mha世界観夢A
浮気調査の仕事が来た。職場体験期間、最終日のことだった。
「シイルド、出かけよう」
フレイズさんが、上着のボタンを止めながら私に視線を向けた。シイルド、とは私のことだ。フレイズさんが名づけた、ヒーローネームとは別のコードネーム。この探偵事務所では、従業員はみなコードネームで呼ばれているのだと先日知った。
「コスチュームはいらないよ。ラフな格好で結構だ。私は先に出ているから、戸締りを頼む。クルマを持ってくるから、前で待っていてくれ」
言われた通り、事務所の鍵を閉めて外に出た。まもなくして白い軽自動車が目の前に止まる。会釈をして、助手席に乗り込んだ。
依頼主は、とある夫婦の奥さんだ。どうやら旦那さんから浮気の気配がするらしく、本当なのか確かめてほしい、という内容だった。
「ご夫人が依頼に踏み切ったのは、ご亭主から知らない香水が香ったからだそうだ。そこからはまるで目から鱗が落ちるように多くのことに気が付いたらしい。ご亭主は最近になってネクタイピンも買い換えたそうだよ。本来は趣味ではないはずのデザインのものにね」
フレイズさんは、きのう私が帰ったあとに仕事を更新し、一人で奥さんと待ち合わせたらしい。
「浮気調査って、どうやってするんですか?」
「そりゃあ君、旦那を直接見て確かめるに決まっているさ。尾行をするんだ。ご亭主は今日は休みなのだと聞いている。さきほどもメールをもらったが、朝から出かけているそうだ。友人とゴルフだと夫人は聞いているが、実際のところは映画館から始まるデートコースらしい」
「浮気相手とですか?」
「その通り。亭主のケータイを覗き見たんだとさ。探偵顔負けの調査力だ」
「……調査ってことは、浮気じゃあなくて、といった可能性もありえるんですよね」
「いいや。旦那はたしかに浮気をしているよ」
クルマが信号で止まった。平日なので、道は空いている。
「私の個性の話はしただろう?」
私は頷いた。フレイズさんの個性については、職場体験初日に聞いている。
『非生物可読』。生きていない物から、事実を読み取る能力だ。たとえば、何も書いていない紙からでもフレイズさんには読み取れるものがある。産地だとか、材料だとか……そういう目には見えないはずの情報が、フレイズさんには見えるらしい。
「先ほど言ったタイピンの実物を見せてもらったんだ。『妻ではない女性からのプレゼント』だと書いてあった。妻ではない女性が誰なのかまでは読めなかったが、浮気で間違いないだろうね。ほかの物にもそういったことが書いてあった」
「それは、依頼主には言っていないんですか」
「もちろん。亭主が『妻ではない女性から贈り物をもらうほど深い仲にある』ことは事実ではあるが、これは『浮気をしている』という真実までには至っていない。真実と成るまで、事実は伏せる。これは我が事務所のルールでもある。私たちはこれから、亭主が不倫をしている証拠を入手する。それで初めて、私が読んだ事実は真実として表出するのさ」
事実と真実は別の物だ、とフレイズさんは語った。そもそも真実なんてものは本当は存在しない。真実とは『これが正しいと多くに信じられる多数決表』であるらしい。あくまでもフレイズさんの持論に過ぎない話だ。
そういう考え方もあるかと相槌を打った。ハンドルを握る彼の横顔は、やっぱりなんだか楽しそうだ。この人は、何をしていたってそれを楽しんでいるように私には見える。
「私の仕事はね、私だけが目に出来る事実を材料に、求められた真実を騙ることだ。いやぁ、職場体験最終日にいい格好がつけられそうだ。この期間謎に仕事が少なかったが……どうだいシイルド。私たちは、日頃こういった詐欺を生業としている」
「言い方が悪くはありませんか。ご自分の仕事に対して、やけに卑屈な評価をされるんですね」
「するとも。我が事務所の人間は、誇張しても正義の味方ではあるまい。ヒーロー志望の君には不愉快な話だったかな?」
「いいえ。特に不快ではないです」
ヒーロー職に理想を持って、正義に夢を見ている人が聞いたら怒鳴りそうな話だ。
この数日間は、なかなか興味深かった。ヒーロー免許を持つ人には、フレイズさんのような人もいるのだと判明した。ヒーローになれるカードを持ちながら、超人社会の水面下で、ヴィランよりも身近な影の受け皿となっている人々がいる。そういう道へ歩む選択も私たちにはあるのだと、視野が広がった気がする。
フレイズさんは、コンビニエンスストアの駐車場にクルマをとめた。ここに依頼主の旦那さんが来るのだろうか。運転席を見ると、自称詐欺師がシートベルトを外して財布を握っていた。
「コーヒーを買ってくる。君は何が良い?」
--------------------
◆フレイズ
物質から事実を読み取る『非生物可読』の個性を持つ。
お喋りだが嘘はつかない。話好きだが秘密は守る。
探偵事務所で猫を飼いたい。
◆星原紫乃/ガーディアン/シイルド
この後フレイズの元でインターン生となり、1年後も継続している。
コンビニではカフェオレを買った。
top