「よっ、治」

相変わらず軽いなあと賢は遼を横目で見る。遼は水と杓の入ったブリキのバケツをがしゃんと下ろした。

遼が帰ってきた後、賢は搾り出すようにして治が死んだということを話した。もしかしたら遼さんは泣いてしまうかもしれない、と思ったが遼は泣かなかった。少なくとも賢の前では。
ごめんな、葬式にも行ってやれなくて。
賢から話を聴き終わったとき、遼は掠れた声でそう呟いた。
その言葉は治へ言ったのか、それとも賢に向けてのものか、もしくはどちらともなのかもしれなかった。
―――来ていたらこの人は泣いただろうか。
灰色の冷たい石の前でふたり手を合わせる。
兄さん。
兄さん、この数年間で僕たちは成長したけれど本当はそんなに変わってないんだ。記憶を無くして、3人で居たことなんてもうずっと忘れてた。だから遼さんも僕も、今やっとあの日から進める気がする。
(そして兄さんも)
賢は目を開けた。

賢の家で、遼は写真を一枚もらった。賢と遼と治と、3人で撮ったもの。これを撮ったのはいったい誰だっただろう。治はやっぱり不機嫌そうに映っているが、ふたりを見る目だけは優しかった。こっちが見てない時だけこんな顔をするんだものなあ、でもそんなとこも治らしいなあと思って選んだ一枚だった。
これを持って、遼はデジタルワールドへ行く。賢といっしょに。

「お帰り」
茶をすすりながらゲンナイは言った。お帰り。いらっしゃいではなく。
皮肉なのか本気で言ったのかは分からない。遼はおー、と言って応えた。
「こんにちは、ゲンナイさん」
「賢か、久しぶりだな」
まるで実家に帰ってきたと息子と孫とそれを迎える老人のようなやり取りを交わすと遼と賢は外に出た。
遼は写真を取り出し、賢とそれを眺めながらあちこちを歩いた。ふたりともいつか治をこの世界に連れて来たかった。それはこの世界のことをふたりだけの秘密にしていたいのと同じくらいに強く願っていた。
あの仏頂面な少年を未知と非常識が溢れるこの世界へ。
3人で。

「兄さん、喜ぶかなあ」
「幸せだろあいつも」

喋る奇妙な生き物に腰を抜かして驚く治を想像して、賢は少し笑った。何笑ってる、と睨む兄はもういない。だけど死んだ兄のことを思って愉快な気分になる日が来るなんて思いもしなかった。
笑う賢を見て遼は思う。少しずつ傷は癒える。跡は薄く残る。でもそれで良い。
(治、大丈夫だ。賢は今ちゃんと幸せだしこれからも幸せだ、きっと)
写真ではなく空に向かって遼は呼びかけた。
「さ、戻るか」
「はい。あ、写真は…」
「返すよ。なくしたくない」
またいつでも見に行けるから、と遼は賢に渡した。賢は少し迷ったが、それを左胸のポケットにしまった。


突然ピリリリ、と携帯電話が鳴った。遼のだ。表示をちらっと見ると、
「賢、先に中入っといて。すぐ行くから」
賢が頷いて歩き出すと、遼は電話に出た。


「もしもし。久しぶりだね、元気?」
『あんたの声きいたら気分が悪くなったわ』


賢はゲンナイの家に戻った。「遼は?」と聞かれて窓の外を指差す。
「電話か。しているところは初めて見たな」
光子郎がお茶を運んで来て、賢とゲンナイに渡す。
「…彼女ですかね」
「光子郎、恐ろしいことを言うんじゃない」
あいつの相手なんて聖母でも出来ないぞ、とゲンナイは言い切った。それは遼さんが耐えられないだろうな、と賢は思った。
『で、何。明日来れるの?来れないの?』
「たぶん行ける」
『何よはっきりしないわね。皆あんたみたいなののために集まってくれるんだから有り難く…』
「嬉しいに決まってるじゃないか。留姫も俺のために来てくれるんだろ」
『本っ当に幸せな頭してるわねあんた!』
ぶつんと切られた携帯電話に向かって、遼はくっくっと笑う。昔同じようなやり取りを治ともした気がした。なんとなく目頭が熱いような気もした。


「おーす、遼帰ってきてるって?」
太一がドアを開けて入ってきた。ヒカリにゲートを開けてもらったのだろう。ひょこっと太一の後ろからヒカリが頭を出した。
「遼さんは?」
全員が窓の外に視線を向ける。
太一とヒカリはそれを追いかけて、こちらへと手を降って歩いてくる遼を見た。
太一は顔をしかめる。

「なんだアイツ、相変わらず幸せそーな顔してやがんな」

ムカつく、と吐き捨てたその言葉に、その場にいた全員が吹き出した。

『僕もまったく同意見だ』

そんな治の笑う声が聞こえた気がした。









去年のアノカソ10周年に何もできなかった悔しさをやっと晴らせました。
私も幸せです。秋山も秋山好きさんも大好きだ!






かみさまあいつは幸せのようですね


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