羅針盤時計
一〇〇〇。
一清は艦娘三人を連れて大湊警備府の演習海域管理棟を訪れていた。
今回演習の相手となるのは同じく大湊に勤める提督である。
談議室を訪ねると、そこにいたのは三日ぶりの司令長官と、初めて会う若い男女に艦娘と思われる少女が三人。
背後に控える三人が息を呑むのが聞こえて怪訝に思いながらも、一清は姿勢を正した。
「よく来てくれた、鬼丸司令。紹介しよう。ここの第四区間に勤める
星原 颯司令と、
星原 紫乃副司令だ」
「はい。第五区間に先日着任しました、鬼丸一清と申します」
「ああ。紹介に預かった星原だ。同じくこっちは双子の姉の副指令」
「よろしくお願いします」
「んでこっちが駆逐艦の漣と曙に、航空母艦の加賀だ。今回そちらさんの相手をする。第五区間の奴らとはそれなりに見知った仲だ。よろしく頼むよ」
道理で。颯らを見たときの電たちの反応に、握手をしながらようやく合点がいく。
久しぶりだな、とでも言いたげに空いている手で小さく手を振る颯はどうやら人当たりの良い人物らしい。大してその双子の姉だという紫乃は一清と波長が似ているのか真顔を崩さない。
「積もる話もあるだろうが、話はあとにしてくれたまえ。茶会をするのではないのだから」
「了解。……僕と合いそうな奴ってわかっただけでも十分十分」
咳払いをする司令長官に良い返事を寄越しながらも、最期にぼそっと呟かれた言葉に一清は眉を潜めた。それは一体どういう意味を孕んでいるのか図りかねる。
紫乃はあいさつをしに颯についてきたらしい。「私は別件の仕事があるので」と頭を下げて談議室を退室していった。
残された面子は腰を落ち着けて本題に入る。
「さて、それでは鬼丸提督。ただいまより君に羅針盤時計の使用を許可しよう。蓋を開けてくれたまえ」
言われた通りに鋼の蓋を凸面を押して除ける。
現れたのは精密に作られた羅針盤時計の本面だ。方角を示す針は安定して小さく揺れており、時間を指す針は今現在の時刻を着々と刻んでいる。一見どこにでも売りに出されていそうな代物だ。
しかしそれを確認した途端、一清の周囲に滲むように現れた影があった。
それぞれに違う格好をした二頭身の小人のようなものが四つ。
それが妖精だ、と颯は言う。
これは羅針盤を司り、提督にとっては深海凄艦巣食う戦場での付き合いとなる存在だ。
妖精には種類がある。艦娘の武器を操作するもの、入渠や工廠で働くもの。
その他にも羅針盤時計は、所持者が望めば戦力とは別に数人の艦娘を提督に与える。
羅針盤時計の記録を管理する軽巡洋艦・大淀。
食糧管理をもってして艦娘の士気をフォローする給糧艦・間宮。
ドックで働く妖精たちを指揮する工作艦・明石をはじめとした彼女らは、他の艦娘と同じように前世の記憶を持つ者である。
にも関わらず、どういったシステムなのかこれらは本来の戦う力を持たない。彼女達が戦場に赴くには、肉体とはまた別に適合した装備を深海から取り戻す必要があるらしい。
なにはともあれ、いまこの時を持ってして一清は本当の意味で羅針盤時計の使用者となったのだ。
力の扱いかたは教えるよりも実践したほうが早いだろうとのことで、一清は羅針盤時計を開いたことで覚えた不思議な力の感覚に慣れないままに演習をおこなうことになった。
艦娘と別れ、颯と長官と共に場所を演習室に変える。
促されるままに指定された席につき、羅針盤時計に心を傾け目を閉じた。
曰く、こうして意識を落とすことで、本人の精神を完全に伴った生き霊染みたものが艦娘の元に現れるらしい。
わざわざこうして意識ごと戦場に赴かずとも羅針盤との繋がりを通じて現場把握と指揮はできるのだが、今回はこうしろと言われている。
眩しい――目を開けると、そこは既に海原だった。
「し、司令官さんっ」
自分を案じる声に振り返る。見慣れた三人の姿に自分が霊体派遣に成功したことを悟った。
体の調子を確かめる。半透明で海面に立っていて、触覚はないが視覚と聴覚は生きている。
戦場に立つ際はこの姿で指揮をする他、艦娘の意識を乗っ取り直々に操舵をおこなったり、操舵せずとも艦娘と視聴覚を共有することが可能となる。
一般人ならば真似のできようもない異能な力――艦娘と共に提督すらも世間から白い目で見られがちになる理由だ。
晴れて一清もその仲間入りを果たすことになる。
「見たところ羅針盤の機能に異常はないみたいですが……」
だんまりを続ける一清に不安を覚えたのか古鷹が首を傾げる。
『……問題ない』
「だったらすぐに返事くらいよこしなさいったら。演習っていっても油断してたらあっという間よ。向こうにはあの加賀がいるんだし、そもそもあっちの司令官が少しは出来る奴だし」
『…………事前に言ったが視聴覚共有まではしても操舵はしない方針でいく。指揮は執るが一〇〇%信用はするな』
「「えっ」」
いち司令官としてあるまじき指示に電と古鷹が凍りついた。
当然と言わんばかりに様子を乱さなかったのは霞だけだ。
「ま、クズ司令官はまだまだぺーぺーだものね。こっちの計算が正しいと思ったならガンガン行くわよ。文句があるなら止めてみせなさい」
「……わかりました。重巡洋艦としての戦い方、存分にお見せします」
「が、頑張ります。電の本気を見るのです!」
――風に乗って、何かが空を切る音が聞こえる。
四人を取り巻く空気が一変し固く緊張を孕んだ。
霞が上空を睨んで舌打つ。
「加賀の索敵機……! 来るわよ!」
颯は「悪いけど手加減はしない。そっちのがお前さんらの為になるだろ?」と意地の悪い笑みを浮かべていた。相手に不足はない。
かくして、初めての実践演習が幕を開けた。
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