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 舞網市に聳え立つ豪奢なビル。此処に住む人間で知らぬ者は居ないだろうという程に有名なその塾の名は、LDSと云う。
 何処ぞのビジネスビルよろしい造りの其処は、外観に劣らず内装も豪華で、塾生が希望するデュエルスタイルを叶えられるための設備が整っている。プロの排出率も含め、実質市内ナンバーワン塾の声も高い。
 そんな名門であるLDSだが、セミプロ枠があるとはいえ通う塾生たちは子供の割合の方が多く、幾らプライドの高い塾生でもイベント事――例えば世間が盛り上がるような行事――に進んで参加したがるのは、仕方がないといえよう。

 今日。一般的にバレンタインデーと呼ばれる、男女共に一喜一憂せざるを得ない、特に男子にとってはある意味男の友情と沽券に関わる大イベントの開催日。同じ学校に通う生徒同士は勿論、学校が違えども同じ塾に通っているという共通点があれば、チョコレートを渡すのは簡単である。それは此処LDSでも同じこと。
 中でも人気なのが、大会の優勝者や各コースの優秀な生徒たちである。塾にとって有益な結果をもたらしている塾生の大半が男性、しかも彼等は所謂「イケメン」と称される部類の人間で、容姿に加えてデュエルも強い。となれば、女子が寄って集るのは最早必然ともいえる。

 あちらこちらで顔のいい塾生が異性に囲まれ、可愛らしいラッピングのプレゼント袋を貰っている光景の中、ラウンジでボトルのぬるい紅茶を口にした北斗は、辺りのムードに辟易したように溜め息を吐いた。隣の刃も同じく、ペットボトルの炭酸を喉に通しながら、面白くなさそうに頬杖をつく。

「騒がしいもんだな」

「まぁ今日は、その、……ねぇ」

「ったく、どこもかしこもピンクだ赤だってよぉ」

 お互い、この手のイベントには無縁であると理解しているからこその反応。ごちた二人の間にはコンビニの袋があり、中には一つ、何処でも売っているようなチョコスティックの箱がぽつんと入っていた。
 塾に来てすぐ、この雰囲気に居た堪れなくなった二人は逃げるように街へ飛び出したのだが、外は外で年齢層が変わっただけで、漂う雰囲気は塾内のそれと同じだった。立ち寄ったコンビニでも、今からでもすぐイベントに便乗できますよ、と言わんばかりに装飾された一角に群がる高校生らしき女子たちを避けながら買い物を済ませた。冗談のように刃が放り込んだチョコスティックも一緒に買いながら、結局何処に行く充てもないまま塾に戻ってくる羽目になってしまったのだ。絶対に帰るタイミングを間違えている、と思った北斗の予想通り、状況は変わるどころか、人が増して、寧ろ出て行く前よりも集団が多い気がする。

「そういえば真澄は? 今日は見かけてないよな」

「あいつなら、今頃マルコ先生んとこだろうよ」

「あー……」

 ぺりぺりとスティックの箱を開けて、中身を一本銜えながら刃が言う。北斗に箱を向けると、「それは僕の金で買ったやつだぞ」と言いながら箱ごと奪い取られた。
 塾生の女子のように、この日のために数日前からそわそわとしていたのは真澄も同じだった。渡す相手は、言わずもがなである。日頃の感謝にと講師にチョコレートを渡す生徒は珍しくなく、真澄の他にも、「あの先生に渡そうか」「いつもお世話になってるしね」と騒ぐ女子の集団はこの数日、中学校内でも塾内でもそれなりに見かけた。

「手作りって言ってたけど、大丈夫だろうか」

「……マルコ先生の腹が鉄で出来てることを願おうぜ」

「い、いや、真澄もそこまで料理下手じゃないだろ……だよな?」

「俺に訊くなよ……」

 それなりに付き合いの長い関係ではあるが、正直なところ、真澄の料理の腕を二人は知らない。ただ、非常に本人に失礼な話なのだが、普段の真澄の態度や言動を思い出す限り、とてもではないが料理の類ができるとは思えないのだ。それこそ、既製品以上のアレンジが利いたオリジナルが出てくるのか、レシピ通りなのか二度見するレベルの物が飛び出してくるのか、全くもって想像できないほどに。

「女子って、それなりに料理ができる筈じゃあ……」

「わからねぇ。最近は男子の方が料理も菓子作りも上手かったりするからよ」


 数日前、「マルコ先生に手作りのチョコレートを渡すの」と嬉しそうに語っていた真澄。彼女にしては珍しく、年相応のはしゃぎ様であったと思う。あの場で本人に「お前、料理なんてできるの?」などと訊いた暁には、デュエル内外問わず手酷く血祭りに挙げられるのが目に見えていたので、二人とも口が裂けても尋ねることはなかったが。しかし、もし想像の後者だったならば、刃の言うように先生の腹がダメージ無効効果か、何処かの超重武者ばりの守備力を持っていることを願うしかない。何故彼女から貰うわけでもない自分たちがこんなにも恐々としているのか。言いようのない焦りに、知らず知らずチョコスティックを摘む手が進む。

「というか、何でこんなの放り込んだのさ」

「まぁ、ちょっとばかし余興に乗るのも悪くはねぇかと思ってよ。あれだあれ、友チョコってやつ?」

「刃にそういう概念があったんだね。その前に、これは僕が買ったやつだけど」

「固いこと言うなって」

 まさか今日のイベントが男友達とチョコスティックを分け合って終了、だなんてことになったら、それはもう寂しいとかそういうレベルじゃないと考えていた北斗だったが、「友チョコ」と言われると少し嬉しい気分になる。気恥ずかしさを隠すために、箱の最後の二本を纏めて齧ってやった。騒ぐ刃は無視しておく。


 チョコレートを渡すという行為はそう長くかかるものではなく、アイドルの握手会や有名作家のサイン会のように、包みを渡し一言二言話しては居なくなっていく女子の列は徐々に減り始め、一時間もすればあれ程騒がしかった塾内は、すっかりいつも通りになっていた。
 そろそろ講義の時間だと一旦別れた北斗と刃だったが、結局、コース別の教室で分かれるまでに真澄と会うことはなかった。


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