text | ナノ
ぽやーっとふやけた視界には染みの無い天井が映る。窓から射し込む日の傾きから察する限り、昼前から今までずっと寝込んでいたらしい。まだ頭も冴えない。そんな櫂だが、一つだけ鮮明に考えられる事がある。
「何故お前が此処に居るんだ」
「五月蠅い」
「不法侵入か、いい度胸をしている……ごほっ」
「布団被ってろ喋るんじゃない!」
とんとん、とまな板を叩く小気味いいリズムに目を覚ました櫂は、何故か自室のキッチンを占領しているミサキに問う。勿論鍵を渡した覚えは無い。此処に這入る手段は自分が持ち合わせているマスターキーと、もう一本のスペアキー(無論貸し出しなどしていない)。となると鍵を破壊してまで乗り込んできたというのか。仲は仲だが、其処までするとは…
「アンタ、鍵開けっ放しだったんだけど」
「………は、」
「三和に言われて来たの。最初はインターホンで声かけて開かなかったら諦めるつもりだったんだけど、予想外にドアが開いちゃったんだよ」
もしかして鍵かけ忘れたの?というミサキの問いに、そういえば学校に行って三和に体調を指摘され自宅に送還されたっきりだと思い出す。自宅に辿り着いた頃には意識も覚束無く、布団に包まる以外を思いつかずにそのまま眠ってしまったらしかった。当然その際の一連の行動や思考など覚えている筈も無い。
暫くしてふんわりと卵を煮た匂いを感じた。むくりと起き上がる。ずっと寝たきりだった所為か、いきなり頭を上げた反動でよろめく。軽い頭痛に頭を揺らしていると、よくドラマ等で見かけるお粥を乗せたお盆を持った姿のミサキが歩いてきた。見慣れない家庭的な彼女に新鮮さを感じつつ、鼻腔に這入り込む暖かい香りが失せきっていた食欲を僅かに誘う。
「食べれる?」
「…そこそこに」
湯気の立つ小鍋から粥をよそった茶碗とスプーンを受けとる。掌に徐々に広がる暖かさに幼い頃をぼんやりと思い出す。漫画などでよくある、こういったシーンでの甘やかしを期待して暫くミサキを見つめていたが、じとりと睨まれ一蹴された。少し侘しくなりながらもそもそとスプーンを口に運ぶ。丁度いい塩加減だった。
「他に何か食べたいものはある?」
「特には…もう十分だ」
「ふーん、飲みたいものは」
「無い」
「そう。じゃあ薬ね」
途端に微妙に眉を寄せた風邪っぴき男をミサキは見逃さなかった。曰く、そんなものは置いていないらしい。櫂の自宅にあまり薬等の処置具が常備されていない事を事前に三和から聞き仕入れていたので、万が一を兼ねて市販の風邪薬を持ってきて正解だったと、目の前の男の自身に対する無頓着さに頭を抱えた。白湯とカプセル薬をシートごと差し出す。
「飲みな」
「何故だ」
「今にも鼻水垂らしそうな奴が言う台詞じゃないんだけど」
「薬でなくティッシュを寄越せ」
「…あんた、鼻から風邪ひくタイプ?」
ミサキの言葉に睨みを利かせながらずるずると鼻をかむ櫂など、とても普段の様子からは考えにくい程庶民的で。思わぬ希少な姿の彼に呆れと笑いがこみ上げる。 櫂の手の内からゴミ箱へ描かれた見事な軌道を見守った後、もう一度薬を押し付ける。押し返される。以下、繰り返し。
「飲めっつってんだろ!」
「五月蠅いっ、誰がこんな人工物なんて飲むものか…!」
「ヴァンガードも人工物だよ馬鹿!嫌いならさっさと飲むか事前に言え!お粥に混ぜ込んだのに!」
「………飲めないわけでは、ない」
いつもの挑発的な態度ではない、年相応な弱り方をした櫂はぽつりとそう言った。じゃあそんなに薬を嫌がるのは何故だとしか言いようが無い。まさか本当に人工物が駄目なんじゃ…それは確実にあり得ないと思ってはいるけれども。ふう、と溜め息を吐いて、再度櫂を見る。そしてその態度の真意を見た。
「…アンタ、こうやって体調崩したり、看病されたの久しぶりなの?」
「っ、」
如何やら図星らしかった。表情の揺れが目に見えてわかる。虚勢を崩され顔を顰める櫂は、ミサキにとって何処か昔に覚えのある表情をしていて。少し、理解が深められたような気がしながら櫂に背を向け座り込んで。思い出すように、一言ずつ噛み締めるように。
「…あたしもね、お父さんとお母さんが居なくなってから、シンさんとか周りの人に『迷惑かけないように頑張らなくっちゃ』ってずっと気張ってて、風邪ひいた揚句長引かせちゃった事があるんだよ」
寂しさの穴の埋め方がわからない不器用な彼等の少ない共通点。決して美しくは無いその繋がりは、不謹慎だが少なからずともお互いの気持ちをわかり合う為の繋がりになっていた。
「多分その頃から、同情されたくなくて周りの優しさを突っぱねてたんだろうね。でも風邪ひいて自分が辛くなった時に、シンさんが凄く心配してくれたんだ。同情とかそんなんじゃなくって、本当に自分の事みたいに慌てるシンさんを見て最初は馬鹿みたいに思ってたんだけど、何でかそれがすっごく嬉しかったの」
「………」
「アンタさ、もうちょっと自分が周りから如何思われてるか、前向きに受け取ってもいいんじゃない?好意も敵意も素直に向き合ってみなよ、案外楽になるからさ」
あたしがそうだったから。 壁を張るだけでは生きていけない事、素直になって自分を振り返ってみる事、他人に甘えてもいいと思えるようになる事。一つずつ自分に許せるようになってから、ミサキの世界はぐるりと変わった。物事や言葉を年相応の感情で受け取れるようになって、誰かと関わる事を苦とする事が少なくなって。 同じ境遇とは言えないが、それでも似た場所に立っている彼女だからこそ、言える事がある。
「アイチだって三和だって、まぁ嫌だろうけど森川とか井崎とかだってさ。アンタと…櫂ともっと近付いて仲良くしたいと思ってる筈だよ。柄じゃないだろうけど、まずはファイトからでも初めてみれば?そういう時ぐらいしか饒舌じゃないんだからさ、アンタ」
ミサキの言葉を受けて、櫂の目が伏せられる。彼女から貰った言葉と想いをゆっくりと噛み砕いて、自分に言い聞かせるように頭の中で咀嚼する。
「……戸倉、」
「ん?」
「…治ったら、ファイトをしよう」
「…ん」
他人を受け入れる前に、まずは彼女を受け入れる一歩から始めよう。
ありのまま、そのまま
「しかしお前、如何してマスクをしてきた」 「うつされたくないからに決まってるでしょ」 「…………」
*** 水無月さまリクエストの「櫂くんのお家に二人っきり」です。勝手に設定つけたしてしまって申し訳ないです… オチは安定の(色々なものを)読み過ぎるミサキさんという事で。
櫂くんのデレの匙加減が何ともわからないのですがいかがでしょうか? 境遇が境遇だっただけに、二人が普通に育っていたらきっと他人と壁を作る事は無かったんだと想像すると、やっぱり二人は不器用なんだと再確認しました(此処までイメージ)。 不器用同士、拙いながらも手を取り合っていく関係は見ていて応援したくなります。
リクエストありがとうございました!
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