text | ナノ

 ぐっと見知らぬ誰かに背中を圧され、間抜けな声が零れた。大丈夫ですか、なんて小首を傾げた囁きは、普通であれば模範的な音量だったが、ごんごんざわざわと五月蝿い満員電車の中では少し聞き取りにくい。休日の電車ってのはこんなに混んでたけっか、と久々に乗った車内で思う。何せこの何年かは思い切った外出をすることもなく細々と生きていたんだ、電車なんて学校行事で遠出するときに乗ったのが最後だったか。

 なんで朝の通勤ラッシュでもない休みの中、こんな満員電車にすし詰め状態にされてるのかっていうと、偏に新導のせいだ。「遠征がてら、余所のショップに殴り込みだ!」なんてメッセージが流れてきたと思えば、あれよあれよという間に集合時間と集合場所まで決まってやがった。オレ殆ど会話に混ざった記憶ねぇぞ。まぁこの流れでオレだけ断るっつー選択肢もないまま当日を迎えて、現在に至るわけだが。

 新導は何でこんな遠くの大会を選んだんだと愚痴りたくなるレベルで車内がきつい。どっかから香水か化粧品っぽい甘ったるい匂いがするわ、たっぷり物の詰まったリュックサックが肩にぶつかるわ、おまけに車体が揺れて足を踏まれるわで散々だ。そうこうしてるうちにいつの間にか新導の姿が見えなくなっていて、俺の隣には慌てて新導を捜すタイヨウだけになっていた。なんか離れたところから新導らしき呻き声が聞こえた気がするから、きっと奴は無事だろう。とりあえず目下は自分たちの安全確保だ。新導は兎も角タイヨウがこの波に呑まれちゃあ、すぐに抜け出すことはできないだろう。めんどくせぇと思いながらも人を掻き分け、人波に埋もれかかってるタイヨウを引っ張り込む。周りには迷惑だろうが、ちょっとばかり強引に動けば渋々といったように人が掃け、ギリギリ二人分ぐらいのスペースができた。

 ガタンッ! と車両が一層揺れて足場がもたついた。そのせいで扉側に寄りかかることになって、腰を折ってドアに手をついた体勢になる。ひゃっ、と細い悲鳴じみた声がすぐ傍から聞こえて、つられて顔を上げて目を剥いた。タイヨウの顔が間近にあった。驚いたのか眉を寄せて泣きそうな表情のタイヨウは、電車の揺れとオレが傾いだことへの心配で口をぱくぱくとさせていた。一方のオレは、思ったよりもこいつとの距離が近いことにぎょっとしていたが、どうにもそのことはこいつの頭にないらしく、しきりに大丈夫かとか何とか言っている(思ったよりも子供らしいというか、丸っこくて女みたいな顔つきだなんて思っていたせいで反応が遅れたのは内緒だ)。

「いや、まぁ大丈夫だけど……お前こそ大丈夫かよ」
「へ、平気、です……う、わっ」
「……ったく、おい、掴んでろ」

 吊り革に掴まれる高さもなけりゃ近くに掴まれるような物もない。このままふらふらされて余所の他人にぶつかられるよりはマシだと、次の揺れで何とか踏ん張っているタイヨウに手を差し出した。一瞬きょとんとしたタイヨウだが、地味にがたがたと揺れ続ける車内に不安の方が勝ったのか、恐る恐るというようにオレの腕を両手で握った。手を握れ、って意味だったんだが、まぁいいか。きゅっと身を縮こませるようにして腕にしがみついてくるタイヨウから、ほんのりと自分のとは違うシャンプーの匂いがして、何故かどきりとしてしまった。どっかからする化粧品の匂いとかと大差ないはずなんだが、今オレの鼻を擽るのはそういう不快感のあるもんじゃなくて、どっちかっつーとやわらかい、子供っぽさの残る感じの匂いだ。
 ガタン、と再度電車が大きく揺れた拍子にオレもタイヨウも身体が傾いで、慌てたタイヨウが片手でオレの腕を、もう片方で俺の上着の前部分を掴んだ。揺れて後ろに煽られたかと思えば、今度は前から引っ張られてつんのめりそうになりながら、どうにかこうにかこけることだけは避けられた。人の量からして派手に転がることはないだろうが、絶対とは言い切れない。ふと視線を降ろすと、ホラー映画の怖いシーンを観たあとみたいにはぁ、と大きく息を吐くタイヨウが、オレの懐に居た。……なんだ、これ。

「クロノさん、大丈夫ですかね……」
「っ、……さっきそれっぽい声がしたし、大丈夫だろ。お前と違って背もあるし」
「ぼっ、僕はまだ中学生ですから! まだまだ伸びるんです!」

 むっと頬を膨らませて怒る姿も女子より女子らしく見える。自覚してやってんなら性質が悪いが、こいつのことだから十中八九無意識なんだろう。まだ中学生だから、丸っこさが抜けないせいでそう見えるんだろうなんて思いつつも、ふとした瞬間の仕草や笑い顔をどうにも意識してしまうオレがいたことを思い出してしまい、なんとも言えない気持ちになる。っつーか、何でこんな真剣に考えてんだオレ。もしかしたら、年下に懐かれたことがないせいで距離間がわからないだけかもしれない。後で新導にも訊いてみるか。

 揺れと、その度に小さく引っ張られる上着と、臭くないシャンプーの匂いに、翻弄されるように人混みのせいじゃない汗をじんわりと掻いていることを自覚し始めて少し。がやがやとした喧騒の中でもうすぐ目的地の駅に着くアナウンスが聞こえてきた。タイヨウを囲うように屈めていた腰を立てて、扉についていた腕も引っ込める。ぐるっと回したい気分だが、もうちょいの我慢だ。
 ぷしゅー、と気の抜けるような音と共に開いた扉に向かって雪崩れ込んでくる人波に流されるがままホームに降りると、後ろの方から間抜けな聞き慣れた声がする。新導の名前を呼びながら手を振るタイヨウだが、背丈のせいでその合図も雑踏に埋もれかけている。仕方なしにオレが手を挙げて新導を呼ぶと、流石に気づいたのか隙間を縫ってこっちに流れ着いてきた。

「お疲れさん」
「はぁ……ショップに着く前から疲労困憊だ……」
「確か、駅から少し歩くんでしたよね?」
「距離に関しちゃ自業自得だろ。おら、大会開始までそう時間ねぇし、とっとと動けよ」
「しんどい……」

 オレたちが見てない間に随分ともみくちゃにされたらしい、くたびれたサラリーマンよろしくぐったりとした新導の尻を叩きながら出口へと向かう。ショップへ向かう道中、やつれた新導を見兼ねたタイヨウが缶ジュースを買って渡してやっていた。車内の喧騒にすっかり疲れたせいで水分が欲しかったオレがその光景を横目に見ながらに買っときゃよかったと地味に後悔していると、ぴとっと頬に冷たい感触が当てられた。ぎょっとして見ればそれは新導に渡されていた物と同じ缶ジュース。犯人は言わずもがな。

「さっき、助けてくれてありがとうございました」
「……ふーん」
「あ、ジュースじゃ駄目でしたか?」
「いんや別に」

 だから、そう小首を傾げるようなポーズをするのはやめてくれ。妙な感覚にどきりとしながらも、お礼にくれると言っているのであろうそれを強引に引き取って、タブを引いて一気に流し込む。くどい甘さが口に残るが、さっきまで掻いてた汗と変な感覚は引っ込んだように思う。オレが缶をあおる姿をやわらかいにこにこ顔で見てくるこいつの顔を、何でかまともに見られなくなって、紛らわすように自分よりも低い位置にある頭を、ぽこんとひとつはたいてやった。痛いじゃないですか、とかなんとか聞こえる悲鳴を余所に、スマホに送られてきていた地図に沿って進んでいく。ファイトに熱中してりゃあ、この変な感じも少しはどうにかなるだろうと、そう信じて。



休日の電車で遠くの町の大会に遠征中のストライダーズ。しかし満員電車の波に飲まれて、気づけばカズマはタイヨウと二人きりに。波に揺られて壁ドン(※語弊)したり思わぬ急接近展開で、下車後には妙にタイヨウを意識するカズマの姿が……!? 的なズマタイがテーマ


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