耳を疑った
私程度でも対処ができる、と分かったのは収穫だった。このレベルの炎使いならば奥州にもいるとのことで、伊達主従は嬉々として対策に乗り出しましたとさ。
しかしもっぱらの課題はあの氷の正体の究明だ。いつまでも婆沙羅で誤魔化し壊していくわけにもいくまい。根本を叩かなければ、本当の解決には至らない。
周囲に人間や魔獣がおらずとも勝手に育っていくのだ、ということがすでに判明していることから、あれはあくまで現象であるのだと推測される。氷が芽生える土壌には必ず水たまりや井戸、池や湖があることから、要員は比較的静かな水面を保つ水なのだろうとも予想が立っている。
この件について、私は匙を投げた。だって自然現象なんでしょ。専門外です。魔獣についても専門ってわけではないんだけどね。何にせよ、私の仕事におさまるタスクは第一条件として魔獣絡みなのであって、そうでないのなら動きようがない。
調査結果を各地に提供することで区切りをつけ、私はそうそうにいつもの生活に戻ることにした。した、のだが
。
――小田原城。女中さんが桶に貯めておいた水の中からある魔獣が現れたことから、状況は一変した。
その魔獣はジラーチよりあまり変わらないサイズで、彼よりももいくらか青白い体を持っている。髪のようになっている頭部は黄色く、額には楕円型の石を身に着けていて、尻には二本のしっぽがついている。固く閉じられている瞳を見たものは、ただでは済まないのだということを私は知っている。そして私は、その魔獣がどのような素性の持ち主であるのかも知っている。
凍傷を負って保護されたその子の名は「ユクシー」――知恵を司り、シンオウ地方のある湖を住みかとしている伝説のポケモンだ。
気を失っているユクシーの手当てをしながら募る嫌な予感は、どうか気のせいだと誰かにさっぱり断じてほしい。杞憂だよ、と笑い飛ばしてほしい。
本当は分かっているくせに。意地悪な私が耳元でささやいた。
鏡は扉。鏡像が映るものならなんでもいい。水でも、なんでも。その先に通じる向こう側――「やぶれたせかい」って知ってるよね? と。
「盲点だった……いや、盲点っていうか、すっかり忘れてたんだけど」
『仕方ないよ。僕もそこまでは思い至らなかった』
眠ったままのユクシーを連れて帰宅。落ち着いたころに始まった談義は溜息から始まった。
にしてもやぶれたせかい、か。
ジラーチから、彼の知るやぶれたせかいについて話してもらった。おおむねは私の知っている通りで差異ない。ゲーム準拠。別名を、反転世界。この世界の裏側、伝説のポケモン・ギラティナが支配する、時がなく空間があべこべの異空間。気づきがあったとするならば、そこにアニメ要素も加わっているということだ。表の世界で行われた破壊はやぶれたせかいでも反映され、そして裏側に限り映し出された損壊からは瘴気が生じる。逆もしかりだが、この場合は表の世界では瘴気は発生しない。
「しかしそうなると……あちこちで発生してる氷の塊は」
うん、とジラーチは頷いた。
『かみさまがこの世界に干渉した。その時点でこちらにもやぶれたせかいは発生している。ここから考えられることは……』
「……なんであるにせよ、魔獣絡みであることに違いはない、と」
ここで一息ついて、お茶を飲む。ちら、と寝かせてあるユクシーを見るが、目覚める気配はまだない。
あの氷。婆沙羅でなきゃ、溶けなかった。……これもできればないのが一番なんだけど……何か、あったんだろうなぁ。
「ジラーチ。ユクシーが起きたら、申し訳ないけど通訳頼める?」
『うん、いいよ。……ふわぁ』
おやまぁ。ジラさんが、あくびをした。珍しいこともあったものだ。ジラーチって、ディアルガパワーで睡眠欲とめてるんじゃなかったっけ。まぁたまには疲れも出るでしょ。うおおうすっごい舟漕いでるな、大丈夫か。
「眠いの? 寝る?」
『う……むぅ……』
ぼてっ、とジラーチが体幹を失って突っ伏した。やっべ。顔からいったぞ今の。
慌てて起こすと、二四時間稼働が恒常の先輩はすでに寝息を立てておられました。こうして見ると可愛いよね、ジラーチって。抱き枕にしたい。座布団の上に横たえて、タオルを体にかけてやる。
私も昼寝しようかな。今日はもうすることないし。ユクシーが起きてくれなきゃ話の進めようもないし。じゃっ、おやすみー。
『カナメ』
翌朝。いつになく真剣で、感情が抜け落ちたような顔でジラーチは言った。話があるのだと。
『かみさまとのリンクが途切れた。五日後、僕は一〇〇〇年の眠りにつく』
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