text | ナノ




「戸倉」

「…何よ」

「それじゃあ混ぜ過ぎだ」

「…五月蠅い」


がちゃがちゃとボウルの中身を泡立てているミサキの気迫に、流石の櫂も一歩下がらざるを得なかった。
そもそも何故彼女の自宅で生クリームの泡立て具合を指摘して怒られているのか。


彼女の叔父である新田シンにケーキを作りたいと言い出したのはミサキである。詳しい理由は教えてはくれなかったが(問い詰めると後々面倒なことになりかねない)、自分に教えを乞うてきたミサキを見て何かあるのだろうと了承した。
実戦経験を問えば彼女曰く「料理はそこそこ、お菓子作りはほぼ初心者」らしい。ならばケーキではない方が、という意見は飲み込んでおいた。

そして今日、材料を買い込みエプロンと三角巾を装備し意気込むミサキを、同じくエプロンをした櫂が見守るという、よくわからない状況が出来上がっている。


「もっと空気を含ませて混ぜないと、角が立たないぞ」

「わかってる。やってるんだから話しかけないで」

「………」


数日前の控えめな態度は幻覚だったのか、否、元々こういう性格の奴だった。教えてくれと言った割には全く此方の話を聞かないミサキに頭を抱えながらレシピを見る櫂。本来ミサキが見るべきそれを、何故自分が真剣に見ているのかは謎である。
スポンジに関しては出来合いを買うことで合意してくれた。多少不満の残る目で睨まれたが、ミサキの望んでいる完成図に近づける為だと尤もらしい理由を述べれば渋々了承した。その心は、「初心者にスポンジケーキは難易度が高すぎるので止めてくれ、俺の為にも」。


「こんな感じかな」


下手な口出しをしないようにと心がけながら、こそりと上から覗き込んで見てみた。可もなく不可もなく丁度いい具合にホイップされた生クリーム。いいんじゃないか、と返すと恥ずかしそうに小さく笑うミサキは年相応の女の子に見える。いつもこうなら、とふと浮かんだ邪念を払う。いつもこうだと逆に恐いなどと思ってはいない。


「次はスポンジを切るぞ」

「ちょっと、何で言いながらアンタが切ろうとしてんの」

「流石にこれは初心者には…」

「初心者じゃない、ちょっとは経験ある」


さっきまでの笑顔は何所へいったのか、拗ねた表情でナイフを強引に奪い取られた。先日の「ほぼ初心者」宣言とは何だったのだろうか。
これ以上詰め寄っても結果は変わらないだろうと直感で理解できたので、後はミサキに任せようと引く。いよいよ自分がこの場に居る意味がわからなくなってきた。櫂の口出しがなくなったことに満足したのか、ナイフを握り直していざカットへ…というところで、ミサキの動きが止まった。


「……………」

「…如何した?さっさと切らないと、クリームが分離し始めるぞ」

「…いいから、黙ってて」


スポンジを縦横斜めにしながら、如何切ればよいものか悩んでいるらしかった。普通に真横からさくっと切ればいいだろうと一言助言したくなる手際の悪さである。これがことコーヒーになるとほぼ真逆になるのだから、人間理解しがたいものだ。
暫く悩んだ後、恐る恐るといった手つきでゆっくりと横から二等分するミサキの様子を見て、内心ほっとした。切り口が少し(どころでなく)ボロボロなのには目を瞑って、とりあえず切り分けられたスポンジの上に生クリームを塗っていく。


「おい」

「何」

「そんなにべたべたと塗りたくらなくとも、内側は薄く平らに伸ばして塗るぐらいで丁度いい」

「クリームが多い方が美味しいでしょ」

「それは戸倉の私見じゃないのか」

「五月蠅い。困ったら頼るから、其処で黙って見ててよ」


頼むからこれ以上面倒なことにならないでくれ、と願う櫂の思いなど届いていないかのように、ぺたぺたとクリームの山をスポンジに塗りたくっていくミサキ。

それから数分後、出来上がったものを見て櫂は思わず口を押さえた。何をどうすればこんなクリームの塊が出来上がるのか教えてほしいような代物が鎮座していた。ボウルを見れば残りは殆ど無いに等しい状態。この後、苺を並べてもう一度サンドする為や仕上げの為に外側に塗る分が怪しい。飾りのホイップに充てる分など論外だ。
思わず頭を抱えてしまった櫂に心外だと言うように眉根を寄せるミサキだが、当の本人は悪びれた様子も失敗したつもりも無い辺りが達の悪いことこの上ない。


「…戸倉」

「何?」

「……いや、もういい。早くそれに苺を乗せ…埋め込んで、上にもう半分のスポンジを乗せろ。乗せた時にはみ出たクリームを、外側に広げて塗っていけ」


これ以上クリームの塊など見ていられない櫂は早々に指示を出した。とりあえずの苦肉の策である感は否めないが、あまり理解していない風なミサキはそんな作り方なんだと納得して作業に取り掛かり出した。

その後は特に問題なく作っていけた。何とかクリームの間に合ったケーキは、菓子作り慣れしていないミサキから見れば十分できた部類に這入るらしく、ほっとしていた。櫂からすればまだまだ改善の余地はあるのだが、流石に今それを口に出すほど無粋な性格はしていない。
切った苺をトッピングして、櫂お手製の絞り袋に残った少量のクリームを入れて絞り出す。あまりの不手際さに見かねた櫂が、手本代わりに一つだけ絞ったものが容易に判別できる仕上がりになったことにミサキはご立腹のようだったが、何はともあれ完成したことに関しては素直に喜んでいた。


「出来た……」

「俺は疲れた」

「あたしもだよ」


出来上がったケーキを冷蔵庫にしまい、カップを片手に一息つく。インスタントなのにそれを感じさせない程よい苦味のコーヒーを啜りながら、櫂はひたすらこの手際の差に困惑し頭を抱えたくなった。


「訊かないの?」

「何をだ」

「いきなりこんなこと頼んだから、もっと問い詰めてくるかと思ってた」

「…深入りしない方がいいかと思ってな」

「そう…まぁ、そんなに大層な理由じゃないんだけどさ」


ぱきりとクッキーを嗜みながら、ミサキが言う。心なしかそわそわとしているように見えたが、気の所為だということにした。
ミサキから連絡を受けたシンが突撃してくるまで、あと十分。





理由は綺麗に嚥下しました

だってあれぐらい言わなきゃ、一緒に何かしてくれないじゃない?
少しぐらい悟ってくれてもいいとは思うけど、ね。




***
糸吉様リクエストの「優位に立つミサキさんと珍しく圧される櫂くん」になります。
物凄く遅れて申し訳ありませんでした!御希望に添えていない部分が多々ですがどうぞ…!


優位というより邪魔されるのが嫌で文句言いたい放題なミサキさんになってしまいました。申し訳ない…
私的に、素直に「一緒に何かしたいな」が言えないから「手伝って」になるんだよ!と思って書いてました。共同作業恥ずかしがるの可愛い。
ひたすら(心の中で)ツッコミをする櫂くんを書くのは初めてのような気がします。我が家の櫂くんは大抵ボケるので。しかし圧されて…いるのか?


リクエストありがとうございました!



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