本の虫とシェイクスピアと僕
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窓際の、校庭がよく見えるあの席。
彼女はいつもそこに座って本を読んでいた。
ページをめくる指が白くて、とても綺麗だったことをよく覚えている。
そんな彼女を、僕は遠くから見ているのが好きだった。何を読んでいるのか、とか、どんな話が好きなのか、とか。まるで好きな人を知りたがっているようにも思える。彼女のこと、まだ、シェイクスピアが好きな女の子ということしか分かっていないのに。
「To be, or not to be: that is the question」
突然、僕の前に来た彼女は、ハムレットの名言を口にした。
「ねえ、あなただったらどう訳す?」
唐突に投げつけられた質問に狼狽しながらも、
「生きるか死ぬか、それが問題だ。だと思いますけど」
と、以前日本語訳されたものを読んだ際に見たそれを挙げた。
「そう」
彼女はただそれだけ零し、視線を手に持っていた本に戻した。
「たくさんの人がその文を訳して、日本語訳だけで40通り以上あるのよ。でも、どれも解釈が違う。40通りのハムレットが存在するの」
「それは、初めて知りました。でもなんで僕に聞いたんですか?」
「あなたのハムレットはどんなものかと気になって。ずっと私を見ていたから」
びくり、と肩が震える。気付かれていた。いや、しかし悪いことをしているのではないのだから堂々としていればいいのでは…けれど見られていることが不快だったのではないか。いろいろと考えを巡らせている僕に、彼女は笑った。
「あなたも本、好きなの?」
その笑顔に、僕は目が離せなかった。
「…でね、かの有名な魔法ファンタジー小説を翻訳した人は、『生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ』と訳しているの。他にも坪内逍遥が訳していてね…」
なんともマニアックな話だ。しかし、目をきらきらさせながらそれを語る彼女はとても美しい。
「坪内逍遥といえば写実主義ですよね。あの書き方、僕は嫌いではないです。」
「そうね、しかしロマンがないわ。北村透谷や森鴎外の浪漫主義の方が好きよ。」
「しかし日本における自然主義と写実主義は大して変わりませんでしたよね。そして浪漫主義から自然主義が派生した。ということは似ているところもあるのでは?」
「日本の自然主義はどうも自分の秘密の暴露をすればいいと思っていて何だか嫌だわ。田山花袋の『蒲団』をこの間読んだのだけれど、あまり好きにはなれなかったわ。」
そう言って彼女は、眉間にしわを寄せながら、長く綺麗な髪を耳にかけた。その仕草が綺麗で、僕は言葉を忘れて見とれていた。
「ん?どうかした?」
そう、僕に笑いかけてきてくれる彼女を見るだけで、心臓のあたりが握りつぶされているようだ。彼女の笑顔を見るだけで無性に泣きたくなった。深く息を吐いて落ち着かせ、時計に目をやって彼女から目を背けた。
「ああ、すみません。これから部活なので失礼します。」
「あら、そうなの。残念だわ。こんな話をできる人があまりいなかったから、とても楽しかったわ。ありがとう。」
「僕もです。」
上手く笑えているだろうか。
心臓が熱い。息を飲み込むことさえ困難だ。
これではまるで、
「あの、僕、よくここに来るんです。だから、あの、またお話できませんか?」
「それはとても嬉しいお誘いだわ。放課後はほとんどここにいるから、部活がないときにでも来てくれると嬉しい。」
「はい。」
図書館の扉を閉めて、それに寄りかかる。
まだ心臓が爆発しそうだ。
思わず零れた笑みを右手で隠しながら、体育館へ向かった。
シェイクスピアがこの恋を叶えてくれますように。
ロミオとジュリエットのように、悲劇にならないことをただただ祈った。
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