ブルータス、お前もか
シキさんが「隠れ家」と呼んでいる場所には、多くの人がいる。そこは氷蝕体の影響をさほど受けてはいないらしい島の側部にある岩棚だ。氷が張るたび、大きくなる前に砕いているらしい。事前に聞いていたように、みんな死んだように眠っている。彼らの手持ちを借りて、体温の保持だけは随時おこなっているのだそうだ。
サイカはその中をきょろきょろ見渡し、一人の男性に駆け寄っていく。じっと見つめ、寝ている顔を何度かつついて、それからぺたんとその場に座り込んでいた。あれは泣いているな。しばらくそっとしておこう。
岩棚の淵にまで移動して座る。
夢を、見ているみたいだ。落ち着いて現状を把握し直してみる。
一つ。大阪城から消えてしまったシキさんは生きている。
二つ。サイカの前から消えてしまったソウキさんも生きている。
三つ。私が乱世によみがえる前から彷徨い、やがては世界から消されてしまったのだという人たちも――みんな生きている。
こんなことって、あるか。あるのか。都合が良すぎない? あとで落とされない? ほんとうに? 信じて、いいんですか。私が感じていた罪悪感や虚無感は全部無駄になったんだって、私の立っているここはさっきよりもすとんと低くなったんだって、思ってしまっていいですか。
シキさんは世界を渡る前、起こった人災に巻き込まれた人数を確かめたらしい。曰く、これで全員。それどころか、「あたしがいなくなってからの人もいるっぽくて、少し多い」と。どんだけのあいだを単身、やぶれたせかいで走り回ったんだって話だ。MVPじゃんか。
「……よかった」
本当に、よかった。
呟くと、眼の奥が熱くなってきたので慌てて気を張り直す。エンディングまではまだ遠いんですよ。戦いはこれからなんですよ。両頬を軽く叩いて、深呼吸をする。
てんかいへの道のりは、シキさんが知っている。
やぶれたせかいで過ごす最後の夜。食事を終えると始まったのは話し合いだ。
「てんかいに行ったら、カナメさんは氷蝕体を壊すんですよね」
スターミーのコアを磨きながら、シキさんが尋ねた。私はゴレムスの背中を掃きながら頷く。
「私なら壊せるから……壊しに行って来ます」
ほかの人に出来るなら押し付けたいくらいだ。そのほかがいないのだから、仕方ない。
てんかいがどうなっているのかは分からないが、おそらく一面氷の世界であることは違いないだろう。その中で私は、真っ先に氷蝕体の本体を探しに行くつもりだ。途中で凍っているディアルガやパルキア、ひいてはアルセウスを見つけても無視します。エムリットとアグノムもスルーします。ごめんね。でも短期決戦に持ち込まなきゃ私が持たないと思うんだ。私は氷蝕体は壊せる人間だけど、人間って基本的にドッ貧弱ですからね。
「あたし、てんかいの手前まで行ったことがあるんですけど、氷蝕体ってポケモン駄目じゃないですか」
「うん」
「手持ち、どうするんですか? 置いて行くなら預かりますけど」
よそを見ていたトレミーがぐるんっとこっちを見た。ヒィ。ろくろかよ。怖い。ミロカロスってにらみつける覚えたっけ。
ヒナが視界の隅でじっとこちらを見ている。そんなに見ないで。
プロメテもかなめいしから出たり入ったりのスピード芸しなくていいし。
にこにこしてるノルさんと黙っているゴレムスを見習……待て、もしかしてこの二人は物申したい反応がこれなのか……?
「……ボールの中なら、大丈夫って言っていましたよね」
「はい」
「なら、連れて行きます」
トレミーが鼻で小さくフンッと息を吐いた。文句があるなら言って。こわいから絶対連れていくからな。知らないところに命がけで一人で行くだなんていやだよ私は! 肝試しのときは友達に手を握ってもらう人間だからね!!
「サイカだけ、置いて行きます。彼女のことをお願いできますか」
「ギッ!?」
名指しをされるとは思わなかったらしいヘラクロスの姉御が声を上げた。こちらに寄ってきて、ぎぃぎぃと困ったように両手を振っている。
コアをぴかぴかにしてもらったスターミーが一瞬だけ発光した。ウッ、まぶしい。
「ついて行きたいらしいですけど」
「だが断る。よく考えてみて、サイカ。ソウキさん以上に大事なものって、ある?」
ゴレムスの背中をぱすっと叩いて、次はプロメテだ。手招きをして、かなめいしに触れる。
サイカは、ソウキさんを振り返った。私のズルい言い方は彼女を困らせている。有無を言わせないためにそういう言葉を選んだのだ。
このヘラクロスは、行き場がないから預かっていた。それだけに過ぎない。彼女が望んでやまなかった帰る場所が息を吹き返したのだから、私はそれを尊重してあげたい。サイカはサイカのための最高のハッピーエンドを、選んでいい。
「……カナメさんって、氷蝕体ぶん殴ったら一旦こっち帰ってくるんですよね?」
「えっ? あ、うん」
まさかシキさんが喋ってくるとは思わなかった。反射で返事をしてしまう。
「ならいいじゃないですか。連れて行ってあげれば」
サイカがぶんぶんと力強く頷いた。ユクシーが生ぬるいかんばせで私を見ている。……ぐう。
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