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「おい源田、お前誕生日いつ?」

 一年の秋。鬼道がすっかり帝国学園サッカー部を纏め上げ、順調に戦果を挙げていた頃。今日は週末に行われる練習試合に備えて、練習前に簡単なミーティングを行うことになっていた。とはいっても、相手は帝国からすれば格下も格下で、極論を述べれば、わざわざ時間を設けてミーティングをする必要など見受けられないのだが、万全を期すために、どれだけ弱小だろうと、事前の情報確認は怠らないのが帝国でもある。源田はといえば、幾ら相手が弱かろうと、きちんと情報を頭に置いた上で試合に臨みたいと考えているので、ミーティングを行うことには賛成だ。滅多に此方のMFやDFを振り切って切り込んでくる輩は居ないのだが、それでも万が一、億が一ということもある。無論、チームメイトを信用していないわけではない。寧ろ信用しているからこそ、与えられたポジションでの役割を全うできるよう、源田は情報を仕入れておきたいのである。

 総帥にデータを貰いに行っている鬼道以外のスタメンたちは既にミーティングルームに集まっており、あとはキャプテンが来るのを待つばかりだった。そんな中、ぽやっと真っ暗なスクリーンを眺めていた源田は、不意に辺見にそう声をかけられ、突いていた頬杖をやめて其方を向いた。辺見を中心に数人が身を乗り出して輪になっており、何かで盛り上がっているようだった。辺見の手には、何か小さなノートのようなものがある。

「誕生日か?」
「ああ。この前親が誕生日占いってーの? そういう本買ってきてよ」
「最近女子のトレンドがこの手の類だって知って、本を持ってりゃ寄ってくるだろうと思って持ってきたらしいんだよ」
「ちげーよ! 余計なこと言うんじゃねぇ! ……あー、で、今それをこいつ等とやってるわけ。誕生日をチャートに当て嵌めて、そこから割り出した属性みてーなのを元に、毎月の運勢を見るってやつ」
「ほう……」

 占いといえば、星座や誕生月、血液型といった簡単なステータスから割り出せる、朝のニュース番組や雑誌のいちコーナーという認識しかなかったが、どうやらもう少し複雑なものもあるらしい。そういえば、クラスの女子たちが何やら“パーソナルナンバー”やら“属性”などと呟いていたような気がする。成る程今はこういうのが流行りなのかと、めっきり世間のトレンドに疎い源田は、辺見から齎される情報にほうほうと相槌を打つばかりだった。

「んで、お前誕生日いつ?」
「俺は四月十四日だ」
「意外と早い……ってこともないな。お前、妙に落ち着いてるし」
「そういうものか……?」
「……お前、四月生まれなのか」

 と、輪の端っこで何となく会話を見ていた佐久間が、ぽつりと混ざってきた。驚いたような、ただ確認してみただけのような、心情を汲み取るのが難しい表情。頬にかかった伸びかけの銀髪を手持ち無沙汰気味に指で摘んでみせる佐久間に、源田はああ、と小さく微笑んだ。

「そうなんだよ。時期も時期だから、学年が上がって新しいクラスで友人ができる頃にはもう過ぎてることが多くて、昔は夏生まれ辺りの奴が羨ましかった」
「あー、確かに四月の上旬辺りが誕生日だと、祝ってもらうの難しいとこあるよな。仲良くなったら終わってたとか」
「ま、それを言ったら夏は夏で長期休みに被ってるから、学校で面合わせてフランクにおめでとうも言ってもらえないけどな」

 結局殆どアウトじゃねぇか、じゃあいつならマシか、などと話している横で、辺見はぱらぱらと占いの本を捲り、源田の占いに用いる基礎情報と運勢を調べていた。該当するページを見つけ、ふむふむと斜め読みし、内容を呟く。

「へぇ、お前今月なかなか悪くないっぽいな。「やりたいことには集中的に投資してもよいときです」ってさ」
「ほう……」
「あとは、っと……「近しい人との意外な接点が見つかります。その人との付き合いは長くなるでしょうから、縁を大切にしましょう」だってよ」
「近しい人との接点?」
「女子か?」
「いや女子とは限らないだろ。案外部員の誰かだったりしてな」
「げぇーっ、お前たちと長い付き合いになるとか、俺だったら勘弁だぜ!」
「俺はお前たちとだったら、長い付き合いになってもいいけどなぁ」
「出たよ、源田のいい奴ムーブ」
「実際いい奴だから嫌味も出ねぇわ」

 他人の運勢だというのをいいことにけらけらと笑う彼等と一緒に表情を緩めていると、シュンッとミーティングルームの自動ドアが開いた。赤いマントを翻して入室してきたのは鬼道で、思わず談笑の声が止まる。雰囲気の余韻を感じ取ったのか、鬼道はつかつかと輪の方へ近寄ってきた。

「き、鬼道さん……っ」
「何をやっている」

 ぎらり、とゴーグルの奥の視認しにくい双眸が此方を咎めてきているような気がして、ぎくりと何人かが身を強張らせる。そんな中で、特に威圧を感じていない源田は、先程までの総帥との張り詰めたやりとりを想像し「お疲れ」と労ってから、先程の出来事を説明する。

「それがな鬼道、辺見が誕生日から運勢を見る占いの本を持ってきてるというから、見てもらっていたんだ。意外と面白いぞ」
「占い? そんな不確定且つ曖昧な情報に踊らされる気か、お前は」

 鬼道の声音が僅かに苛立ちを見せた。そういうものは、あまり信用していないのだろう。仮にも神聖なサッカー部の部員たちが、下世話な話題で盛り上がっているのが度し難いという気持ちもあるのかもしれない。萎縮する辺見たちを一度見て、源田は鬼道に向かって静かに言葉を紡いだ。

「何、俺も完全に信じきっているわけじゃないさ。ただ、今後の指針や気持ちの持ち方にほんの少しでも変化が起きるなら、きっかけとしては悪くないとは思う」
「……」
「そうだ、鬼道もやってもらったらいいんじゃないか? やるだけならタダだぞ。話を聞いて、それでも信じるに値しないと思うのなら、それでいいじゃないか。ちょっとした運試しみたいなものだ」
「くだらん」

 双方の意見を立てつつ、やんわりと此方の雰囲気に巻き込むよう提案する。やれば同罪、というわけではないが、この緊迫した空気を打開するには、鬼道が此方を咎めるのを諦めてくれるか、提案を良しとしてくれるかしかない。半々どころか分の悪い賭けであることは重々承知している。案の定、鬼道はぴしゃりとそう言い放って、眉間の皺を濃くし、睨むように源田を見た。

「そういうものに傾倒する輩は、自分に都合のいい言葉だけを掬い取って、悪い結果から目を逸らす。悪い部分を見つめて、改善しようという向上心などまるでない。欲しい言葉を貰えるのなら誰でもいいという無頓着さは、俺からすればあまりに節操がなさ過ぎる」
「流石に限度はあるし、のめり込むのは賛否があるだろう。だが人なんて、自分に都合のいいことばかり並べて生きたいものだ。自己肯定感は大切なものだと、この前の授業でも言っていたじゃないか。それを補ってくれたり、自信をくれるなら、別に与えてくれる相手が親しい奴である必要はないと思うぞ。必ずしも隣人が欲しい言葉をくれるとは限らないからな。それに鬼道、知らないものを十把一絡げにして論うのは、お前にしては聊か短慮じゃないか?」
「何……?」
「知らない分野に一歩踏み込んでみるというのも、見聞広めのために大切なことではないか、と言いたいんだ。現に俺も、さっきまではクラスメイトたちが話しているのを小耳に挟んだ程度で、どういうものかまでは知らなかったし、そもそも占いという文化に興味もなかった。しかし話を聞いてみると、単に運勢がいい、悪いというよりも、こういう方面に気をつけてみましょうとか、こういうことをしてみるのはどうでしょうとか、言ってみれば自分の選択肢を増やし、違った見方を提供してくれるようなものだと思ったな。良し悪しだけを教えてくれるようなものだと思っていたから、少し学んだ気分になったぞ」

 おいそんな深い考えでやってたのかお前、んなわけねぇだろ、という寺門と辺見の小声が聞こえたような気がしたが、幸い鬼道の耳に届いている様子はなかった。ふむ、と考える仕草をとった鬼道は、それもひとつの考え方と理解はしているものの、完全に納得しているわけではなさそうだった。あるだけの持論を展開してみたものの、これでも駄目かと源田は内心冷や汗を掻いていた。既に源田の中では鬼道の誕生日を知って占ってやることよりも、いかにして鬼道を納得させられるかということに目的がすり替わっていた。尤も、その挑戦的な移り変わりを、本人は意識していないのだが。

「……総帥の言葉なら兎も角、顔も知らない他人に道行きを示唆されたり、背中を押されなければならない理由や心情がわからん」
「……じゃあ鬼道は、初詣でおみくじを引いたことがないのか? あれだって、本気でどうこうしてほしくてやるものじゃないだろう? それに神様だって、ある意味では見ず知らずの他人だぞ?」
「む…………」

 思わぬ角度から反論され、鬼道は言葉に詰まってしまった。確かに、神籤を引く理由に何かを求めるといった思惑はあまりなく、しかし書かれている事柄を真剣に受け取ることがないとも言えない。そして鬼道は、直接神の顔を拝んだことはない。無論、教科書や資料集、はたまた神社などで像としての存在を見たことはあるが、それが本物の神の顔であるのかを証明するものは、何処にもない。つまり、他人に身を委ねるという意味では、鬼道は既にそれをしていたということになる。そうなれば、今まで頑なに語っていたことの説得力は著しく下がってしまう。討論と化したやりとりはもう、源田に分があった。

「……四月、十四日だ」
「……え?」
「おお」

 暫く悩んだあと、たっぷりの間を置いてぼそりと呟かれたそれに、一同は目を丸くし、源田はぱあっと顔を綻ばせた。あまり自分のことを話さない鬼道からそういった話を聞けたことに、控えていた辺見たちの緊張もやや解けたようで、本を片手に少し近づいてきた。

「鬼道さん、四月生まれなんですね」
「……ああ」
「ていうか、鬼道さんと源田、誕生日一緒じゃねぇか?」
「確かにそうだな」
「面白い偶然だな。というか誕生日ぐらい、知り合ったときに教えてくれてもよかっただろうに」
「入学してから一週間近くは、部の統率に時間を割いていて急がしかっただろう。そんな暇などない。尤も、俺は入学後すぐに総帥からお前たちのデータを貰っていたから、情報自体は一応知ってはいたが……。それに、わざわざ誕生日など教えて、何か部にメリットがあるか?」
「損得の話じゃなくて、気持ちの問題だよ。忙しかろうと、教えてくれていれば、おめでとうぐらいは言ったさ」
「……あまり、そういうものに意味を見出せなくてな」

 鬼道にとっての誕生日の記憶は、大きく分けてみっつになる。まだ両親が居た頃のもの、施設に入ってからのもの、そして今の家での豪奢なもの。年を重ねるごとに大きくなるケーキや会場の広さに比例して、鬼道の心は空虚さを増していた。この感情を「寂しい」と定義してしまうことは、鬼道財閥の跡取りとして致命的だと思っているので、鬼道は自分の気持ちに見て見ぬフリをして、静かに一日をやり過ごしていた。昔は、こんな風ではなかったというのに。目の前の男はきっと、家族や友人に囲まれ温かな誕生日を過ごしてきたのだろう。それを羨ましいとか、妬ましいと思うことはない。ただ少しだけ、昔を思い出してしまいそうな温度を持つ彼を見て、ふと泣きそうになってしまうだけで。

「そうなると、鬼道さんと源田のお祝いは来年までお預けかぁ」
「部室をそういう目的で開放することはできないだろうな。総帥の許しが出るとは思えない。そもそも、俺は祝ってほしいなどとは一言も……」
「折角の誕生日じゃないか、祝ってくれるというなら、観念して甘んじるのが皆のためでもあるぞ」
「しかしだな……」
「サッカー以外のこともで気持ちをひとつにするというのは、チームの団結が強くなることだと思うんだがな……」
「……源田、お前という奴は……」

 意図的なのかそうでないのか、源田の一言一言はどうにも鬼道の判断を揺らがせる。今だって、最終的にチームの意識向上に繋がるのであれば、例えば自分でない誰かの誕生日に、少しぐらいは総帥に掛け合ってみてもいいかもしれないと思ってしまった。総帥が鬼道のそういった馴れ合いを良しとしない可能性はあったが、もっと試合での結果を出し、一日のノルマやメニューのやりくりができれば。そこまで考えて、自分が誕生日を祝うことや祝ってもらうことを楽しみにしているのではと気づいてしまった鬼道は、ふるふると頭を振って、各自席に着くよう声を張った。

「……鬼道も四月なのか……しかも、源田と同日…………」

 一人席で頬杖をつき、神妙な面持ちでそう呟く佐久間の声は、ミーティングを始めるという鬼道の一言に埋もれて、誰に聞こえることもなかった。



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