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私にとっては至極普通の夕方だった。窓の外から聞こえる、帰宅途中の学生の笑い声を子守唄に、すやすやすやと眠りについてまだ三時間ほど。昼間までかかって仕上げた写真やらイラストやらのデータを先方に送りOKを貰って、数日ぶりに風呂に入り布団に倒れ込んで意識を飛ばした。相変わらず眠りは浅いが気持ちも身体も休まって、ああ、明日の朝までこのまま寝ようなどと、思っていた。のに。


「起きて」
「…………は?」
「起きてよみょうじ」


一瞬、朝がきたのかと思うような爽やかな微笑みが私を見下ろしていた。三日ほど徹夜をしていた私の久々の睡眠を妨害したのは、同じく三日ほど帰って来ていなかった悪魔のような同居人。大きな荷持つを持っているのを見たところ、どこかへ旅行にでも行っていたのだろう。随分と着こんでいる。外はもうそんなにも寒いのか。私は引きこもっているから、確かに寒くはなっているように思うけど、そこまで感じなかった。まあでもこの男は女にも勝る冷え症だから、実際のところはよくわからないな。布団の中はこんなにも暖かいよ。


「寝起き、ブスだねみょうじ」


形のいい唇から発せられるものなんてこんなもの。私が徹夜明けだとわかっているからこそのこの仕打ちなのだろう。くまでもあるかな。鏡なんか仕事中に見ることないからな…一応風呂には入ったが、私は目が悪いし。がさごそと音を立てて、無造作に敷かれた布団の横に座り込んで依然としてにっこりな彼に、ありえないんだけど、と小さく零して頭から布団をかぶれば、布団を引き剥がされて今からまた出かけるけど七時には帰るから何か作っておいてよと言う。あたしはお前の彼女かと突っ込めば、お手伝いさんの間違いだろとまた笑う。そこかよ、と言えばとにかく頼むよ、嫌ならどこか食べに行くから化粧しておいて。それだけは絶対嫌だ。徹夜明けの肌をこれ以上いじめたくは無かった。私が睨むのを無視して、彼はそれだけ言って部屋を出て行く。玄関の扉が閉まるがちゃりという音もすぐに聞こえてきて、ああまたどこか行ったな、そう思って、もう一度眠りにつこうとする。あー、でもやっぱり後が怖いかと、六時にアラームをつけた。一緒に食事を取るのはいつぶりだろうか。なにが食べたいのだろう。というか残念ながら、冷蔵庫の中のものじゃ炒飯くらいしか作れない。

幸村と住み始めたのは彼の大学進学を機にだった。私もグラフィックの専門学校に通い、今年の春に卒業し、不定期にバイトをしながらなんとなく生きている。この家はもともと私が家族三人で住んでいたもので、父の転勤を機に一人暮らしになり、流れで二人暮らしになった。幸村とは小学生の頃からの幼馴染で、親同士も知り合いだ。私たちが二人で暮らしていたところで、ネタにしかならない。

真っ暗な部屋で携帯が光る。リリリリ、と音がなった。六時だな、と思って無意識に消した音、ゆっくりと起き上がると頭が痛い。しばらく固まっていたが、とりあえず何か作らないとと、自分に鞭打って部屋を出る。二階建ての二階。部屋は二つ。私の部屋と、幸村の部屋。どちらの部屋からもベランダには出られる。下にはリビングダイニング、お風呂トイレ小さな庭。家族でもない私たち二人には、勿体無いほどだった。


「やあブス」
「…あれ、まだ六時なんじゃ」


こたつでミカンを頬張りテレビを見る彼の姿は、まったく似合わないけれどもどこか優雅でむかついた。一瞬だけ私を確認して視線をテレビに戻す。もぐもぐ。晩ご飯の前によく食べる。私は冷蔵庫から沸かしておいた麦茶を出してコップについだ。幸村は勝手に私の飲みかけ緑茶のペットボトルを飲んでいる。


「早く帰れたからアラームいじっておいたよ。やっぱりどこか食べに行こうと思ってね」
「えー…化粧するのやだ。コンタクトいれるのもやだ。一人で行ってきなよ。寝る」


私が頭をぼりぼりかきながら、何か入ってるかなと思って再び開いた冷蔵庫を閉めると、テレビのチャンネルを変えながら彼は言う。まあ聞きなよ。真田たちがね、久しぶりに食事でもどうかって言ってるんだよ。そう言われて驚いたように振り返れば、にっこりにっこり魔王さまは、化粧しろよと急かす。懐かしい名前だな。真田たち、ということはテニス部はみんないるのだろうか。確かに、会いたい気もする。


「僕は先に行っておくから。来るなら駅前のファミレスにおいで」


テレビを消して立ち上がる彼を見送って、私は彼が置きっぱなしにしたミカンのカスと緑茶を片づけて、とりあえず部屋に戻る。布団を適当に畳んで鏡の前に立つ。ああ、女子力降って来い。コンタクトを入れて化粧をはじめる。まあ昔馴染みに会うのに化粧もくそも無いのだけど、女に生まれたからにはマナーである。それに、顔を作るのは嫌いではない。コンシーラーでくまを隠して、少し高めの香水をつけた。ていうか香水とかこれしか持ってないし。誕生日に友達から貰ったもので、学生時代から使っている。服はお気に入りの丸襟でレースのついたシャツにぽんぽんのついたニットにショートパンツに黒タイツ、ファーのついたブーツ。幸村あんな恰好だったんだから、もうはいてもいいよね。あと、 紺のダッフルコート。コート二着しかもってないから選択肢無かった。小さな鞄に財布とiPhoneだけ入れて外に出る。寒い。もうこんなにも冬だ。

駅までの道のりは8分ほど。結構大きな駅である。中にはスーパーとファーストフード店、喫茶店、ファミレスは少し歩くけれど、それでも駅前のファミレスと言えばここしか思いつかなかった。


「あ、みょうじ!こっちこっち!」
「意外と集まりいいな…」
「お久しぶりですね」
「元気じゃったかの」
「まあこっち座れってほら!何食う?」


俺はとりあえずミートドリアとさあ、なんて、あの頃のテンションで話しかけてくる丸井に流されて隣に座ると、ぐいぐいとメニューをこちらに押しつけてこれがおいしいとかこれは甘すぎるとかマシンガントークで本当に相変わらず。ほどほどにしろよと声をかけてくれる参謀と皇帝に二人も相変わらずねと言って頬杖をつけば、みょうじは少し痩せたか?とか言う。さすが柳は鋭いなあ。他のことまで見抜かれちゃったらどうしよう。曖昧に笑えば、勝手に丸井がオススメのパスタを頼んでしまった。ジャッカルが、止めたんだけどさ、と申し訳なさそうに笑うので、ああいいのいいの、丸井の選ぶものに間違いは無いだろうし。彼の舌には中学の頃から絶大の信頼を置いている。


「あれ、赤也はいないの?」
「そろそろ来ると思いますよ、一応7時半にと言ったのですが」
「たるんどるな」
「…それ懐かしいね。なんかいいなあ」
「毎日聞いちょる方からしたらもううんざりじゃ」
「あ、仁王は真田と同じ大学だっけ?」
「うむ」
「学部は違うけえ、頻繁に会うわけでも無いがの」
「そっか…」


同窓会みたいだ。立海テニス部黄金時代を支えたみんなに会えるのは随分久しぶり。幸村を通じて真田や柳とは何度か会ったけれど、他のみんなはもう成人式以来か…赤也なんてもっと会っていない。私はテニス部のマネージャーでもなんでも無かったけれど、昔からレギュラーのこいつらには仲良くしてもらっていた。


「おいしいね、トマトクリーム」
「だろぃ!やっぱここはトマト系なんだよなー」
「そのミートソースもトマトだもんね」
「おう」
「あー!みょうじ先輩じゃないっすか!!」
「わあ赤也、久しぶり!遅かったね」
「そうだぞ赤也!たるんどる!」
「うっわ!ちがうっすよ今日はサークルのミーティングが長引いて…って俺仁王先輩にメールしといたのに!」
「プリッ」
「まあまあ。てか背伸びたんじゃない?もう丸井より高い?」
「そーなんすよ!!わかります?」
「ばか!まだ俺のが高えよ!」
「てか先輩めっちゃ久しぶりじゃないっすかー!!なんか大人って感じするっす!かわいいっす!!」
「おい赤也!流すな!!」


ふと、テニスバックを持って現れた赤也になんだか胸が痛くなったのは言わないでおく。みんな大学生にもなれば各々別の道を歩いているが、赤也は大学でも変わらずテニスをしていて、大会でもそれなりの成績を残していると、風の噂。


「それにしても。一緒に住んでいるのなら一緒に来ればよかったのではないか?」
「ああ、幸村のこと?」
「え!先輩…幸村部長と一緒に住んでんすか!?」
「赤也、俺はもう部長じゃないだろ」
「何年引きずってんだよその呼び方」
「話そらさないでくださいよ!え!同棲っすか!え!」
「声がでかい。てか同棲って感じではないかな。同じマンションのお隣さんみたいな」
「でもひとつ屋根の下っすよね!うわ、やらしー」
「これのどこに手を出す要素があるっていうんだい?」
「…すいません」
「おいこら失礼だぞ二人とも」


けらけら笑えば、みんなけらけら笑い返してくれる。少ない友達との再会はとてもいい気分転換だった。一年中ふさぎこんでいる私には。丸井がパフェを注文すると言うので、私もつられて贅沢をすることにした。甘い甘いそれは中学高校に戻るような錯覚を起こして、数時間も滞在していたはずなのに一瞬のように感じた。学校のこと、みんな3年生だからゼミとか、いろいろ話を聞いて、楽しかった。店を出ると、実は知らなかったアドレスの交換やらをして、丸井とジャッカルはまだもう一軒行くと言ってどこかへ歩き出し、仁王は女の子の怒った声のもれるiPhoneを耳にあてたままはいはい今すぐ行くぜよと言って駅に吸い込まれていく。柳生ちゃんは妹に頼まれていたものがあるのだと言って近くのショッピングモールへ。柳は本屋に用事があるようで、なら私も行こうかなと言えば、幸村も来るかと誘ったけれど真田と少し話をすると言って二人で消えていった。私は柳と二人本屋で立ち読みをしている。暖かい空気に、帰りたくないな、と素直に思って少し笑った。


「幸村は、相変わらずなのか」
「え?……どういうこと?」
「昔からお前は、相手にされていなかっただろう」
「はは、随分とストレートに言うねえ」
「早く追い出した方がいいと思う」
「出てってくれないと思うよ…ていうか、今もすでに一緒に住んでるとは言い難いというか、」
「それでも、いい加減に幸村に縛られるのはやめろ」


やっぱりなんでもお見通しかあ、と言って雑誌を置けば、柳はすでに目当ての物を買った後のようで、あーお待たせしちゃってた?と言えば構わないと言う。


「どうせ報われないのがわかっていてそんなことをしているお前がわからない」
「そうだろうねえ。私もわからないよ。どんどん自分がダメになっていってるのだけは明確にわかるけど」
「就職もせずにどうやって食べてるんだ」
「なんかこう、ちっちゃい仕事をもらってちまちまとね」
「…」
「あはは、負け組ってやつ?」
「そんなことはない。もっと自信を持て」
「柳、さっきから意味がわからないよ」


何が言いたいの?そう言えば、お前少し痩せたなと、数時間前の言葉を繰り返した。そうだろうねえ、食べてないもの。そんなこと言えない。言えないのよ。
幸村とは、今日はたまたま話をしたけれど、普段は私が話しかけても無視されるような関係だ。たまに、まるで命令みたいに家事をやらされたり、資料を作らされたり上手く使われて終わる、そんな日々だ。彼と、せめて友達になりたいなんて思う私は、おそらく不毛である。きっと叶わない願いなんかよりもよっぽど、それは途方も無かった。


「いいのいいの。私はこれでいいの」


慣れてしまうことは怖いことだと、人生をもって証明してしまった。柳にごめんねとだけ言って私たちも別れた。一人になる。家に帰れば幸村はまだ帰っていないだろう。いや、今夜帰ってくるかなんてわからない。だって彼と私は家族でも恋人でも、ましてや友達なんかでは、決して無いのだから。



20111128 想い続けているわけじゃない
20140405 書き換え

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