墓標
ここはどうやら、私の知るテレビゲームの世界が、事故で二つほど混ざってしまった異世界らしい。
私は私がテレビゲーム好きであることに深く感謝するのと同時に、自らの置かれている状況の底知れなさに唖然とした。
雨が降っていた。
一本の木の根元。湿った土をさわる手は、痛いくらいに冷え切っている。爪と指の隙間に詰まる粒を見て、洗い落とすのが大変そうだと他人事のように思った。
こんなにも指を汚すのは、小学校以来ではなかろうか。友達と、陽が暮れるまで夢中になって泥遊びをしたことがある。指どころか服までどろどろになって、家に帰れば「こんなに汚して」と叱られた。私はごめんなさいと笑って誤魔化していたっけ。あのころは楽しかった。今は、楽しくない。
ぬかるんだ地面に掘った穴を整える。
そう深いものではなくていい。どうせ、最後には土を盛って小さな山にするのだ。
『カナメ』
名前を呼ばれて、手をとめる。
振り返ると、元来の千年睡眠機能を凍結させているまぼろしのポケモン――この世界では「魔獣」と呼ばれている――ジラーチが立っていた。私を呼んだのは、ジラーチのテレパシーだ。
ジラーチの背後ではミロカロスが、とぐろを巻いて静かに落ち着いている。
『もういいよ。風邪を曳く』
諭されて、のろのろと立ち上がる。すると背中がにわかに鈍く痛みを訴えてきた。それなりに長いこと、もぐらの真似事をしていたらしい。
汚れた手を、ミロカロスの水できれいにしてもらった。土砂降りを浴びて身体が冷えているせいか、水の冷たさはほとんど感じなかった。
次に私は、ふたりに見てもらっていた、もう瞳を開けることのない肉塊を抱え込んだ。鳥がそのまま人の骨格に近づいたような、生き物だったものから伝わってくる体温は、ない。私と同じくらいか、それ以上に冷えきっている。
ワカシャモだ。私たちが見つけたときは、事切れていた。身体は血濡れていて、残っていた状況から、人間に殺められた事実が明白だった。
遺体を、穴の奥に寝かせる。土をかぶせて適当な石を置けば、私たちだけが認知しているささやかな墓が出来上がった。
ポケモンは人よりも頑丈で、人よりも力がある。
ワカシャモは、何も無抵抗で命を落としたのではない。きっと、抗うことができなかったのだ。ワカシャモには自分よりも優先すべき大事なものがあって、己の身よりもそちらを守らなければならなかった。
それほどまでにして守り抜かれたものは、今は私の腕の中にある丸いゆりかごだ。時折こつこつと中からノックがされているようで、抱いていると、火を持っているみたいにあたたかい。
私は。今この夢のような世界に、初めて怖気づいている。
『カナメ』
ジラーチが、もう一度私の名前を呼んだ。言外に「行こう」言っている。私たちができることは、もうない。
「うん」
頷いて、私はミロカロスに軽く頭を下げた。「ありがとう」とモンスターボールの中に彼を仕舞い込む。ジラーチもボールの中に引っ込める。
五分も歩けば人里、青葉城の城下町だ。ポケモンを連れて街中をおおっぴらに歩いてはリスクが高い。
最後に一度だけ、振り返る。
雨が降っている。体感は麻痺していて、寒さはすでに遠い。タマゴから伝わるぬくもりだけが、今の私を生き物たらしめる。
わけあって、ある日突然異世界から転がり落ちたポケモンたち。人がクマや毒蛇を害獣として怖れ駆除するのと同じように、魔獣もまた、ここでは人と相容れない獣に過ぎない。
魔獣の素性を理解している者には悲痛な価値観の差異だが、現実だ。誰を責めることも、私にはできない。だからせめてと、思っていることがある。
ポケモンを好く一人として、私は魔獣の味方でいたい。
そうするには、遊び好きで優柔不断な私が邪魔だ。自分に都合が良くてラクな生き方は気に入っていたが、怠惰を武器にするには戦国乱世は随分過酷だろう。
そのために、置いて行く。この墓標に、私は私も置いて行く。
もとより滑稽な話、クルマに撥ねられ死んだ身だ。高校卒業まで秒読みだったのに。
さようなら、平成の渡カナメ。
奇跡なんてものはない世界で生きていた。でも私は、たぶん幸せだった。
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