゃねぇ!」




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