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秘めている

 昨晩よりも和やかな夕飯の時間は、どこか固くも穏やかなままに過ぎていった。
 古鷹と電が寮に持っていった二皿のカレーライスは、一清が風呂を済ませている間にもう二人の艦娘に届けられたようだ。
 一つは空に、もう一つは冷めて帰ってきたそれを、入浴を終えた一清は無表情で見下している。天龍のぶんは手をつけられずに戻ってきていた。
 ごめんなさい、せっかく作ってくれたのに。心底申し訳なさそうにしていた二人を思い出す。あそこまで気を落とさなくてもと思ったが、それだけこの料理をきっかけに残りの二人が心を開いてくれることを期待していたのだろう。
 天龍のぶんは明日温めて自分が食えばいいとラップを張る。霞が平らげてくれた皿と食器を洗って、食堂の鍵を閉めた。

「このクズ。一体なんのつもりなのよ」

 翌日朝一番に霞が執務室を訪ねてくるなどと一体誰が思っただろう。
 本館はまだ閉館してあるため解錠はこれからだ。どうやら合鍵を使ったらしい。
 ドンドンとやかましく執務室のドアを叩かれ、開けてみたらこれである。
 先の二日間で一切コンタクトを計ってこなかった娘がどんな気の変わりようだ。
 とんと不思議な気持ちを込めてじろりと見下ろせば、駆逐艦の少女は提督の目つきにおののく様子を見せながらも果敢に食って掛かってきたのであった。
 なんのつもり、とは。放たれた言葉の意図が読めずに無言を貫いていると、その反応が不快だといわんばかりに霞はますます眉を吊り上げる。バンッと扉が乱暴に叩かれて悲鳴を上げた。

「あたしたちを懐柔して何をたくらんでいるのって聞いてるの!」

 年甲斐もなく一清は心の底から首を傾げるしかなかった。
 霞の態度が自分の中に踏み込まれることを拒むそれだということはわかる。
 ただ、たくらむとは、一体なんだ。何をだ。

「――ああもうっ。面倒がすぎるったら! 一体なんなのよ! 何がしたいわけ!? ちょっと優しくすれば都合の良い人形になるとでも思ってるの!?」
「……やさしい、とは」

 ここで初めて一清は喋る。

「特別優しくした覚えはない。誰にも」

 本音だった。一清はただ艦娘をヒトとして扱っているだけで、わざわざ心まで配った覚えはない。ただでさえ突然提督に着任せざるを得ずわりといっぱいいっぱいなのだ。そこまで器用なことはできないと自負している。
 本当に優しいなら自分なんて放っておいてまず真っ先に彼女らの抱えるしがらみを解決せんと奔走するだろうし、もっと細やかに周囲を見渡し与えられた艦娘を出来うる限り知ろうとするだろう。
 わざわざそこまで踏み切る甲斐性も世話焼きスキルも一清とはほど遠い。
 彼はここに来るまで会いに来ない天龍も霞も放置している。霞とてそのことはわかっている――この先二人が自ら接触してこなければ、この関係はいつまでも続くだろう。古鷹と電は少なからず自分から一清に関わろうとした。だから一清も応えることができるだけだ。
 気を配ることも跳ね除けることもせず、一清はただ受動的で、追うことも拒むこともしていない。
 自分は誰かと――特に異性と――関係を育む力が一等なっていないから、第一印象で無闇に怖がらせないようにそうすることが自然なのだ。
 霞は絶句した。
 着任式以来会っていなかった男の有様が、想像のどれとも違っていたから。化けの皮を剥ぐどころか、この男はまずその皮を持っていないのだから。
 同時に失望する。だって関わってきたものとしか関わらない一清は、それ以外に対しては無関心で――無関心の対象であろう自分と天龍はいつ切り捨てられるかわからないじゃないかと思い至ってしまって。
 霞は認めてはいないが提督である一清に必要なのは彼が戦いで使える艦娘だ。何をたくらむでもなくただ提督としてここにあるからには、そういうことになる。
 たとえ命令に背く娘とあれど、羅針盤時計の力を使えば操舵をもってして従えることは可能である。だが一清は、きっとそういうことはしない。しないだろうと、霞は安易に予測できてしまった。

「じゃあ、何」

 だったら、その使えない無関心の対象の行く末はひとつだけだろう。

「いらないなら、捨てるの。あたしたちを」

 珍しいこともない、寧ろ扱う側から考えれば当然な自分たちのひとつの結末であろうに。冷気を孕ませたかった声は震えていた。
 そして一清は。霞のどこか怯えるような顔に、ここに来て初めて笑みを浮かべ――なんてことはなく。

「――は?」

 この世の気に食わないヤツすべてを視線で射殺してしまいそうな目をますますきつくして、たったひとつのひらがなに感情の全てを乗せていた。なにやら霞の中でとんでもない誤解を招かれていないかと気づく。
 は? と思わず霞も目を点にする。いや何故お前がそんなリアクションをするんだ、と問いただしたい。

「捨てるって、どうして」
「えっ……それは、だって……」

 そういう関係じゃないか、と言おうとして。霞は一清に自分たちを捨てる選択はハナからないのだとようやく気づいた。
 台詞の途切れた霞に代わり、眉間に皺を深く寄せた一清は溜息を吐く。何が好きで朝からこんな腹のもたれる会話をせねばならないのか。

「捨てはしない。捨てられたいと望むならそうするが」
「はっ、はあ!? ふざけるんじゃないわよっ、誰がそんなこと好きで頼むのよ! クズにこの命握られてたまるか――ああいや、握られてるのは確かだけど――ってバカじゃないの!? なんで捨てないのよ。言うこと聞かない兵器なんてさっさとバラしちゃえばいいじゃない!」

 言いたい放題である。
 ついには眉間を押さえて俯いた一清に、霞は肩を揺らした。流石に怒鳴られるかもしれない。この人相の持ち主だ。怒鳴られることは怖くはないが、それなりに迫力はあるに違いない。

「……先代がどうだったのかは知らんが、艦娘にも自我がある。俺と関わったり戦うのが嫌ならそれでいい。無理に戦わせたりすることはしないし、だからといって捨てたりもしない。好きにしてろ。……丁度良いから天龍にもそう言っておけ」

 これ以上女特有の声できゃんきゃん吼えられてはたまったものではない。
 霞は要するに自分の扱いを知りたかったのと、提督を見極めたかったのだろうと結論付け、一清は彼女の横を通り過ぎて廊下に出る。いい加減に本館の解錠と朝食作りに手をかけたかった。

「――なんなのよ。今更こんなヤツ選ぶだなんて……」

 ぽつりと呟かれたのは一清を示した羅針盤時計への文句であるようだ。
 一清が振り返ると、霞は執務室に続く両開きのドア一つの端を強く握り締め、床を睨みつけている。小さな手は力を込めるあまりか震えていた。
 見られていることを察した霞がのろのろ見返してくる。

「お前達の理想の提督は、どんな奴なんだ」

 ついそう訊ねてみるがしかし、霞は応えることができないようだった。
 何気ない質問のつもりだったがいじめ過ぎたらしい。己の発言が失態だったと悟り、空気を変えるために新しいきっかけの一言を探る。

「朝飯はどうする」

 それしか脳がないわけではあるまいに。
 電のときも古鷹のときも、似たようなことを言った気がする。

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