10番! | ナノ


「修練場の鍵を貸してほしい?」
「ああ。自主練したいんだ。構わないか?」
「ええ、まぁ。いいですけど」

 そんなやりとりをしてから三時間ほど経ったにもかかわらず、一向に鍵の返却に来ない豪炎寺に、夏未は理事長代理としての仕事を仕方なしに切り上げ、イナビカリ修練場へと向かっていた。つかつかと大股気味に歩く夏未はどこか怒り気味だ。それもこれも、あの男が悪い。校内の鍵を取り纏めなければ自分も帰れない。万一中で倒れられてでもしていたら、それこそ処理が面倒だ。最悪、怪我でもされて試合に出場できないなどとなっては、絶賛常勝中の雷門にとっては大きな痛手になる。それが勝敗に響くようなことがあっては尚のこと。だから、そう、これは理事長代理としても、マネージャーとしても当たり前の行動であって、夏未本人の本心とは関係ないことである。決して心配をしているとか、そういうことではないのだ、決して。

 薄暗くなった通りを進み、修練場の前に立つ。重たい扉を開けば、すぐに中からボールを蹴る鋭い音が一定感覚で響いてきた。はぁ、と頭を抱えて、夏未は中へ入る。ここだと思う部屋を覗くと、マシンガンのような射出機から多角的に放たれるサッカーボールを、延々と蹴り返す豪炎寺が居た。身体は遠目の暗がりからでも判るぐらいボロボロで、かなりの時間練習していたのだろうことは明白だった。転がったボトルはもう空らしく、タオルも乱雑に放られている。こう言っては何だが、あまり豪炎寺という存在に泥臭さや汗臭さといった熱血漢な印象の薄かった夏未は、がむしゃらに歯を食い縛ってボールを蹴り返し続ける豪炎寺に、少しだけ驚いて、しかしすぐに自分の役目を思い出し、目を吊り上げて大声で叫んだ。

「ちょっと、いつまでやっているつもり!?」
「っ、!?」

 突然の横槍に、丁度跳躍しようと足をバネにした瞬間の豪炎寺は踏張り方を間違えて、思わずつんのめり後ろへバランスを崩した。一瞬、豪炎寺の目が苦悶に細くなる。よろけようが何だろうが、ボールは変わらず射出される。放たれたボールに、夏未はひっと小さく悲鳴を上げて、目を瞑った。あわや顔面かと思われたボール、しかし豪炎寺は咄嗟に地に手をつき、右足で反動をつけ、逆上がりをするように左足を大きく蹴り上げた。蹴られたボールは天井に向かって真っ直ぐに伸び、やがて離れたところへバウンドして転がっていった。そして丁度、射出機ががごご、と動きを止める。
 僅かな間沈黙が空間を占める。ふぅ、と安堵の息を吐いたのは、果たしてどちらだっただろうか。

「……雷門。声をかけるなら、もう少しタイミングを見てくれ」
「わ、悪かったわよ……って、そうじゃないわ! 元々悪いのは貴方じゃない! 今何時だと思っているの!」
「そんなに経つのか?」
「あれから三時間よ!」
「……すまない」

 どうやら時間のことなどすっかり忘れていたらしい。本当に持ち込んだのはボトルとタオルだけのようだった。時計などないこの空間に一人で籠もるのなら、せめて携帯辺りを持ち込んでもらいたいものだと、夏未は悪びれもせずきょとんとした表情の豪炎寺を見ながら辟易した。

「まったく、サッカー馬鹿はこれだから……」
「……まぁ、あいつ等も同じようなことにはなるだろうな。特に、円堂辺りは」
「貴方はもう少しマシな部類かと思っていたのだけど、そういえばそんなこともなかったわね」

 人一倍勝つための努力を怠らない豪炎寺の姿を、夏未は短い付き合いながらも知っていた。クールな振りをして、内で渦巻いている炎は誰よりも熱いのだ、豪炎寺という男は。名は体を表すとは、よく言ったものである。

「兎も角、そろそろ切り上げて頂戴。片付けも忘れないでね」
「わかったから、そう目くじらを立てないでくれ。鍵は今お前に渡してしまっていいのか? それとも理事長室へ持っていけばいいか?」
「……はぁ」

 こちらは呆れと微々たる怒りで詰め寄っているというのに、当の本人ときたら言葉ほど反省しているようには見えなくて、夏未はわなわなと唇を震わせたあと、どうにもならないと盛大に溜め息を吐いてみせた。はてなを浮かべたままの豪炎寺からふいと視線を外して、夏未は元来た道を戻っていく。行こうとして、不意に「雷門」と呼び止められた。
 渋々振り向けば、涼しげな表情の――それでもいつもより疲労の色がある目をしている――豪炎寺が、薄く微笑みながら額の汗を腕でぐいっと拭っていた。その姿がどこか様になっていて、思わずどきりとしてしまう。な、と言葉に吃ってしまった。

「何よ」
「あと三十分だけ駄目か」
「……っ、貴方ねぇ!!」

 どうにも、馬鹿は治らないらしい。


×