雨色モラトリアム
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雨が濡らす君は
大人になりたくない大人で
校舎から一歩外へ踏み出すと、雨の音がした。
バスケ部の練習も終わり、帰ろうとした午後8時のことだった。
確か、今日の天気は晴れだったはずだが。梅雨時の天気予報は難しいと聞くが、今日は大外れだったようだ。念のためと、大きな傘を持ってきておいてよかった。
一般的に雨は疎まれる存在のような気がするが、わたしは好きだ。この跳ねるような水の動きが、好きだ。この時期は、いつもお気に入りの傘と共に通学するのが習慣となっていた。
息の詰まりそうに重たい湿気を大きく吸い込んで、吐き出しながら傘を開いた。星柄の傘。雲で夜空が見えないときでも星が見えるのでとても気に入っている。
くるくると夜空を回転させながら歩き出すと、後ろで「雨?!」という驚きを含んだ声が聞こえた。
振り返るとそこには氷室くんが立っていて、どうやら傘を忘れたらしい。たくさんの雨粒を前に、立ちすくんでいた。
「氷室くん、傘を忘れたの?」
「ああ。今日の天気予報は晴れだったから。置いてきちゃって。」
ここには、わたしたち二人。
わたしが夜空を半分彼に差し出さなければならない状況だということが理解できた。
「仕方ないな、寮まででしょう?入っていきなさい。」
そう声をかけると、彼は目を細めて「ありがとう」と呟いた。
夜空は二人でいっぱいになってしまった。
傘は彼が持ってくれることになり、申し訳なさを感じつつも雨を楽しんでいた。
水溜りをジャンプで避けながら、月明かりのない夜道を歩いた。
「no nameは雨が好き?」
突然投げかけられた質問にわたしは素直に縦に頷くと、彼は再び目を細める。
「子どもみたいで、うらやましいなあ」
バカにしているのかしていないのかわからない言葉を理解できず、眉間にしわを寄せると、彼は小さく笑った。
「ああごめん、悪気はないんだ。ただ、小さい頃に戻れたらなって、思っちゃっただけなんだ」
「どうして、そう思ったの?」
雨とそれが上手く結びつかないことに疑問を持ち、問いかける。すると彼は、眉を下げながら口を開く。
「たとえば、雨が降ると外で運動ができないだろう?でも子どもの頃ってそんなことを全く考えていなくって、雨の中で傘も差さずに遊んだりしてさ。」
確かに雨で体を冷やしてしまうし、こんな田舎の道は、雨が降ると砂利や泥で滑りやすくなる。しかし子どもはきっとそういうことを考えないで、遊ぶことだけに集中するだろう。私の兄も昔はそうだった。
「バスケは室内スポーツだけど、ロードワークとかは外じゃないとできないし。今日の夜もロードワークする予定だったけど、無理そうだね」
傘を叩く雨は、先程よりも勢いを増していた。きっとすぐには止まないだろう。
「俺は、天才じゃないから、努力をたくさんしないと、どんどん力がなくなってしまうんだ。それは、すごく悲しい。」
「じゃあ、氷室くんは雨が嫌い?」
その問いにも、彼は薄く笑っているだけだった。
「寮、着いたね」
「ああ。傘、ありがとう」
「どういたしまして」
結局、彼は雨が嫌いなのかということはわからなかったが、あんなイケメンと相合傘できたということで良しとしておいてやろう。
再びわたし一人だけのものになった夜空を回していると、腕を掴まれた感触がした。
「氷室くん…?」
折角濡れないように傘をさして送り届けたというのに、今雨は彼を濡らしていた。水も滴るいい男とはこのことか、と一人得心する。
「梅雨は好きじゃないけど、きみと過ごす梅雨は好きだよ」
目を見開いたまま何も言えないわたしに微笑み、夜空の下で氷室くんはわたしにキスをした。
「じゃあ、明日」
見とれるような笑顔を浮かべたあと、彼は何事もなかったかのように立ち去った。
キスを、された。
「何が子どものまま、よ…あんなキス、なにも考えていない子どもがすることじゃないでしょう…」
赤くなった顔はしばらく冷めそうになかった。
大人になりたくない大人は
ずいぶんとずるい人間だった
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