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 咲山修二は、幼い頃から素行が悪かった。
 十にも満たない頭は学校を「喧嘩相手の居る場所」だと認識していて、自分をニヤニヤと見てくるえばったクラスメイトや、よく突っかかってくる隣のクラスの生徒を相手に取っ組み合いをするのは日常茶飯事だった。その度に呼び出される両親は頭を下げてばかりだったような気がする。少なくとも自分から喧嘩を売った覚えはないのに、いつも悪者にされるのは自分で、あの頃は謝る両親とまたかと辟易した様子の教師たちに、どうにもイライラしていた。今思えば、自分の方が正当であることが認められない理不尽さに納得できなかったのだろう。そのイライラを解消したくて、咲山はテストの点数をからかってくるクラスメイトや、落とし穴を作って嵌めてきた上級生たちに拳を叩き込み、また叱られるという日々を過ごしていた。
 そんな生活をしていれば、周囲の大人たちから「問題児の不良」というレッテルを貼られるようになるのは時間の問題だった。授業に出席しないとか、意味もなく喚き散らすといった多方面に迷惑をかけるような類ではなく、只々両手両足を武器に取っ組み合いを繰り返すという、所謂暴れん坊という意味での問題児だ。しかしそれだって、咲山からすれば理由なく行っているわけではない。やっぱり発端は相手だし、自分はそれを相手にしてやっているだけだ。だというのに、世間はどうして自分をおかしいものとして見るのか。悪いのは喧嘩を買う自分でなく、売る奴等ではないのか。理不尽、理不尽、理不尽。周りとの齟齬に、やっぱり咲山の心のイライラは晴れないままだった。

 そろそろ喧嘩が板についてきたとある日、劇的な出会いがあった。たまたま町の公園で屯していた中学生ぐらいの不良相手に辛勝したときのことだ。殴られ蹴られ、ボロ雑巾のようになっても尚立ち上がってくる咲山に恐れを成した不良たちは、誰かが短い悲鳴を上げたのを皮切りに、手に持っていた獲物を放って逃げ出していった。その後ろ姿を睨みながら、勝った、と鼻をひとつ鳴らした咲山の足元に、それはごろりと転がってきた。使用感がやや見受けられる、草野球で使うような木製のバット。野球に詳しくない咲山は、最初それをただの木の棒だと一蹴しようとしたが、何を思ったのか徐に手に取ってみる気になった。テレビで観た選手のように、持ち手の部分をぎゅっと握ってみる。少し大きい気もしたが、だというのに妙にしっくりと手に馴染んだことに、謎の感動を覚える。試しにぶんと振り回してみて、身体に稲妻が走ったような感覚。確信した。これは俺の相棒だ、と。咲山修二、初めての一目惚れである。

 それからの咲山は、学校での取っ組み合いの喧嘩の他に、バット片手に町の不良たちとも喧嘩をするようになった。自分からは喧嘩を売らず、売られた喧嘩を倍返しで買い、完膚なきまでに叩きのめす。それが、咲山が喧嘩をする上での流儀だった。隠れるようにやっていたそれだったが、どこからか噂話が漏れ出したのか、結果的に咲山は周囲から恐れられ、いつしか一人ぼっちになっていた。だからといってそれが寂しいとか悲しいなんて思うことはなくて、寧ろどうでもいい話題でつるまれる方が騒がしいとさえ思っていたので、何に縛られることもなく、自分のやりたいように振舞える現状になったことに、好ましさすら感じていた。日々喧嘩で傷の絶えない自分を見て、両親は一瞬だけ悲しそうに眉をハの字にし、それからとびきりの笑顔で咲山を受け入れていた。自分の行動を知って尚、普通に接してくる父と母。能天気なのか、愛情深いのか。当時の自分は、そんな彼等をどうにも気持ち悪く感じてしまって、部屋に篭ったり外に出ることが増えた。すっかり手に馴染んでしまったやや大きめの木製バットを傍らに、咲山は鬱屈した感情と共に日々を過ごしていた。

 サッカーとの出会いは、バット同様偶然だった。たまたまつけたテレビで流れていた、少年サッカーの全国大会準決勝。少々荒いプレーの試合を見て、咲山は直感的に思った。「足で喧嘩ができる」と。素手の喧嘩もバッドを振り回す喧嘩も、見つかれば通報や補導といったリスクを伴う危険なものだ。最近は教師だけでなく警察も巡回を強化しているようで、自分のような傾向の人間を窺う様子の大人の気配を感じることが増えて、鬱陶しさを感じ始めていた。そんなところに舞い込んできた、ルールにさえ則れば合法的に相手を攻撃できる方法。喧嘩よりも、圧倒的に、正当性を以って行える行為。この数年喧嘩を主軸に生きてきて、しかしこのところ若干飽きが回ってきていた咲山にとって、この日の出会いはまさに天啓だった。無論、その前提に則れば選ぶ種目はサッカーでなくてもいいし、探してみればもっと暴力的な振る舞いを許される競技はあったのだが、不思議なことに他を調べても、バットを手にしたときの稲妻が落ちたような感覚もなければ、画面の前で感じた心臓を引っ張られるような感情が湧くこともなかった。小学五年生の、年越しを控えた冬休み前のこと。こうして咲山はサッカーの扉を叩いた。
 さて、サッカーを始めるにあたって、咲山にはひとつ問題があった。自分は(自分で認めるのもおかしな話だが)不良である。現在進行形でバットを持ってその辺を練り歩いている少年が持ち物にボールを加えたところで、付き合ってくれる仲間は皆無だ。学校は論外、公園でサッカーをしている同い年ぐらいの子供たちに混じることもできず、かといってどこかの少年チームに所属するのも何となく嫌で、結局咲山は、路地裏の人目につかない壁に向かって、ひたすらボールを蹴っていた。てんてんと跳ね返ってくるボールに空しさを覚えつつも、今の自分にはそれしかできないのだから、続けるしかない。いつか、あのとき見た荒くれ者のプレーを自分もできるようになりたい。そのためにはまず、基礎体力を始め、知識と技術を身につける必要があった。ルールに触れないファールすれすれのプレー。どこまでがセーフで、どこからがアウトになるのか。やりたいことをするには、どのポジションが一番都合がよいか。毎日時間を見つけては練習をしながら、合間に知識を詰め込んでいく。体力は日々の練習で、知識と技術は本やパソコンで見られる動画から。図書館で本を借りるなんて、低学年の頃に学校の図書室利用の手順を覚える際に強要された以来だ。独りぼっちの咲山には、体力をつけ、知識を吸収し、技術を磨くだけの時間があった。昼間は学校の勉強、夜はサッカーの練習とルールの勉強、そして時々徘徊。そんな毎日の繰り返しを、飽きることなく続けていた。

 小学六年生に上がってすぐ、スキルアップのため見に行った練習試合で繰り出されていた必殺技なるものが、咲山の目に映った。横暴、一方的な陵辱とも等しい試合は、多少荒いプレーを見る程度の常人では目を剥く展開だったはずなのだが、咲山はすんなり受け入れ、どころか感動すら覚えていた。その中でも帝国学園という中学校のチームが多用していた技――ジャッジスルー、キラースライド。相手を吹き飛ばすほどの威力を持ちながらも、ファールになるかならないかはギリギリというその綱渡り感に、咲山はバットに、或いはサッカーに出会ったときのように、すっかり心を奪われてしまったのだ。
 あの学校のサッカー部へ入ってあの技を使えるようになりたいと思うのに、時間はかからなかった。帝国学園。調べてみれば、すぐに情報は出てきた。どのサイトを見てもサッカーが強いという情報の他に出てくる単語が“進学校”ばかりで眩暈がしたが、だからといって咲山に諦めるという選択肢はなく、練習の傍ら、受験勉強をするようになった。やはり自分に喧嘩を売ってくる不良たちは相変わらず居るので、彼らとの付き合い(という名の喧嘩)、サッカーの練習、受験勉強のみっつを、上手く配分してこなしていく。何度も、何日も繰り返すうちに、自分の限界が判ってきた。マックスまで出し切らないよう見極めれば、三足の草鞋も意外に何とかなるものらしい。何事も地道にこつこつと積み重ねていくのが一番効率が良いことにも気づいた。いつの間にか、バットや薄汚いサッカーボールに混じって受験用の勉強ドリルが部屋に転がっているのが日常になっていた。目標があって、そのために邁進できるだけの能力が、自分にはある。早く必殺技を覚えたい。そのためには、帝国学園の入学試験に合格し、サッカー部に入部する必要がある。問題を解くスピードは日に日に上がり、学校のテストも徐々に高得点になっていく。クラスで一番だと褒められたときは、柄にもなく嬉しくなった。サッカーの技術も、自己流で覚えた割にはなかなか悪くないと思う。ついこの間、リフティングの回数が自己最高記録を超えた。常識的な時間をサッカーと勉強に、たまにできる非常識な時間を喧嘩に宛てる毎日。町に繰り出すときは、派手な柄のパーカーを着て、フードを被って、マスクをしてしまえば、もう自分を咲山だと認識する者は居ないので気が楽だった。自分からは決して吹っかけず、売られた喧嘩だけを倍以上で返すルールは相変わらずだ。そして、その報復で喧嘩を売られるループも変わりない。終わりのない喧嘩の波に辟易はしていたが、それでも咲山は其処に溶け込むことをやめようとは思わなかった。幾ら日の当たる場所で誠実そうに見せていても、自分から喧嘩は切り離せないものであると、公式を叩き込んだ頭の片隅でずっと思っていた。だけど、バットを捨てるつもりも、サッカーを諦めるつもりも、自分にはなかった。選べないのではなく、選ぶ気もないほど、咲山はそのふたつを抱えて生きていた。

 そして、春。咲山は無事帝国学園に入学した。入学試験と合格発表、その合間に一般解放されたときに数度来た場所ではあるが、この要塞めいた校舎には未だに慣れない。慣れないといえば、両親の涙もだ。咲山の記憶の中での両親は、一瞬だけ悲しそうにするけれど、大概は笑っていた。自分がどれだけ傷を作ってこようと、正当な理由で暴力を奮おうと、両親は大人の前では謝り、自分の前では「修二は自分が正しいと思ったことをしたんだから、胸を張っていいのよ」と言ってくれていた。帝国学園に入学したいと言ったときも、両親は強く止めることも、理由を問い質すこともなく、ただ笑って頷いてみせた。「修二が選んだのならそれでいいの」と。干渉を好まないのが判っていたからか、あまり声をかけられることはなかったけれど、ふと小腹が空いたとき、キッチンに準備されていたおにぎりとインスタント味噌汁に、柄にもなく目頭が熱くなった。そんな風に、いつでも笑顔で居た両親が、合格発表のあのときばかりは、目に涙を浮かべ、よかったよかったと大泣きしてみせたのだ。恥ずかしい反面、今まで苦労をかけてきたのだということを悟ってしまって、咲山はそんな両親にぶっきらぼうにタオルを差し出すしかできなかった。

 見上げた先に聳え立つ、学校と呼ぶには禍々しい威圧感を放つ要塞めいた建築物。ごくりと息を呑み、咲山は大きめの制服に着られながら、一歩を踏み出した。



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