ここではないどこかに行きたい
このまま身を投げてしまえば、ラクになれそう。漠然と思って、わたしは駅のホームから線路に落下した。
死後もなお人生に続きがあるだなんて、知らなかった。知っていたらきっと……いや。知っていても、変わらなかったかもしれない。わたしは、わたしの生活から逃げだしたかった。
この土地が、歴史の授業で習った日本の戦国時代に近いところなのだとは理解している。テレビもない。ケータイもない。電柱もビルも、電車もない。サナダユキムラ、という名前は聞いたことがある。
でも何か、違う。ここは戦国時代ではあって、わたしの知る過去ではない。なんだかところどころ、ちぐはぐだ。人が着ている服とか、いろいろ。
バサラモノとか。そんな超能力者、教科書には載っていなかった。わたしは知らない。いつのまにかそばにいた、大きな虫眼鏡のような生き物もそうだ。見たことがない。
きっと死ぬことができたのに、それなのに生きていたころ以上にひどい目に遭う。
男の人たちに服を脱げと言われて、はだかになるまで見られた。
どこの国の者だ。――日本です、と言っても信じてもらえない。
仕えているあるじは誰だ。――あるじ? わたし、誰かの召使いじゃあありません、と言っても信じてもらえない。
おなかが痛くなるまで何もされず、水や食べ物もないまま放置されることもあった。
ほっぺたを叩かれて、柱に縛られる。これ以上何をされるんだろうと身構えていたら、刃物の先で爪と指のあいだを――そこから先は、覚えていない。痛さが届くより先に、気を失ってしまった。
どうしてか、それからは何をされることもなくなった。でも、外に出してもらえない。
もう、いいや。なんでも。好きにすればいい。
全部どうでもよくなって、ただ言われることを聞く。それが一番、つらくない。
……サナダユキムラは、わたしに優しかった。引きこもっているわたしに、たまに会いに来る。女の人が苦手なのにね、と迷彩柄の……サスケ? さんは笑っていた。ふうん、そうなの。……嫌ではなかった。団子やおにぎりを持ってきてくれたり、天気の話や、魔獣? の話をしてくれる。意図の読めない世話焼きを楽しみに思うわたしがいたのは確かだ。
でもいつのころからか、サナダさんの態度がおかしくなった。前よりも、怖い。根拠はないが、お腹の底が妙な違和感を察知している。サナダさんだけじゃあない。ジョチューさんたちも、なんだか変だ。みんなわたしのことを、やけに持ち上げてくる。サチ様。サチ様。サチ様。まるでわたしが国宝か何かであるみたいに、大事にしてくる。なんでだろう。どうしちゃったんだろう。
褒めてほしい、という気持ちは生前に持っていた。優しくしてほしい。叱らないでほしい。認めてほしい。承認欲求、というやつだ。それが今更叶ったようではあるのだが……いきなりが過ぎて、うれしいと素直に感じることができない。――気持ち悪い。信じられない。
ここまでくると、わたし自身にもますます嫌気がさしてくる。人様の好意を受け止めることができないだなんて、嫌な女だ。
虫眼鏡みたいな生き物――いつまでもこれでは不便なので、ルーペと名前をつけた――だけが、前から何も変化しない。こいつ、なんでわたしのそばにいるんだろ。でも、ありがたい。
「サチちゃん、紹介するね。この人は、小田原の魔獣使い」
ある日サスケさんが、初めて会う女の人をつれてきた。わたしよりも、少し年上。名前は、渡カナメというらしい。魔獣――ルーペみたいな生き物と一緒に、魔獣のために各地を飛び回っているのだそうだ。ふうん、良い人なんだ。
そのあと明らかになったのだが、サナダさんたちのささやかな豹変は、わたしが原因であるそうな。バサラモノ、として知らぬうちに開花した超能力のせいなんだって。渡さんは光のバサラモノで、わたしは闇のバサラモノ。制御ができていないわたしのバサラは、渡さんのそばでは暴走状態が緩和される。
「松雪さん、ひとつ聞きたいんだけど……ピカチュウって知ってる?」
「……アニメの……サトシの?」
「うん、ポケモン。ほかには?」
ほか……? ポケモンって、ピカチュウ以外にもいたのか。知らなかった。アニメは数えるくらいしか見たことないから、詳しくない。クラスの子たちは、しばしば話題にしていた気がする。
首を横に振ると、渡さんは残念そうに納得していた。
ルーペの種族? としての名前は、「アンノーン」なんだと教えてもらった。変な名前。
渡さんが帰ってから、そういえば、と気づく。
「サトシ」はアニメの登場人物だ。それが通じた。わたしの世界の過去ではない、この土地で彼女がその意味を理解していた。
あの人もしかして――わたしと同じ時代から、やってきた人なの?
しばらく経って、渡さんは再びやってきた。
サスケさんからあらかじめ聞いている。もしかしたらサチちゃん、あの子と一緒にここから出ていくことになるかもしんないよ。
わたしのせいで、おかしくなった人たちを元に戻すためなんだって。それからわたしも、この力の使い方を勉強して、自分の意思が利くようにしないといけないらしい。
「松雪さん。このままここにいるのと、私といっしょに行くの――どっちがいい?」
わたしは、差し出された手を取った。
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