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 成神にとって、部活は楽しいものだが、同時に少し煩わしいものでもあった。
 サッカーは楽しい。小学校の活動では物足りず町のジュニアクラブに所属していた成神は、そのチームで一番上手いDFだった。上手であることはできることが多いということで、やはり楽しかった。できることが増えたら、また次の目標を決めて頑張っていた。いつしかできないことよりもできることの方が増えてしまって、少しだけつまらないと感じるようになってしまったけれど、ボールを蹴っているのは変わらず好きだったし、意気揚々と突っ込んできた相手をちょちょいと嵌めてボールを奪取するのが、たまらなく気持ちよかった。
 ジュニアクラブで物足りなくなった成神は、きっと普通の中学の部活でも同じように感じるだろうと思って、サッカーの強い帝国学園に入学した。やはり強豪ということもあって、周りも強い奴等ばかりだったが、自分だって負けていないどころか、勝っていると思っていた。そしてそんな自称強い奴等を蹴落として、成神は一軍入りを果たした。二軍の下積みもしないままスタメン入りする一年生は去年にも居たようだが、やはり異例らしい。同じく異例の洞面とはすぐに仲良くなった。少し毒舌だが、付き合っていて気が楽だった。洞面とはポジションが違うから、スタメン争いで火花を散らす必要がないことに、少しだけ安心した。

 入部してすぐにスタメン入りした成神は、必然試合での出番も多い。試合に出るのは楽しいが、練習は少しだるい。運動量もさながらだが、目上の人間から飛んでくる叱咤が、何よりも面倒くさかった。これはジュニアクラブのときと変わりないらしい。キャプテンであった鬼道や、新しくキャプテンになった佐久間の言うことは絶対だ。ちょっと面倒なところはあるし、厳しいけれど、ついていかなくてはいけない人だというのは判っているから、私情は兎も角、成神は彼等には従っていた。問題は他の先輩たちだった。ひとつかふたつ早く生まれただけで、どうしてこうも偉ぶって自分を叱責してくるのか。言っていることは正しいのかもしれないが、それでも素直に従うのは、僅かな反抗心が拒否した。影山が支配していた頃の帝国学園サッカー部は、余所と違って必要以上の部員同士の馴れ合いを求めなかった(勿論、仲のいい部員たちは居たし、時折談笑している姿も見かけはしたけれど)。適当に流して、最低限合わせて、やることをやっておけば、スタメンの地位は守られる。ジュニアクラブのときよりも軍隊染みた生活になったと思うが、逆に言えば、従ってさえいれば余程のことがない限り、この場所に立つことが確約されていた(尤もそれも、鬼道や影山が去ったあとの帝国では多少緩くなりはしたが、一軍への昇格条件なんかは、相変わらず根底に残っている)。敷かれたレールを走っていればいいのは、楽だ。例え自分の意思がそこにあろうがなかろうが、成神にとっては、自分にできることの大半を占めている、好きなサッカーが続けていられるというだけで、よかったのだ。

 今日も相変わらず決められたメニューに沿って練習をしていく。今は突っ込んでくるFWやMFをいなす練習の最中だ。

「成神、行くぞ!」

 先輩の中でも、特に自分に対して口煩い辺見の掛け声に、はいはいと緩く構える。たっ、と駆け出した辺見は、ボールをドリブルしながら、成神の後ろにあるゴールに向かって蹴り込んでくる。これを必殺技で止めれば、成神の勝ちだ。ひとつ息を吐いて、ゆるりと走る。決して速いわけではないが、どことなくのらりくらりとした印象を与える動きは、素人が見れば目も眩むだろう。そうしてぱっと辺見の視界に現れた成神は、苦虫を噛み潰したような表情をした先輩に向かってにやりと笑い、必殺技を発動させ――。

「キラースラ……っ!?」

 ――ようとして、一瞬の違和感に苛まれた。技が、出ないのだ。あまりにも突然のことだった。驚きながらも、成神はスライディングの威力を殺さないようにそのまま無理矢理突っ込み、見事辺見からボールを奪って見せた。
 てんてん、とライン外に転がっていくボール。くそっ、と頭上から吐かれた悪態に内心ほくそ笑みながらも、成神は出なかった必殺技のことをぼんやりと考えていた。確かに意識して、力を込めて放ったはずなのに、技は片鱗を見せるどころか、全く出てこなかった。一昨日のミニゲームでは、問題なく発動できていたのに。
 何故だろう、もやもやと考えは巡るが、佐久間の「集合!」の一声でそれ以上の思案はできないと判断した成神は、違和感を頭の片隅に放って、ぱたぱたと集合位置に走っていった。それが始まりであることなんて、このときの成神は少しも知る由がない。そしてそんな自分の姿を、訝しげな目で見つめる影があることにも、彼が気づくことはない。





 それから数日後。練習を終え、着替えた部員たちが疎らに帰宅を始めた頃。キャプテンである佐久間とそれを支える源田は、着替えを終えても尚部室に残り、話し合いをしていた。メニューは適切だったか、暫くこれを続ける方向でよいか。内容は先程の練習を鑑みてのことだ。帰宅しながら話してもよいのだが、それではどうにも切り替えができずに引き摺ってしまうと、専ら部活の深部に関わる話は部室で済ませるようにしていた。
 今日も同様にメニューの見直しと、前と後ろから見たメンバーの動きについての感想を話し合ってると、部室の扉が開いた。佐久間と源田が顔を上げると、着替えて帰ったはずの辺見が、ややばつの悪そうな表情と共に入室してきた。何だどうしたと顔を見合わせる二人に、辺見は頭を掻きながら言葉を濁していたが、やがて「話し中にわりぃな」と一言詫びを入れると、言いにくそうに口を開いた。曰く、「最近成神の様子がおかしい」と。

「まぁ、何つうか、ちょっと前まではそんな素振りなかったんだけどよぉ……」
「お前がそう言うぐらいだ、何か確信めいたことでもあったのか?」
「……この間、俺たちMFがDFに突っ込んでく練習あっただろ。あんときあいつ、キラースライドを出そうとしたっぽいんだよ。だけど結局、普通にスライディングしてきやがった」
「それだけなら、おかしいことなんて何もないだろ。普通に突っ込んだ方が効率がいいと判断したのかもしれない」
「それならいいんだけどよ……。なーんかあいつ、調子悪そうなんだよなぁ」

 ここ数日の成神を見ていた辺見は、その些細な違和感にどうしても意識が向いてしまっていた。例えば、ふとしたときのスライディング、FWを止めるときのチャージ、GKから受けたボールをMFに運ぶまでの僅かな間のボールキープ。どれも不自然と呼べるようなミスをしていたわけではない。しかしその諸々の動きに、どこか戸惑ったような、ほんの少しの“間”を感じていた。何かにはっと気づく瞬間、躊躇う一瞬とでも言えばよいのだろうか、辺見はそんなワンテンポのずれを、最近の成神に感じていた。

「本人へは?」
「言うわけないだろ。俺が言ったところで、茶化されて終わるのが目に見えてる」
「だからといって、俺たちが声をかけたからといって、素直に喋るとも思えないけどな」
「お前たちが言えば少しは効くと思ってんだけどな、俺は」
「逆だ逆。キャプテンから「お前最近調子悪いらしいな」なんて言われたら、あいつ余計に練習量増やすぞ」

 一年生がキャプテンからそんなことを言われれば、却って躍起になる可能性も少なくはない。何せ帝国学園サッカー部は弱肉強食、力のある者だけが生き残っている強者の世界だ。それは影山が居なくなったから、鬼道が去ったからと早々に変わるものではない。実力が全てのこの場所で、スランプを指摘されることは地獄の始まりだ。そこから調子を崩し、最悪の結末である退部の道を辿った上級生や同級生を、自分たちは何度か見ている。貴重な戦力という以上に、自分たちにできた初めての後輩で、キャプテンとして導くべき存在。そんな繋がりを、他人が思うよりも大事にしている佐久間としては、あまり重荷になる言葉をかけたいとは思わなかった。それは源田も同じようで、難しい表情をして小さく溜め息を吐いた。

「すまない。俺としても、成神はとてもいいプレイヤーだし、こんな俺のことでも慕ってくれる後輩だから、力になってやりたいとは思う。だが、俺や佐久間の距離では、成神を傷つけるだけで終わってしまうかもしれない」
「そういうわけだから、その件はお前が解決しろよ」
「はぁ!? 投げやりすぎじゃねぇ!?」
「投げやりも何も、一番最初に気づいて気にかけてるのはお前だろ。だからこうして、わざわざ俺たちに相談しに来たんじゃないのか?」
「っ……」
「気づいたなら気づいたなりに、責任持てよ」

 最初、辺見はこの問題を佐久間に押し付けるつもりでいた。キャプテンが一声かければ、抜けた気も引き締まって、すぐにいつもの調子に戻るだろうと思っていたからである。だが、二人の意見を聞き、また話すうちに判ったのだ。きっとこの二人では強過ぎる。色々とあった問題を乗り越えてきた佐久間と源田の言葉では、きっと成神には高過ぎて届かない。それは二人もよく判っていることなのだろう、申し訳なさそうに眉を下げながら、彼らは辺見を見ていた。どうする、と問いかけられているような気がした。ここで投げるのも自由だと。元々そういう世界なのだから、捨て置いても誰も責めない、と。
 しかし辺見は、少しの間考えて、重たい息をひとつ吐くと、「わかった」と呟いた。その顔は、何かを決意したような色を持っていた。その言葉に、表情に込められた意味を理解した佐久間と源田は、どちらともなく目を見やって、嬉しそうに微笑みあった。

「頑張れよ、辺見センパイ」
「気持ち悪いこと言うな」


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