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野坂さんについてのあれこれ(稲妻)





これを書きながらイメージしていたこととか。

個人的に野坂さんは「物や現象に対する好悪はあるけれど、好き嫌いの言葉で定義することはないし、人間に対する感情は基本おざなり(なので興味はある)」をベースにするよう心がけてます。野坂さんにとって“好き”とか“嫌い”とかいう言葉は記号的なもので、心の底からそう思ったから発しているというよりは、感情に対する名前付け(特にポジティブなものに関して)ができなくて、外から知ったデータとか統計と照らし合わせて「ああ僕これが好きなんだな」みたいな、自分の感情を客観的に分析して淡々と語るような人。
好きとか嫌いとかは記号的なもので、特に中身が伴っていたり実感したから使っているわけじゃない。ちょっと気持ちが緩んだとかもやっとしたとかはあるけど、それにどう名前をつけたらいいかわからないから、それならなかったことにしようとなってそのまま。好きも嫌いも万人ならばこうだろうという統計とか勉学上のもので出してる。どちらかといえば嫌悪は何となく根付いてるけれど、好意についてが自分にしろ他人にしろ薄い。「気に入っている」を多様する。
甘ったるい感情は小難しい本とかで知識での把握しかしていない人というイメージ。恋や愛のシステムとか、それがどういう気持ちのときにそういう定義づけをされるものかは判っているけど、肝心の“どういう気持ち”を判っていないというか。だからきっと情愛には疎いし、嫉妬とかやきもちのときに言われる「ちくっとした痛み」は感じるけれど、それがどういう気持ちなのかの正体にはずっと気づかない幼い人。


まぁ現段階での印象というか超個人的な解釈なんで、今後話が進むにつれてもう少し生きてる人間らしさのある野坂さんが見られるといいなって。




2018/08/26


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