呪うように呟く
「松永さん、尾張の魔獣使いに私たちのことを流しましたね」
信貴山城。
招かれた客間、台を挟んでずばり切り込んだ。カコンと庭のししおどしが澄んだ音を立てている。
なつかしい。私が初めて踏み入った日ノ本の城がここだった。拉致されたのだ。お陰で一気に肝が据わったし、腹の括り方も覚えた。もう随分前のことのように思えるが、あれからまだ一年も経っていない。
「ほう?」と笑みを含み、戦国の梟雄は目を細めた。悪気なんて一ミリも抱いていない顔だ。
「感心したよ。どこで気が付いた」
「あちらは、私たちの名前を知っていました。少しかかりましたが、考えれば分かりました」
気にかかっていたんだ。私とあの人のことを売った人間がいるだろうな、と落ち着いた頃になって思い至れた。
この人以外にいないでしょうに、そういうことをする武将って。あの人は、お偉いさんたち以外に名乗ることは滅多にしないもの。
なぁにが「尾張に気を付けろ」だ。愉快犯の手本として、上等な暗躍をしやがって。
「一体どこで、接触なさったんですか」
「ほかでもない、尾張だよ。あちらから取引を持ちかけてきた」
あら、素直に吐くのね。でも心変わりなどをしたわけじゃあない。分かっている。この人は面白がって、私とあちら双方に情報を与えているのだ。
「私に武器を持たせるとしたら、どこまで譲っていただけますか」
「これはこれは、戦意が高いな。苛烈なことだ」
意外そうに眼を丸くされる。
初めてお会いしたときは、この男の手からどう生きのびようか必死だった。そうしてこれまでに、乱世での歩き方を覚えたのだ。生きていた頃より、いささか性格が荒んだ自覚はある。
「そうだな」と松永さんはあごをさすった。
「既知ではあるだろうが……あれは尾張を根城にしている。現状、安土城を支配していると言っても過言ではないだろう」
「織田軍は?」
「さてね。私にはあずかり知れぬところだ」
嘘を言っているようには……見えない。真偽なんて分からないも同然だけれど。
織田信長は――やられたのか、やはり。死んでも死なないを地で行くキャラだ、生きているとは思う。
となると、気にかかるのは芋づる式で近江の浅井軍だ。浅井夫婦はいまだ健在で、尾張の庇護にある。……近江のことは尋ねないほうがよさそうだ。たぶん対価を要求される。
「尾張の魔獣使いの本命は、私だという推測があるんですが」
「熱いな」
「そ、そういう話じゃなくてですね。……なぜ私を、どのように私を?」
「……ふむ。それも私には覚えがないと言えるが――そうだな。あれが欲しいのは、愛だろう。いやはや、私には理解に至れぬ物だ」
「…………あ、熱いな」
辛うじて返すと、にやにやと松永さんも頷いた。
「ああ、熱いな」
くっそまさかこの人とこういう話をするとは! 思わなかった! 反応に困る! 冷静になってから考え直そう。松永さんは、人の底を見抜く。そういう面については信用できる。私も心の傷をえぐられたことがある。
ともあれこれ以上得られることはなさそうだ。あったとしてもここから先は有料だろう。礼を言い、今日はもう帰る旨を伝えて立ち上がる。
「渡」
呼ばれて思わず、足をとめる。振り返りはしない。
「もうひとつ餞別を贈ろう。あれの名は「チヅキ」という」
「…………」
「それから……代わりの忍びが必要であるならば、いつでも声をかけるといい」
穏便に済むかなぁと思ったらこれだからね。会いたくなかったんだよね。梟雄と会う度に堪忍袋の経験値が積み上がる。
拳を握る。手のひらの中に封じた感情は、こんなところで爆発させてはいけない物だ。理性がなかったら殴ってた。
自制を総動員させながら、胸中で唱える。
チヅキ。それが、かたきの名前。
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