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傷の痕

 昼食を終えた一清は今度こそ資料室へと向かう。
 知りたいことがあった。
 艦娘の戦いとは、一体どのようなものなのか。
 軍艦の化身だとも言われる彼女たちではあるが、その姿は人間と瓜二つ。
 海軍所属とはいえ、一清は事務中心の仕事をこなしていた。このご時勢めったにあることではないのだが、実際のところ、船に乗って海にでたことはないのである。
 その肩書きとは裏腹に海は眺めるだけの生活。
 だから軍艦がどのような戦いを繰り広げていたのかも知らないし、艦娘のそれなんかは一生縁がないものだと思っていた。
 とはいえ、艦船と艦娘の戦闘方法はイコールではないのだろうということくらいはすぐに見当がつく。
 艦娘は海面を歩く。
 六人構成を基本とする一艦隊――歩兵と同じ扱いなのかもしれない、というのが一清の見解だった。
 点灯してもなお薄暗い資料室の、貴重なデータベースが収納されているパソコンを起動させる。
 そして一清は、自身の予想が当たっていることを知った。
 保管されていた過去の艦娘の演習記録を再生させる。
 あくまで演習なので実践のそれと比べると生易しい緊張感なのかもしれない。だが十分に艦娘の戦い方を知ることはできた。

(……?)

 映像に映っていたのはこの区間に属する天龍と電。電はびくびくしながら海面を滑り砲撃を繰り返す。天龍は、一清は見たことがないような生き生きとした笑顔で剣を振り回していた。戦うことが好きなのだろうか。そして相手となっているのは霞と――あとひとり、見たことがない。
 武装の雰囲気は天龍と似ている。ただ細かなパーツが違う。天龍の頭部に尖るのは角のような部品だが、その艦娘には角が生えておらず、代わりに天使の輪を模したものが浮いている。剣だって持っていない。握っているのは槍のような杖のようなものだ。それに性格も、おっとりとしていそうで。
 誰だこいつは。着任式では見ていない。
 訝しく思い、データベースから与えられた艦娘の名簿を引っ張り出す。見知らぬ艦娘の名前は、やはりそこにはなかった。
 見つからないのなら仕方がない。ブラウザを閉じてパソコンの電源を落とす。
 艦娘について勉強はしている。ただそれでも、一清は部下である彼女たちのことをまだ何も知らない。
 受け持つ四人は先代から引き継いだ艦娘だ。それなりに仲を育んでいても可笑しくないのに、そんな様子は今のところ微塵も見られない。
 古鷹と電は決して不仲というわけではなさそうだった。霞はわからないが、天龍も記録を見る限り他者を好かないわけでもないだろう。
 しかしながら一清は、ここに来て天龍に良い印象を持たれたことが、たぶんない。
 これも上司の言った不幸が関係しているのだろうか。

「――提督。し、失礼します」
「……?」
「あの、お茶を。長いこと篭られていた、ようなので」

 控えめな声音と共に近寄ってきたのは古鷹だった。支えているお盆には、作り置きしておいた冷えた麦茶の注がれたガラスのコップがある。
 古鷹はこの愛想のない司令官に、それなりに気を許してくれている。人付き合いの下手な一清としては、あちらから近づいてきて慣れてくれるのはとてもありがたい。
 浅く頭を下げて麦茶を受け取る。口にすると、長時間画面と向き合いほてっていた思考が冷やされた。気がする。

「何を調べられていたのですか?」
「戦い方。明後日から演習がある」
「演習……」
「お前と、電に頼むことになるだろう。操舵はしない方針で行く」
「……はい。大丈夫。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです」

 歌うように古鷹が言って、小さく笑う。彼女が笑ったのは、初めて見た。
 麦茶を飲み干し、お盆にコップを帰す。

「……お前達は、仲はよくないのか」
「えっ?」

 唐突な問いかけに、退室しようとしていた古鷹は目を丸くする。
 お前達の仲。この提督の指揮下にある四人のことを指しているのだとすぐに気づいた。
 古鷹は視線を彷徨わせ口ごもる。言おうか言うまいか迷っているのか、言葉を選んでいるのか。黙って提督は返事を待った。

「……悪くは、ありません。きっと」
「……」
「でも。最近は、一緒にいること、話すことはとても少なくなりました」
「……そうか」

 いつも通りに短く頷く。その先を促すことはしなかった。
 何かを思い出している古鷹が、とてもではないが見ていられなかったから。
 この場にいることが何かしらの苦痛を覚えたのか、彼女はそのまま頭を下げて一清に背を向ける。

「一六〇〇に買出しに行く」

 またいきなり一清が喋りだす。反射的に古鷹は足を止めた。

「行きたいならそれまでに執務室に。電にも伝えておけ」

 空気を切り替えようと気を使ってくれていたのだろうか。
 それっきり無言になった提督に「わ、わかりました」と戸惑いながら頷いて再び歩き出す。
 ……そして廊下の真ん中でまた立ち止まる。とんでもないことに気づいた。
 買出し。あのひとはさっき、買出しに行くと言ったか。
 思わず窓の外に目をやる。青い空と海原。人気のない倉庫に防波堤。自分たちにとって、視野に広がる世界はそれが全てだったのだ。
 そう。古鷹はおろか、電も、霞も天龍も、この大湊警備府の固定区間から外の陸を訊ねたことなどないのである。

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