text | ナノ


皇帝がパティシエなパロディ
櫂くんたちは中学生(性格は原作準拠でありたい)
細かいことは投げ捨ててる




 この街の夕暮れ時の商店街は、夕食の献立を考える主婦や営業帰りのサラリーマンが跋扈している賑わいぶりであるが、一転昼となるとその人波は少ない。平日の日中でもお客というお客は居るが、ふらりと現れる子連れの猫たちが大通りを闊歩しているぐらいには静かで広々としている。休日ともなれば近場のショッピングモールに負けてはしまうが、それでも通り道やらなんやらで此処を通る人は多い方だと、この街に住む人々は思う。要するに、毎日の生活に溶け込むほどに当たり前の、極々普通の、何処ででも見かけるような、変哲のない商店街である。


 そんな商店街から離れた、わかりにくい道を通りこれまたわかりにくい角を曲がっていった先に、その店はぽつんと存在していた。洒落た看板と窓ガラスは真新しく、表にも「新装開店」と書かれた小さなプラカードが下げられている。しかしこの店が文字通りの意味で新装開店してから、とうに一週間が経っていた。のだが、それでもプラカードを下げられずにいるのは、「こんな場所じゃあいつまで経っても気づいてもらえないんだから、せめてこれで目を引きなさい」というオーナーの身内からの助言のためである。
 ピピピ、とキッチン中に響くけたたましい音量のタイマーを止め、ミトンを嵌めた手で大きなオーブンを開けると、熱気と甘い香りがふわっと全身を覆うように吐き出される。天板に並べられていたのはフルーツパイ。網掛けにされた生地や細かな細工、均等に乗せられた果物からは、作り手の几帳面な性格が窺えた。

「うーん、今日もなかなか」

 綺麗に並んだパイをひとつひとつ頷きながら見つめた作り手の男は、まったく訪れない人の気配やら鳴らない店先のベルも無視して、満足そうに微笑んだ。ほぼ思い通りに作り終えたことに満足したらしい彼は、時計を一瞥したあと、紅茶の準備をするためにいそいそとケトルを火にかけ、店内に並べてある棚から茶葉を吟味しはじめた。
 洋菓子店「fortis」はこうして今日も、たった一人の従業員兼パティシエ兼オーナーが、客でなく自分のために菓子を作るという、凡そ店としては機能していると呼べない状態で営業していた。





 帰りの会を終えてすぐ。珍しく公園に集まってファイトしようと言い出したレンから突如お菓子係に任命されてしまった櫂トシキは、待ち合わせの公園に寄る前に街へ繰り出す羽目になってしまった。少々(どころか割と)不服ではあるものの、にこにこと笑うレンの後ろですまなそうに表情を歪めるテツを見てしまっては引き受ける他になく。様々な意味で手間のかかるあのレンの面倒をほとんど見ているのはテツである。できることなら自分の動ける範囲で彼の負担を減らすべきだということは、櫂も重々理解していたのだ。

 一通り商店街を覗いてはみたもののこれといった物はなく、ここら辺で評判のいいケーキ屋は値段の高さに思わず財布を握り締めてしまった。割り勘、と学生らしいことが提案されているからといって、値段の張るものをほいほいと買っていくわけにはいかない。かといって駄菓子屋で黄な粉棒だのラーメンスナックを買い占めていったところで、「しけてますね」とレンが嘲笑してくることはわかりきっている。入手難度の低い在り来たりなものを好まないレンにはいつも振り回されているが、まさかこういった場面でも頭を抱えることになるとは思いもしなかった。第三者からすれば別にいいじゃないかと思うだろうが、櫂からすればこんな些細なことで笑われてちっぽけな自分のプライドに傷がつけられるのは御免である。
 ちらりと携帯を見ると、集合時間まであと三十分。いつまでも項垂れているわけにはいかない。こうなったらスーパーに行って変り種のスナック菓子かバラエティパックを買い込むしかないと意を決した櫂は、ふと商店街から少し離れた人通りの少ない道を見た。
いつもカードショップに行くときに通る道のはずなのに、どうしてか今日は違う気がした。呼ばれているような、誘われるような、不思議な感覚。もしかしたら、こっちにも何かあるのかもしれない。その何かが求めている物であると限らないのはわかっていたが、それでも賭けてみるかと櫂は走り出した。緩やかな走り出しから、ぐんぐんと速度を上げてゆく。この不思議な誘いが何処から来ているのかわからなくなる前に、早く、速く。

 気づけば、賑わっていた商店街が遠くに感じるような距離まで来ていた。道に迷ったかな、と息を切らせながら櫂が顔をあげると、霞んだ視界の端っこに、見慣れない店が映る。きっと此処だと、根拠のない確信があった。ゆっくりと近づき見上げた先には、新しい看板、汚れていない窓、「新装開店」のプラカード。「こんな店あったか?」という疑問に答えるように並んだその三点に、そういうことかと櫂は納得した。

「“a cake”……? ケーキ屋?」
「cakeは英語で洋菓子とも言うんだよ」

 看板の店名の端に書かれた英語に頭を捻っていると、不意に声がかかった。びくりと身体を強張らせて声の方向を見た櫂は、目を逸らせなくなる。蜂蜜色の短髪に空色の瞳、おまけに長身細身。およそ女子の間ではイケメンと称される容姿の男が、ひょっこりと子供のように店の入り口から顔を出して此方を見ていた。フリーズしたままの櫂を見て、男は若干驚いた様子で近づいてくる。男がしゃがみ、櫂と同じ目線になったところで、我に返った櫂はどきりと息を飲んだ。幾ら相手が男といえど、容姿の整った人間と目が合えば羞恥もある。恥ずかしさから頬を染めてしどろもどろに視線を逸らす櫂に、男は嬉しそうに笑った。

「知り合い以外の人が来るなんて初めてだよ!」
「……え……お客さん、来たことないんですか?」
「うん、かれこれもう一週間はね」
「えっ!?」
「ちなみに開店してから一週間経つかな」
「えっ!? ええっ!?」

 突然告げられた驚愕の真実に思わず驚いてしまう。この外観もこの人も、女性が好みそうな見た目なのに。そんなことあるのかと思ったが、自分が此処に辿り着いた経緯から考えても、確かに商店街から離れた位置にある此処は、人目につきにくいのかもしれない。「広告とか入れなかったんですか」と問うてみたが、「そこまでしてもね」という、とてもじゃないが店員とは思えない言葉が返ってきた。だから君が最初のお客さんさ、と男はこそばゆくなるような笑みを浮かべた。何だか頼りなさそうに見えるが、櫂にとっては最後の希望である。一抹の不安を覚えながらも、櫂は恐る恐る今抱える問題を口にしてみた。

「えっと……お客さん来ないなら、ないかもしれないけれど。……お菓子、とか、ありますか。お小遣いで買えるぐらいの」
「え? あるよ?」
「あるんですか!」
「うん。僕、お客さんが来るかとか関係なく作っちゃうからね。好きなんだ、作るの」

 案外あっさりと返ってきた言葉にぽかんとなるが、櫂は安心したようにほっと胸を撫で下ろす。どうやら在り来たりは回避できそうだ。


 ちょっと待っててね、と促されるままに店中に入ると、其処は別世界のようであった。何処の国のものかもわからない洋物の骨董品が所狭しと置かれ、本の挿絵で見たような綺麗なテーブルとチェアが数個、置物に囲まれるように並べられている。菓子を並べるショーケースはどこにでもあるようなもので味気ないが、逆にそのシンプルさが周りの荘厳さによって装飾されているような印象を受けた。外観の落ち着いた雰囲気とは打って変わって、五月蝿いぐらいそこかしこに置かれたアンティークたちに瞬きがとまらない。あの男の趣味なのだろうか。普段の櫂ならばごちゃごちゃしてるなぁと眉を顰めるのだが、此処は何故だか嫌にならなかった。まるで昔読んだ御伽噺の世界に入り込んだような感覚。夢見がちな性格ではないと自負している櫂でさえ夢心地になってしまうような、変わった空間だった。
 壁に飾られた絵画は教科書で見た覚えがあるな、と思いながら、椅子に座って男が来るのを待つ。その間にもぐるぐると視線は忙しなく店の中を踊る。見たことのないものにそわそわしたり、知っているものを見つけてちょっと優越感に浸ったり。いつの間にか、時計を気にすることは忘れてしまっていた。

「お待たせ。ちょっと飾りつけをしていたから遅くなっちゃったよ」

 すぐとも漸くともとれるような、不思議な数分。置き物に目を奪われていると、店の奥から男が手に箱を持って出てきた。クリスマスや誕生日にケーキ屋で見かけるような大きいホールの箱ではなく、お土産に持ち帰るぐらいのサイズのキャリー。軽いのかな、と男からそれを受け取ると、想像以上にずしりと重みを感じる。

「わっ、ありがとうございます」
「三、四人分ぐらいでよかったかな?」
「はい。俺も入れて三人なんで」
「凝ったものじゃないから、あんまり期待はしないでね」
「それ、パティシエが言う台詞じゃないと思うんですけど……」
「あはは、知り合いにもよく言われるよ」

 そのとき丁度ぼぉーん、と店内の古時計が鳴った。瞬間、集合時間のことを思い出した櫂は、わたわたと慌てた様子でカードを買うことぐらいにしか開けない財布を漁り出す。お金なんていいのになぁ、とまたしても店員とは思えない能天気な発言をする男に内心呆れつつ、届く高さのテーブルにじゃらじゃらと小銭を広げる。こんなにきちんとしたもの(推定)を貰ってはと、とりあえず全部置いていくつもりだった櫂だが、出された小銭の中からひょいと百円玉を三枚摘み上げた男は、納得したように頷きながらレジへとそれを放り込んだ。

「あの、お金……」
「初めてのお客様だからね。僕なりのサービスかな? それにこの方が割り勘しやすいだろうし」

 三人だと、これを食べることになる人数を口にしたのは櫂自身だ。しまったとは思うものの、男の心遣いと気さくさに感謝しているのもまた事実である。渦巻く感情でぐぬ、と顔を顰める櫂に、男はぽんぽんと彼の頭を撫でた。気恥ずかしさ故、年頃の男子としては振り払いたいものだが、邪気のない男の笑みを見てしまい押し黙るしかなかった。

「気にしてくれるなら、また此処に遊びに来てくれると嬉しいかな」
「……いい、んですか?」
「勿論さ! 君のお友達にも会ってみたいし、何より話しあ……お客さんが増えるのは大歓迎だよ!」

 今話し相手って言おうとしなかったかこの人。テレビで観るようなぴっしりとした大人とはかけ離れた存在に、若干の戸惑いが生まれる。しかし自分たちとそう変わらない柔らかさには、親近さを感じていた。

「な、何から何まで、ありがとうございます」
「はは、子供がそんなに畏まらなくていいよ。ほら、そろそろ行かないとまずいんじゃないのかい?」
「……あっ!」

 目当ての物も無事手に入れて、いよいよ此処に長居している理由はない。時計の針は既に集合時間を示しているのだ。自分が遅いことに喚く友人とそれを嗜めるもう一人の友人の姿を脳裏に描きつつ、櫂は店を飛び出そうとして、思い立ったように振り向いた。

「……あの! 名前、教えてもらってもいいですか!」

 子供の力で開けられた扉のベルがちりん、と可愛らしく鳴る。
一瞬きょとんとした表情を作った男だったが、すぐに人懐っこい笑みを浮かべて。

「僕は光定ケンジ。此処のパティシエで、オーナーだよ」





(ロールケーキか、作りたてのようだな)
(んー、櫂にしては上々なものを買ってきましたね)
(しかし本当に百円でいいのか? 見たところ見切り品ではなさそうだが……)
(サービスだって。今度お前たちも連れてくる約束で)
(わー! 僕行きたいです!)


ホイップクリームのような笑顔との邂逅
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