スイートプリーズ!
「洋菓子食べたい」
掘り炬燵のテーブルにほっぺたをくっつけたまま、だらーんと言い放たれた一言は、小田原の魔獣使い・日暮ヨウがぼやきだしたものだった。
洋菓子? 手持ちのブラッシングを行なっていたヒカリがその一言に顔を上げる。
ゲンは昨晩遅くに帰ってきたことで眠気に堪えているのか、朝食を食べてしばらくするとその辺に仰向けになるなりクールに寝こけたままだ。その顔には愛用している帽子がかぶせられているため寝顔は伺えない。ここ室内だぞ。寝顔見られたくないなら自室で寝ろよ、とは表には出さぬヨウの声である。ちなみにゲンの熟睡に気づき押入れから引っ張り出してきた毛布を恵んだのはヨウだった。
柊は姿こそ見えないものの、声をかければいつものように神出鬼没に現れてくれるだろう。
それはさておき、ヨウはヒカリからのおうむ返しに肯とする。
この世界では洋菓子は貴重品だ。この土地の文化のベースが日本であるため和菓子は多少値は張れど手に入る。が、洋菓子はそうもいかない。いまだ海外から伝来している外来品は貴重であり、ましてや洋菓子のようなナマモノとなると長持ちが利かないためそうそう輸入もされてこないのだ。
それを知っているがゆえに、ヒカリはヨウの欲求にああ、と納得することはできるが、それ以上何か軽々しく口にすることは憚られた。
「洋菓子食べたい」
「はい」
「買えない」
「そうですね」
「ここは洋じゃない」
「はあ」
「餡子丸呑みにしてやろうか」
「それも洋じゃないですね」
「洋菓子食〜べ〜た〜い〜」
「う、うーん」
「ショートケーキ……タルト……マフィン……ガトーショコラ……フォンダンショコラ……ティラミス……」
「み、みっつくらいチョコレートだ……! っていうか止めてくださいよっ、もう! わたしまで食べたくなってきたじゃないですか!」
「どらやき……」
「それは! 和菓子です!」
「生クリーム入りのどら焼き知らないの?」
「アッ」
いや、それでもどら焼きはあくまで和菓子であろうに。ヨウの発言にハッとしたヒカリは、しかしそこに思い立ってン? と一人で首を傾げる。
一方でヨウは謎の視線を感じて背後を振り返った。怖い。真っ黒な目をしたヘラクロスがそこにいた。とても怖い。
そういえばヘラクロスは、元々ヨウとは違う別の魔獣使いことポケモントレーナーの相棒であったのだ。それもこの世界とは違う、魔獣たちの本来の故郷である世界で。なので魔獣用のお菓子であるポフィンやポロック他、人間の嗜む洋菓子の味を知っていてもなんら不思議ではない。
「ぎゅるる……」
しょんぼり。尻を床にぺたりとつけているヘラクロス。自分の頬を己の手でぺたぺたと叩き、はあ、と人間臭く溜息なんぞ吐いている彼女に、ゴメン、と謝りたくもなる。どうやらヨウの欲求不満発言が、ヘラクロスの味覚想起にも影響を与えてしまったらしい。とんだ連爆。申し訳ない。
「……。売っていないというのなら、作ってみればいいのではないか?」
「SOREDAAAAAAAAA」
突如振って来た神の提案に、ヨウはガバッとゲンを振り返る。いつのまに起きていたのか。ヨウのローマ字攻めを受けたゲンは、肩をビクッとさせつつも、そのままのろのろ帽子をかぶって身を起こした。ここは室内ですなんて質問は野暮なのだろうか。
「……あ。違う。やっぱり無理。詰んだ。さよなら洋菓子への道」
そしてヨウはといえば、次には絶望的なまでに項垂れて塩を振りかけられたナメクジと化している。忙しい娘である。
え? どうして? 今の完全によーっし不慣れじゃあるけど洋菓子クッキングするぞー! って展開だったじゃん? ゲンとヒカリはそんな疑問を各自おしとやかに秘めて顔を見合わせる。そんな彼らの疑問点を解消するかのようにヨウはぼそぼそと続けた。
「玉子がね。この世界じゃあ手に入りづらくて」
養鶏技術も拙かったこの戦国時代、二一世紀では家庭と主婦の味方だと言っても過言ではないタメィゴゥは、裕福層しか食することのできない高級品として扱われている。
「なら魔獣に協力してもらおう。昨日の仕事で保護してきたのはラッキーなんだ」
「なんですと」
しかしゲンはあっけらかんといった風に現代っ子の憂いを切り捨てた。ジーザス。
「私が保護区域にまで行ってラッキーに頼んでくるから、君たちは何を作るか決めて、他の準備をしていてくれ。話を聞いていると、私も洋菓子が恋しくなってきた」
ひら、と手を振って家から去っていくゲンが、神にしか見えなかった。イケメンか。イケメンだったわ。
「……何、作ります?」
ゲンがいなくなったあとのなんとも奇妙な沈黙の間を、ヒカリはそっと引き破る。そろりとヨウの顔を見ると、彼女は黙って波導使いを崇める無の表情を形作っていた。なんて顔をしているんだ。
かくして多くの助けを経たヨウは、この数時間後、念願の洋菓子へとありつくことが叶ったのである。玉子と牛乳さえあればメジャーに作ることできるプリンを久しく口にした彼女の反応は、はっきり言おう。感激で滂沱と泣いていた。
20160507
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