ライがリナリーと打ち解け、新しい教団のメンバー(今の科学班達)とも少しずつ会話をするようになった頃。
「ねえ、ライ」
『ん?』
「ライに紹介したい人がいるの」
『え…』
優しく言ったリナリーに、どことなく表情を強ばらせるライ。
そんなライを見たリナリーは苦笑した。
「大丈夫、今回は科学班の人達みたいに大人の人じゃないの」
『…?』
「私達と同じくらいの男の子よ」
あまり気乗りしないライだったが、リナリーに言われては拒否できず、連れてこられたのは談話室。
誰かに声をかけながらすたすたと入っていくリナリーに続いて、そろりと顔を覗かせた。
「ほら、ライ、早く!」
『っわ…!』
が、覗く前にリナリーに力強く引っ張られ、ライは前のめりで談話室に足を踏み入れた。
「紹介するわ、ライ。彼は神田ユウ。ライと同じ、日本人よ」
リナリーの声に恐る恐る顔を上げると、そこには肩辺りで揃えられた綺麗な黒髪の…
『か、彼…?』
予想以上のその綺麗な顔立ちに、ライは内心も忘れまじまじとその顔を見た。
「……いつまで見てんだ」
『あっ…ご、ごめんなさ…』
「神田!睨まないの!」
じろりと睨まれ、思わず肩をすぼめながら俯くと、リナリーの声の数秒後に小さなため息が聞こえた。
「……神田ユウ」
『え…』
「二度は言わねェ。好きに呼べ」
「あっ、ちょっと神田!」
それだけ言うと、神田はスタスタと談話室から出ていった。
『……嫌われた』
「ふふ、そんなことないわ」
『でも…』
不安げなライに、リナリーはにこりと笑った。
「彼が自分から名前を言うなんて。それに、好きに呼べ、って」
『それが…?』
「神田はね、下の名前で呼ばれたがらないのよ」
* * *
次の日。
リナリーは朝から科学班の手伝いに追われ、ライは一人で食堂に来ていた。
一人では滅多に来ない、まだ慣れない場所。
たくさんの大人が行き交い、鼓動が早くなり、自然と足が動かなくなる。
『…っ………』
やっぱり、部屋に帰ろう…少しくらいなら食べなくても…
そう思ってくるりと踵を返して戻ろうとしたその時、突然誰かに手を掴まれた。
『っ!?』
びくりと肩を揺らして振り返ると、昨日の綺麗な顔がじっとこちらを見ていた。
『……あ、…えと…』
「来い」
『あっ、』
振り払うにも振り払えず、どうしようとオロオロしているライを神田は引っ張っていく。
少し黙って歩いたところで神田は止まると、ざる蕎麦セットが置かれた場所の隣の椅子を指さした。
「ここ、座れ」
『え…?』
「何が食いたい」
『あの、』
「早く言え」
『お、同じので…っ』
一瞬だけ、ふっと笑った神田はすぐにカウンターの方へと歩いて行ってしまった。
ぽつんと取り残されたライは、少し間を開けてから指された椅子へと座った。
「ほら」
すぐに戻ってきた神田は、隣と同じざる蕎麦のセットをライの前へと置いた。
そして自分は今までいたのであろうライの隣へと座ると、黙って食べかけの蕎麦へと手をつけていく。
『あの、』
「…あ?」
『ありがとう』
「……あぁ」
ライは目の前に置かれた蕎麦に目を落とし少し顔をほころばせると、いただきます、と手をつけた。
『……おいしい』
「だろ」
『…蕎麦、前は家でよく食べてた。結構好きで…今日はうどんだって日は蕎麦がいいって駄々こねてたりして…』
「ふ、やっぱりうどんより蕎麦だよな。お前、わかってんじゃねェか」
『えと、神田も蕎麦が好きなのか?』
「まぁな」
二人が蕎麦をすする小さな音だけが二人を囲む。
いつの間にか、周りの音や人が景色の一部のようにどうでもよくなっていた。
「今日はあいつはいないのか」
食べ終わったのか、箸を置いた神田がお茶をすすって言った。
『……あ…リナリーのこと?科学班の手伝いで忙しいらしくて、だから、一人で来たんだけど…』
神田がいてくれてよかった、と困ったように笑うライに、神田はふいと視線を外した。
「またあいつがいない時は、このくらいの時間にここに来ればいい」
『…え、いいの…?』
「お前、そのままだと食わねぇだろ」
『う…』
「来たけりゃ来い」
『…うん、ありがとう』
それから静かな時間が流れ、ライが蕎麦を食べ終わった頃。
ずずっとお茶を飲みながらライは神田の方を向いた。
『神田ってもっと怖い奴かと思ってたけど、全然そんなことなかった』
「あぁ?」
『今も、こうしてオレが食べ終わるまで待っててくれてたろ』
「っ、別に…」
『不器用だけど、すごく優しいお兄ちゃんができた感じだ。オレずっと一人だったから…ありがとう、神田』
照れ隠しなのか、神田はふいっと反対を向いてしまった。
ライはそんな神田にふふっと笑みを零した。
そんなライの声に振り返った神田はぽかんと口を開け、まじまじとその顔を見る。
『…な、何かついてるか…?』
慌てたように自身の口元をゴシゴシと擦るライに、神田は小さく言った。
「お前、普通に笑えるんじゃねェか」
今度はライが口を開く番だった。
『え、どういう、こと…?』
「リナリーからお前の話は少し聞いてた。あいつ以外の奴の前だと滅多に笑わないんだと、言っていた」
『あ…リナリー、そんなこと……全然気づいてなかった…』
「それだけあいつはお前のことを見てるってことだろ。いい親友じゃねぇか」
『………うん』
くすぐったそうに言ったライに、神田は自然と口端を緩めた。
「俺はそろそろ戻る。お前は」
『と、途中まで一緒に行っても、いい、か…?』
「なら早くしろ、置いてくぞ」
『あっ、ちょ、待って神田…!』
ライの返事を聞いてすぐ、自分の食べ終わった食器を持ちながら席を立つ神田に続いて慌てて立ち上がるライ。
二人並んで食器を下げ台に戻し、笑顔で見送るジェリーにおずおずと返事を返して、食堂を出る神田の後を追った。
ゆっくり静かに、少しずつ言葉を交わしながら、団員の自室が並ぶ廊下へとたどり着く。
『あ…オレの部屋、ここだ』
「…そうか。じゃあな」
いつの間にか二人がライの部屋の前に差し掛かったところでライが思い出したように言えば、神田は一人、さっさと足を進めようとする。
『ま、待って!』
が、ライがそれを止めた。
じっとこちらを見つめる神田に、ライはどこか居ずらそうに視線を外した。
『あの、ほんとにありがとな、神田』
「…ユウでいい」
『え、でも、リナリーが…』
「うるせェ、俺がいいって言ってんだ。……またな、ライ」
神田はそう言って、目を開くライの返事を待つことなく足早に去っていく。
『っありがとう、ユウ!』
久しぶりに出した大きな声は、彼の背中に届いたのだろうか。
* * *
『…とまあ、こんな感じかな?ねぇ?』
話し終えたライは緩く首を傾げながら後方にいる神田へ視線を向けた。
神田は相変わらず黙って下を向いていて表情が読めず、起きているのか寝ているのかすら分からない状態だ。
……ただ、ちらりと見える耳がなんとなく赤くなっているように見えたライは、静かに口元を緩めた。
「……なんなんさ…ユウ、普通に良い奴じゃん…」
「ですね…あの神田が…」
予想通りと言ってもいいラビとアレンの反応にライは楽しそうに笑った。
『だから言ったろ?リナリーと同じように、あん時のユウの存在も有難かったし、たくさん助けてもらったんだよ』
未だに微動だにしない神田を見たままライは言う。
つられて他の三人の視線も神田へと向かうが、流石なのか、やはり神田はぴくりともしない。
「あの頃はよく、ライと神田と私の三人でご飯を食べたわよね」
『そうだな。って言っても、大体ユウは無理矢理オレが捕まえてたんだけど』
「あら、でも満更でもなかったんじゃない?」
『えー、それはないよ、たぶん』
「ふふ、どうかしらね?」
リナリーの含み笑いにうーんと首を捻るライ。
「そりゃそうさ!だって両手に花だろ?」
そんなライに、羨ましいさー!と身を乗り出すようにして言うラビ。
アレンも同意なのか、うんうんと頷いた。
「確かに、ライやリナリーが一緒にいる時に食べるご飯はいつもより美味しく感じます。あ、勿論ジェリーさんの料理がいつも美味しいのには変わりないんですが!」
『「「(で、でたな天然タラシ…)」」』
黙って自分を見つめる三人の視線に、アレンはきょとんと首を傾けたのだった。
『………ラビが言うとなんかアレだけど、アレンが言うと普通に褒められてる気分になるのなんでだろうな…』
「酷っ!?」
日頃の行いですよ、と笑うアレンとリナリーに、うわぁぁぁ!と叫ぶラビ。
ワイワイとはしゃいでいる中、ライはとさりと木にもたれた。
自然と、神田との距離が近くなる。
『……あの時は本当にありがとう、ユウ』
ポツリと言ったライの耳に、微かに、フン、と神田の声が聞こえた。