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蒼天陰りて

 いよいよ、実技の訓練もスケジュールに挟まれるようになった。
 座学では大方の知識を取り直せてきていると判断されたのなら、それも妥当だと俺は思う。
 俺を選んでいるのだという、羅針盤時計を渡されたときの感覚は言葉にしがたいものだった。これまでは副司令官が管理していたのだが、復帰前の演習テストも近いからという名目で、しばしば俺に渡し直されるようになったのだ。
 手にしたときは、思わずまじまじと眺めたものだ。一見は、鎖に下がっているただの蓋付き懐中時計。なのに、それを退けると顔を覗かせるのは時計と同時に機能するコンパス。それでもそこらのアンティーク愛好家が愛でるものとそう変わりないのに、どうして特別なものとされるのかなかなか実感が湧かなかった。
 使ってみて、特異とされる理由を身に沁みて理解した。
 霊体派遣、という使用者の幽体離脱を意図的に可能としてしまう異常性。そしてあろうことか、ポルターガイスト現象のごとく艦娘の「操舵」を成してしまう容易な支配性。
 新海軍で提督と称される人たちが、稀有と大事にされる所以がよく分かった。ときには敬遠されたり、艦娘とともに差別的な目で見られたりしてしまうわけも。そして、“勘違い”を起こして人道を踏み外してしまう司令官が出てきてしまうきっかけも。
 人でありながら、人としてある意義から一線を画した領域に身を浸している。
 目黒響輔は、そういう異様な世界の底で息をしていた。

 復帰試験を数日後に控えたその日、事前に告知されていた総合作戦が横鎮から展開された。
 おかげで俺は暇を持て余している。
 この前までは演習訓練で時計を持つことが増えたのもあり、なかなか充実した毎日に追いかけられていたのだが……それらを管理し評価してくれていた人たちがこぞって仕事でいないのだ。俺に構ってくれる人は副官曰く「念のため」と寄越された響くらいで、ありていに言えば試験までは休みを貰ってしまっている。
 要も言っていた通り、第七区間は件の作戦には参加枠を設けられておらず、今回は鎮守府近海の警備に艦隊を割かれている。いつもは横鎮所属艦隊をローテーションで回しているとのことだが、しばらくは目黒艦隊一遍頼りだ。トップがおらずとも最古参の艦隊であることには代わりないのだから、という信頼があるのだろう。重くない? 万が一があったらどうするんですか?

「副司令の仕事を、見学しに行こうか」

 昼食を終えておやつ時も過ぎた辺りで、ふと響が提案した。
 見学? と首をひねる。

「ああ。いい勉強になると思うんだ」
「でも、あいつの邪魔になるんじゃないか?」
「大丈夫さ」

 確信を持った声で、彼女は断じた。

「彼女には言われているからね。あまり時間を余しているようならば、来てくれても構わないと」

 あまりどころか、すごく持て余していますとも。
 だったらとお言葉に甘えて、俺は響と一緒に第七区間の司令部に向かった。
 以前に資料室を訪ねたときはちょいちょい艦娘や職員の姿もあったものだが、きょうはまったくと言っていいほど見ない。みんな仕事で忙しいんだろう。

「……静かだなぁ」
「規模のある作戦がある期間は、おおよそこんなものさ」
「へえー。きょうは響しか残っていないのか?」
「そうだね。第七区間は少数精鋭だから。あとは副司令官の――」

 そこで響が言葉を区切る。話しているあいだに到着した、執務室の観音扉をノックしたからだ。

「副司令官。響と司令官だ」
「どうぞ」

 扉越しに聴こえたくぐもった声は、年下の幼馴染で間違いない。
 そのままドアを開けてくれた響に続き、部屋に足を踏み入れる。――司令官の、仕事場。無意識に緊張してしまって、胃がこわばるようだ。
 トップの仕事を代わる副官は、本来は俺が座っているべきなのであろう席で書類にペンを走らせていた。
 その執務机の前に並んでいる客人用と思わしき椅子には、豊かな銀髪に夕日色の瞳を持つ駆逐艦娘――叢雲が腰を据えて本を読んでいる。響が言いかけていたのは、あの子のことか。俺と響をちらりと見て、すぐに興味を失ったみたいに視線を戻る。あ、愛想に欠ける子だ……人見知りなのだろうか。

「忙しいかい?」
「ん? そうでもないよ。私はね」

 たぶん、自分は任務に出ている艦娘ではないから、と言いたいんだろう。

「警備は?」
「んー、特に大事はないかな。向こうから緊急も届いてないしね」
「ならよかった」

 かたわらに置いてある羅針機――羅針盤時計の劣化品でもある子機だ――を一瞥しての返事に、響は頷く。
 要は紙束の並びををトントンと揃えながら、半笑いで俺を見た。

「暇?」
「すげえ暇」
「あはは。何か軽い仕事でも回せたらよかったんだけど、そこまで迫られてもいないからなぁ。秘書日誌でも読む?」
「何それ」
「秘書艦の日誌だね」

 無知を晒す俺に、すかさず響が横からアシストしてくれた。なるほど。

「そうそう」

 と副司令官殿は机の引き出しから、一冊の厚めの冊子を取り出す。

「これまでの把握がてら――」

 俺に日誌を差し出そうとした、その途中。口元をやんわりとゆるめていた彼女の表情が、ふいに凍った。

「――何?」

 一転し、ピンと張りつめた面持ちで日誌を机に置く。代わりに手に取ったのは羅針機だ。目線はどこを――耳だ。自分の片耳に意識を向けている。
 部屋の空気が目に見えて変わった。俺でも分かる。響はしんと要の挙動を見守っているし、叢雲も顔を上げてあいつを見上げている。
 羅針盤時計と羅針機は、使用者と艦娘のあいだに限りテレパシーを使うことができる。
 ――何か、あったんだ。


20171106

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