10番! | ナノ

「豪炎寺〜! 歴史の教科書貸して〜!!」

 朝の練習が終わって早々に教室に突撃しに来たかと思えば、このところほぼ週に二、三度の頻度で恒例となってきている教科書の貸出申し出を声高に叫ぶ一之瀬に、豪炎寺は小さく溜め息を吐いた。

「またか……」
「また!」
「お前、一々教科書類を全部持ち帰って勉強でもしているのか?」
「ううん?」
「じゃあどういうことなんだ……」
「いやぁそれが、時期外れに転入したもんだから、まだ手配されてないっぽいんだよね!」

 この日のこの授業は土門に、こっちは風丸に、これはマックス、アテがつかなければ他にも、と指折り数えながらスケジュールを報告してくる一之瀬。確かに彼の転入時期は変則にも程があるため、教科書が揃っていないという話は本当だろう。同じように時期外れの転入をしてきた鬼道も、最初のうちはサッカー部の面子を頼って教科書を借りに来ていたことを思い出す。だからといって、鬼道はこんな風に楽しそうに借りに来たことなど一度もなかったが。
 この様子を見るに、お帰り願うにはいつも通り教科書を貸すしか道がないようだ。額を押さえた豪炎寺は、背に腹は替えられぬと言いたげに引き出しの中から歴史の教科書と、ついでに資料集もあわせて引っ張り出し、にこにこと笑う一之瀬へと押し付けた。

「汚すなよ」
「わ、珍しく忠告つきだ。豪炎寺は俺を何だと思ってるのさ」
「真面目に勉強している風ではないと、よく土門が言っているのを聞くんでな」
「げぇ、土門たら余計なことを……」
「とにかく、授業はちゃんと受けておけよ。円堂みたいになりたくないだろう?」
「あー……。円堂の勉強の出来はよくわからないけど、引き合いに出されるってことは相当アレなんだね。そうならない程度には気をつけるよ」

 ここで嘘でも「真面目にやる」とは言わない一之瀬は、ある意味で大物だろう。豪炎寺もそれ以上突っ込むことが面倒になってしまったので、少なくとも釘を刺したならマシになるだろうと、それ以上世話を焼く気にはならなかった。これに幼少期からずっと付き合っていた土門と秋は、さぞ振り回されたことだろう。

「じゃああとで返しに来るから!」

 そう言うとたたーっと駆け足で教室を去っていく一之瀬。円堂とは別ベクトルの台風が去ったと、豪炎寺はばびゅんと視界から消えた背中を見て思った。





「助かったよ! Thanks!」

 一之瀬に貸した教科書が返ってくるのは、午前の授業であれば昼休み、午後の授業であれば部活のときだ。大方間休みは教科書を借りに奔走しているのだろう。豪炎寺としても、いつも貸している教科書の授業は一之瀬に貸す前に終えているので、帰宅するまでに返してもらえれば構わないと思っている。そういえば、他に貸し出しを行っているサッカー部の面々は、貸し出しについては苦笑するものの、返してくれないなどという話になることはなかった。恐らく上手く計算して、貸し出し主に迷惑がかからないようにしているのだろう。そういうところで回る頭というのもどうなんだという話だが、それを言ったところで当の本人はけろりと笑って済ませるだろうというのが容易に想像できてしまうので、言及するだけ無駄だろうと、口を開くことはしない。

「流石に、来週ぐらいには届くんだろ?」
「多分そのはずなんだけどなぁ。季節はずれの転校生だから、発注とか手間取ってるのかもね」
「担任に状況確認したりしないのか……」
「いやぁ、滅茶苦茶困ってるってわけじゃないからいいかなーって」

 あまりにもあっけらかんとした一之瀬に、呆れとも怒りともつかない妙な曇りを感じてしまった自分が居て、豪炎寺はふるふると緩く頭を振った。それなりに几帳面な方である自分と大らかな一之瀬とでは、物の考えや捉え方が違うというだけなのかもしれない。ならばそれは個性として受け入れるべきだろう。それに、この底抜けの明るさはどこかの誰かを彷彿とさせて、頭を抱えることはあれど、不思議と嫌えないのだ。

「迷惑かけてるかもしれないけど、部活以外で皆に会いに行けるのもあと何日かだけだしさ」
「普通に遊びに来ればいいじゃないか」
「……えっ、いいの?」

 教科書は押しかけ気味に借りに来るくせに、何故そういうところは控えめなのか。ますます一之瀬の物差しが判らなくなる。本当に、土門や秋、西垣は苦労したことだろう。豪炎寺の中で更に三人の株が上がったのだが、本人はおろか当事者たちにとっても思わぬ出来事であることには違いなかった。

「別にそれぐらい気にしない。俺のところに来ても楽しいものなんてないから、行くなら円堂や松野辺りをおすすめするがな」
「えーっ! でも円堂と豪炎寺ってクラス一緒だし、豪炎寺の方も面白そうだけどなぁ……」
「もっぱら雷門と朝のニュースの話をしたり、鬼道と作戦や練習メニューの話をしたりしているが、混ざるか?」
「エンリョシトキマス」

 判りやすく拒否の姿勢をとった一之瀬に、だろうな、と笑ってしまった。決して頭が悪いわけではないのだろうが、小難しい話を日常的にするタイプでないことは、何となく伺えている。面白みのある話題を振ってやれる自信もないので、大人しく余所に行ってもらう方がお互いのためだ。けれど、きっと一之瀬は何やかんやとこちらにも来るだろうし、最終的に輪に巻き込まれてしまうのだろう。そんな未来を思い浮かべて、豪炎寺はふっと口端を持ち上げる。案外、そういうのも悪くはないと思ってしまったのだ。雷門に来てからは、昔以上に人との輪に混ざることや、会話をすることを楽しんでいる気がして。それを教えてくれたのは、紛れもなく彼等で。

「どうしたのさ豪炎寺、ニヤニヤして」
「……いや、俺も随分と此処に馴染んだと思ってな」
「そういえば豪炎寺も転校生なんだっけ。ねぇ、豪炎寺が転校してきたときってどんな感じだった? やっぱキャーキャーされた?」
「どんなと言われても……。円堂が押しかけてきたことぐらいしか覚えていないな」
「あーしてそう。円堂だもん」

 ほらまた、こうしてペースに巻き込まれてしまう。それを自覚しながらも、豪炎寺の表情はどこかやわらかいのである。


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