さて、ここからは後日談。
その後、このゲームを買った店の話をツェッドさんにすると、是非行ってみたいと言うので、とある日の午後、僕はツェッドさんを連れてあの店へと向かった。ライブラを出るときにザップさんに捕まってしまったので一緒に引き摺ってくる羽目になってしまったのだけが悔しい。わくわく気分のツェッドさんに「魚がお花畑とかメルヘン通り越してホラーもんだぞ」なんて悪態を吐くザップさんだったけど、当の相手が邪険どころか相手にしていないとわかると、舌打ちをしてそれっきり黙り込んだ。
「もうちょっとですよ、あそこの角曲がったらすぐなんで」
「こうも騒がしい街中に、そんな小ぢんまりした店があるんですね」
「プレハブ小屋じゃねぇだろうな」
「どっちかっていうと絵本に出てきそうな木造の小さい家でした……っと、この辺、なん……え?」
角を曲がればすぐに見えるはずの店が見えず、僕は困惑する。まさか夜と昼とで店の印象が変わっているから見逃しているのではないだろうか。そう思い一帯を目を凝らしてみるけど、やっぱり記憶にあるあの店だけが見当たらない。
「お、おかしいな、確かにここの角を曲がった先にあったんだけど……」
「お前酔ってたんじゃねぇの」
「飲んでないしそもそも飲酒運転は犯罪ですよ」
「レオ君、周りの景観は? 夜とはいえ、自販機とか近くのお店とか、他に目に付く物があったと思うんですけど、それはありますか?」
「え、あっ、はい。あの店は帰りがけに視界に映ったし、ここにスクーター停めて、跨って、その位置から見えた景色は間違いないんすよ」
そう、ストラさんの店からちょっと離れた場所にあった雑貨屋は存在しているし、僕がスクーターを停めた位置に立って見える街の風景は、昼夜関係なく同じものだ。ソニックも不思議そうに首を傾げる。今更僕とソニックが揃って幻術にかかってました、なんてことは義眼の関係上ありえないと断言できる。一番ありえなさそうでありえるのが、何らかの事件に巻き込まれて店ごとおじゃんになった説と、単に引越しした説。もしくは空間移動でもする店なのかもしれない。それにしては土地が売り地になってる時点でおかしいけれど。
「あら、若い子がこんなところでどうしたの」
頭を捻る僕たちに声をかけてきたのは、白髪をマーガレットに纏めたおばあさんだった。胸元のバッジを見るに、ストラさんの店から少し離れたところの雑貨屋の店主のようだ。殺風景とは言わないまでも、街中から外れたこの通りに店は少ない。娯楽のほぼないこの場所に、僕たちみたいな遊び盛りの若者がこぞって不思議そうな顔をしているものだから、つい気になって声をかけてきたんだとか。
「あの、ちょっと訊きたいんですけど……」
「構わないよ。ここらに住んで長いし、あたしんとこより上等な店はないけど、いい店も教えてあげるわ」
「此処にお店があったと思うんですけど、潰れちゃったんすか?」
僕の質問に、上品に笑っていたおばあさんの表情が一気に冷たくなった。薄く歪めていた目を開き、あらあらと困ったように顔に手を当て、困惑している。言っていいのか、言わない方がいいか。暫し悩んだおばあさんは、やがてゆっくりと。
「…………あのねぇ、そこに店なんて、ないのよ」
「…………え?」
「寝惚けてるわけでも、酔ったり幻覚が見えてたわけでもなさそうね。でも此処に店はないわ、二年前からずぅーっと」
おばあさんの言葉が飲み込めない。此処に店はない。ならあの日僕が入った店は? 中で見た商品たちは? 優しく話をしてくれたストラさんは? おかしな話に混乱する。実際僕はあの店でゲームソフトを買って、それは今も存在している。ツェッドさんにも見えていたのだから、あれは紛れもなく本物のソフトだ。なのに店だけがない。買った物は本物なのに、店は偽物だったのだろうか。このおばあさんが嘘を吐いている可能性も考えたが、疑ってかかったところで僕の行った店は此処にないという事実が変わるわけじゃない。
「あの、本当にないんですか? レオ君、店主の名前、聞いたりはしてませんか?」
「あっ、そう! ストラさん、ストラ・エヌジェさんって言うんですけど……」
「ストラ……? エヌ、……ちょっと待って頂戴」
そう言っておばあさんは、エプロンのポケットからメモとペンを取り出し、何やらさらさらと書き始めた。おばあさんが少しペンを走らせた後、僕らはそのメモを見せてもらう。「stra・nge」。変なところで区切った単語だなぁ、と思って見てたけど、何度も読み返しているうちにはっとメモの区切りの意味がわかってきて、僕はぞくりと背筋を震わせた。ゲームで暗号を解いていたときの感覚が蘇る。
「なんでぇ、この単語。変なところで中点入れて区切ってやがるし」
「ストレ、ンジェ…………あっ」
「どうした魚類」
「レオ君、もしかしてこれ」
「……多分、ツェッドさんと同じ考えだと思いますよ」
何かに気づいたツェッドさんと顔を合わせる。きっと同じ答えに至ったのだろう、僕もツェッドさんも、頬に汗を掻いていた。暑いからじゃない、悪寒からの冷や汗だった。説明しろと喚くザップさんに、呆れながらも僕らは口を開く。
「まずこのストレは、読みを弄ってストラだと思うんすよ。んで、このンジェはnを「ン」じゃなくて、「エヌ」と読むと、エヌジェとなるわけです」
「それを踏まえたうえでこの区切り方で読むと、ストラ、エヌジェ。レオ君が出会ったという店の店主の方と同じ名前になるんですよ」
これはさながら暗号、アナグラム、発想の転換。見えたものをそのまま感受するんじゃなくて、くるくると視点を変えて見なければわからない。例えば斜めから、例えば引っくり返して。
「ほぉ、で、それが何だってんだ」
「貴方、この単語の意味わかりますか?」
「あ? あー、あー……ウン、ダイジョウブ」
急に片言になるザップさんはやはり教養が足りてないのか。
「胡散臭いんでちゃんと説明しますね。「strange」は奇妙な、とかおかしな、って意味です」
「そんぐれぇ知ってるわ!! 馬鹿にすんな!!」
「間抜け面晒した貴方が言う台詞じゃありませんけど」
憤慨するザップさんを尻目に、僕は数日前の出来事を走馬灯のように思い出していた。あの笑顔、温和な雰囲気、柔らかな口調、僕を見送る優しげな眼差し。そのどれもが肉のある存在からだとすっかり思い込んでいた。
ゾッとするのも無理はない。今まで相対してきた事件は、どれだけ常識を逸脱していようともきちんと実体のある異界生物なりこの街の闇に魅せられた人間なりの犯行だった。しかしこれは。特に悪さをしたわけじゃない、巻き込まれて人が死んだわけじゃない。世界は変わらず回ってる。それなのに、うっすら感じる恐怖は一体何なのだろうか。誰とも共有し合えない空虚さ。この街でも一、二を争えるような不思議な体験をしてしまったのか、僕。
続く沈黙の中、何か納得したようなツェッドさんが。
「じゃああれですか、レオ君の会っていた男性は実は幽霊だったと」
「何でそんな冷静なんすか!? 当事者じゃないから!? 流石に僕も恐怖体験しちゃったなぁってブルッてんのに!!」
「そりゃあ僕だって最初は首を傾げましたけども。でもそんなの、この街に住んでたらおかしいとも思えなくなってきますって」
ツェッドさんの常識思考が汚染され危ぶまれる今日この頃。街の片隅にて幽霊沙汰ひとつでてんやわんやできるのだから、ヘルサレムズ・ロットは平和そのものだろう。
アニメ最終回記念。
これが当たり前でないというのなら、いったい何を日常とすればいいのです
151014