どうしてそうなるの
わたしは、思い出した。
そうだ。乱世に落とされたのは、つい最近なんかじゃあない。
わたしは、もっと前からこの世界にいる。あの日目覚めたわたしの前にはあの子がいて、そしてあの場所は、尾張と呼ばれていた。上田城に来る前、私は安土城に監禁されていたのだ。
結局、アンノーンのルーペに頼ることになってしまった。
すべてを思い出したわたしは小田原に向かった。でも訪ね人はとっくに出かけていて、焦っていたところを突然ルーペが発光したのだ。まばたきをしたときには知らない場所に立っていて、遠方から轟いていた轟音を聞きつけてわたしはここにいる。
そこに踏み込むと、渡さんが視線だけでこちらを見た。わたしに手を差し伸べてくれたときとは違う、鬼気迫るものがある眼光に足がすくむ。これを殺意と、人は呼ぶのだろうか。
「松雪さん。こいつどかして」
「……できません」
えいさんをどかせ。そう命じた彼女を拒む。
「復讐なんて何も生み出さないって説得は、時代遅れだと思うよ」
ますます棘を立てて帰ってきた返事に、感じたのは敵意だ。彼女はわたしを、報復を止めに来た人間だと思っているらしい。渡さんはわたしを、敵として視ている。
逃げ出してしまいたい。どうしてわたし、ここにいるんだろう。眉をしかめて、わたしは恩人を睨みつける。
「……違います。わたしが言いたいことは、違います」
「じゃあ、何」
「チヅキくんを、殺してはいけません」
「知ってるの。知り合い?」
ひきつった笑いを含み凍てていく声が、わたしの強がりをあやめようとする。踏ん張って、退かない。少しだけ、頑張らせてほしい。
「知り合いです。でも、庇いません。聞いてください。そのうえで、決めてください」
息を吸う。息を吐く。言わなければ、ならない。私だけが、このひとに伝えられる。
「――その人は、あなたに殺されるためにそこにいます」
切り出した、ブラックボックスの中身。ひとこと明かして終わりではない。勇気を振り絞って、わたしは続けようとした。――首に、圧迫感。今度はチヅキくんが、怒気のある瞳でわたしを見上げている。
「邪魔、しないで」
「えい、二回うらんで」
先ほどよりもいくらか柔らかくなった渡さんの声を聞いて、えいさんがじっとチヅキくんを見る。ゆるんだ不可視の力、自由になった喉を案じてせき込み、再びわたしは渡さんに語りかけた。
「……思い出したことがあります。忘れていました。わたし、上田城が初めてではないんです。前は安土城にいて、チヅキくんもいました。そのときに、聞きました」
わたしは。わたしは彼に、使われていたのだ。そのために、この世界に巻き込まれた。
「それじゃあ君、よろしく頼むね」と――わたしは彼の望みのために、忘れることを強いられて上田城に落とされなおした。ルーペは上田城からの初めましてだ。
忘却を前提にしていたからか、チヅキくんはわたしにたくさんのことを話していた。どうして思い出すことができたのかは、分からない。婆沙羅のおかげか、ルーペのおかげか、それとも忘れ方が弱かったのか。
彼が魔獣と人間のあいだに産まれた子であることも、本当はわたしよりもずっと年上なのだということも。わたしは多くを知っている。チヅキくんはおしゃべりだった。どこか、弟に似ている。
「彼は、殺されたいんです。ジラーチと同じようにとても長生きで、でも一〇〇〇年も眠ったりはできなくて、だからそろそろ死にたいんです。死ぬことが幸せなのだと、わたしに言ってました。でも自殺はしたくない。そしたらこの世界で、自分を見てくれそうなあなたを見つけて、目をつけたんです」
面白い子がいるんだよ、と言っていたことを思い出す。
変な子だよね。ポケモンのためにって、ポケモン相手に土下座だってする。普通の子だ。しかも伝説のポケモンにも、妙な独占欲はみじんもないみたい。彼女の視野、本当にへんてこだ。どうなっているんだろ。ねえサチ、思わない? 彼女、いくらかつついたら――僕を見て、僕を知って、僕を憎んで、泣きながら僕を殺してくれそうだね。僕を覚えていてくれそうだね。どうせなら僕は、ああいう子に殺されたい。
分からない、とわたしは返した。
チヅキくんの言っていること、わたしにはちっとも理解できないよ。自分で死ねばいいじゃない。
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