text | ナノ


「まさか、アンタが安酒飲む姿なんて見ることになるとはね」

 カコンとタブを切った一本二百円もしない缶チューハイをぐびりとあおる櫂に、ミサキはテーブルに出された海老のフリッターを摘みながら、笑い気味に言った。言われた本人はといえば、安酒特有のツンとした消毒のような味を嚥下してから、そうか、とだけ呟いた。

「俺に缶チューハイは似合わないか」
「なんていうか、そもそも酒のイメージがアンタにないのかな。料理で日本酒とかワイン使ってる姿は想像できるんだけど、それを飲んでる姿が浮かばないっていうか」
「ワインならレンだろうな。この前も突然年代物を送り付けてきた挙げ句、チャットで飲もうだなどと言い出したことがあった。しかも丁度翌日に決勝を控えていたときにな」
「嬉しいけどタイミング的には迷惑すぎる……」
「腹が立ったから買い込んだ牛肉と一気に煮込んでやった」
「うっわ勿体ない」
「サプライズだか何だか知らないが、どこまでが善意でどこからが迷惑なのかの線引きをいい加減覚えるべきだ、あいつは」

 あおるように缶を傾けて、愚痴気味に櫂がこぼす。ミサキはそれをからからと笑って、同じようにカクテルチューハイをくくっと喉に通した。度数が低いせいかアルコールを飲んだという意識は低く、酔った感覚も薄い。ミサキはこれで二本目だが、櫂など既に四本目を空にしようとする勢いだ。櫂が酒を飲む姿を見たことがないわけではなかったが、ここまでハイペースなのは初めてだ。

「なんかあった? 飲むペース早いんじゃない?」
「……向こうでは洒落た店ばかりで疲れただけだ」
「そ、ならいいけど」

 箸の先で角煮を突けば、ほどよくほろりと崩れる。欠片を口に運ぶと、甘っこい醤油の味が冷えた口内をゆるやかに転がる。咀嚼することなく溶けるように消えてゆく角煮に舌鼓を打っていると、またかこんと缶を開ける音がした。

「ちょっと、流石にペース早過ぎでしょ」
「戸倉ももうなくなるだろう。半分やる」
「そういうことじゃなくて……。……はぁ、もういいや」

 今の彼には何を言っても無駄そうだと悟ったミサキは、仕方なさげに溜め息を吐いてから、直飲みするばかりで一向に使うことのなかったグラスを引き寄せた。こくこくと注がれるスクリュードライバーをぼんやりと眺め、注ぎ終えた自分のグラスと櫂の持つ缶とを意味もなく合わせる。飲み始めるときにもやったのだが、今また何となくやりたくなったのだ。櫂は特に驚いた素振りも見せず、ミサキの気紛れに付き合って缶をふらりと合わせた。

「店の景気はどうだ」
「帰ってくる度訊くねそれ。まぁぼちぼちだよ、大会も定員割れ起こすこともあるし。黒字続きとまではいかないけど。店の盛り上げは三和がメインだから、アイツにも話聞きなよ」
「別に構わん。その分だと二号店も相変わらずそうだな」
「クロノがバイト始めて、トライスリーの知名度でお客は増えたみたいだけどね。常連にできるかはシンさんたちの腕に期待ってことで」
「つまり、お前が出ずっぱりであくせく働かなくてはいけないというわけではない、ということか」
「……何、その言い方」

 ミサキが居なくとも問題ないだろう、と言いたげな櫂の言葉に、水を差されたような気分になって、ミサキは低い声を出した。親から受け継ぎ、大切にしてきた店だ。あの店に居ない自分を想像したり、ましてや捨てるだなんて、今更考えられないところまで来ている。何かまた、無茶でもいうのだろうか。少しだけ冴えてしまった頭で身構えたミサキだったが、櫂の返答は予想内というか、予想外というべきか。

「……そろそろ、来てくれてもいいと、思うんだが」
「……は?」
「……追い掛けてきてほしいと、そういうことだ」

 まさか、そんな女々しいことをこの櫂という男が口にするなんて思わなくて――しかしこの話の流れならそう来るような気もしていて――、ミサキはゆっくりと瞬きした。寂しさとか、安堵とか、改めて彼に人のあたたかさがあることを感じた気がした。小さな子供が精一杯気持ちを形にしたようなこそばゆさと喜びを感じながら、ミサキはグラスを傾けた。櫂の探るような、様子を窺う視線に安易に答えようとして、しかし逡巡し、ちびちびと酒を飲む。痛い沈黙の後、はくりと開いた口を一度躊躇ってから、ミサキは再度開口した。

「海外支店ってのも、悪くないかもね」
「……!」
「最後まで聞きな。でもまだ駄目だよ。一応大学行かせてもらってる身だしね。あとはシンさんがしっかりしてくれれば…………まぁ、考えないこともないかな、とは、思ったり……思わなかったり、だけど」

 途中から気恥ずかしさが混じりはじめて、上手く断言するのが憚られた。ここで一言「卒業したら行く」とは言えないのがミサキらしいといえばらしいのだが、と、櫂は酔った頭で彼女の言葉を噛み砕きながら笑った。

「……いいさ、待つ」
「……待ったって、将来あたしが首を縦に振らないかもしれないよ」
「そのときはそのときだが……いいや、じっと待つのも性に合わん。今からでもうんと言わせてやる」
「自己中なのは相変わらずだね、アンタ」
「思わせ振りに俺を焦らすのも変わらないな、お前は」

 どちらともなく獲物を持ち上げて、二人は笑いながら縁を交わした。



***
久々櫂ミサ。
しっとりした大人の付き合い方を書きたかったの……。


貴方のその足りない感じが好き/joy
171231(よいお年を!)
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