*臨→→静です。 あははははっ! 臨也の高めの笑い声が、池袋の通りに響き渡った。 それは戦争の合図。 そして、次ぐように聞こえたのは風をきるような音と、静雄の雄叫びだ。 「いぃざぁやぁぁぁぁッ!!」 ぶん、と投げられた自販機は臨也が避けたことにより重い音をたててコンクリートに叩きつけられる。 誰かが悲鳴を上げたような気がしたけれど、今の二人に周りを気にする余裕はなかった。 ただただ静雄は臨也を燃えたぎる灼熱の視線で睨み続け、臨也は眉目秀麗なその顔を歪めて笑うばかり。 二人から遠ざかるように人々は分散した為、彼らの周りにはほとんど人がいない。 そして残念ながら、サイモンのいる露西亜寿司の店はこの場所から程遠い。つまり、今。二人の殺し合いとも言える喧嘩を止められる者は誰もいないのだ。 「手前…、池袋には来るなっつっただろうが!!」 静雄は近くにあった標識を握り締めて、サングラスを外し、それを胸ポケットにしまってそう言う。 怒りで爛々と金に輝くの瞳が自分を射抜くのに、臨也は背筋がぞっとするのを感じた。悪寒、恐怖といった類のものではない。歓喜にも似た、震えだ。 「シズちゃん…、俺だって暇じゃないんだよ?用があって池袋にきてるんだから、そんなこと言われたって困るなぁ。」 「黙れ。」 臨也が口端を吊り上げ、嘲るように肩をすくめて笑うと静雄は有無を言わさぬ声で制した。 だが、それでも臨也は話を止めない。 彼は楽しんでいるのだ。この状況を、静雄が荒れゆく様を。 「池袋に来るなっていうのは、俺へのお願い?命令?」 静雄は眉をしかめて臨也を睨みつける。 額には青筋が浮かんでいるところ、臨也のせいで堪忍袋の緒などとっくに切れてしまっているのだろう。 返事をしなかった静雄をいいことに、臨也は揶揄を含んだ言い方で言葉を紡いだ。 「まぁシズちゃんがどうしてもって言うなら池袋には来ないであげてもいいけど。…あぁ、でも、シズちゃんは俺に、」 “お願い”ができるかなぁ。 くすくすと笑う臨也に、ついに静雄は標識を持ち上げた。 「殺す!!!殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!」明確な殺意。 猫が全身の毛を逆立てているような様子。 怒りで見開かれた瞳。 ギリギリと食いしばられた歯。 憎悪が、憤怒が、静雄の全身から溢れ出していく。とめどなく、洪水のように。 それを臨也はただただ見ていた。自分に向けられた、静雄のその感情に恍惚感めいたものを感じながら。 さぁ、戦争が始まるぞ。 臨也がポケットからナイフを取り出した瞬間だった。 ガコン、 という音と共に地面に標識が落とされたのを臨也は確かに赤い両目に映した。 続いて見たのは、静雄が糸を切られたマリオネットのように崩れ落ちて倒れる姿。 「は、」 臨也は力無く倒れ付している静雄を呆然と見つめたまま、動けないでいる。 彼も、何が起こったのかよく理解できていないのだろう。 驚きに染まった臨也の顔。 ぴくりとも動かない池袋の喧嘩人形。 「…シズちゃん?」 名を呼びながらゆっくりと近寄ってみれば、…かろうじて息はしているようだ。 とても、息が荒いしそれに加えて汗が噴き出している。 先ほどまで自分だけを映していた金の瞳が瞼に覆われて隠れているのに、臨也はつまらないと感じながら静雄に再び声をかけてみた。 「シーズちゃん」 反応は、ない。 余程辛いのかもしれない。試しに臨也はその白い手で静雄の額に触れてみた。 臨也の手は冷たかったのか、静雄の体が小さく震える。 臨也が触れた温もりはとても熱く、静雄が熱を出しているのだと彼は初めて気づいた。 「…熱出てるよ。風邪?」 「ん…、」 小さく呻いて頷く静雄を見て、臨也は溜め息をつく。 「……とにかく、新羅のとこ連れてくから」 何故だかここに残していくのは気が引けたため、臨也は静雄の体を抱き起こして肩を組んだ。 背が高い癖に体重は軽いな。 それに、抱いてみれば体も細い。 臨也はふとそう考えて静雄のことを見た。 思っていたより静雄の顔が近くにあったため、彼は驚きのあまり思わず動きを止めてしまう。 …思えば、静雄の顔をこんなそばから見たのは初めてかもしれない。 学生時代からずっと知っているというのに、睫毛がわりと長いとか。唇は淡い桃色だとか。近くで見てから気づいたことばかりな気がする。 ともかく、新羅に診せにいこう。 臨也はそう考えを切り替えて、足を進め始めた。 しかし、タクシーを使った方がいいのか悩んでいると静雄は薄く目を開きながら言った。 「……離せ。」 低く唸るような声に臨也は静雄をまじまじと見る。 「は?…シズちゃんさ、こんなときにくだらない意地張るのはどうかと思うよ」 「意地じゃねえ。」 息も絶え絶えに言われたって説得力の欠片もない。そう考えつつ、身を捩って自分から離れようとする静雄の細い手首を臨也は掴んだ。 すると、瞬間。 「触るな!」 パシンという乾いた音と、静雄の怒号が臨也の耳に響く。それが、自分が静雄に手をはたかれた音だと気づくのに時間はかからなかった。 遅れて訪れる手の痛み。 風邪を引いていて力が弱っているとはいえ、静雄にはたかれた手はじんじんと鈍い痛みを感じている。 臨也は目だけを驚きで見開いたまま、無表情の顔で静雄を見つめていた。 再び呟かれる、静雄の言葉。「……俺に、触るな。」 意識が朦朧としていても静雄が臨也に向ける目の色は変わらない。 憤怒、嫌悪、憎悪。 様々な感情に塗れた金の目は、射抜くように臨也をただ睨みつけていた。 「なんで?」 臨也は口端を吊り上げて笑いながら、なるべくいつもの声の調子でそう言えるように努める。 胸に澱んだ何かがわだかまっているのに、気がつかないふりをしながら。 対する静雄は未だ息を荒くしつつも、吐き捨てるように言葉を紡いだ。 「そんなの…俺は、手前が大嫌いだからだ。それ以外に理由は無ぇ。」 そう言い残した静雄はおぼつかない足取りのまま、臨也に背を向けて立ち去ってしまう。 その後ろ姿を、臨也はただただ見つめていた。 胸に、苛立ちにも似た何かが広がるのを感じながら。 下唇を噛んで、この焦燥感に耐える。 そして同時に絶望のような感情にも。 高校生のときに出会ってからずっと臨也は静雄に他の人とは違う何か特別な感情を抱いていた。 いつも新羅と共にいる静雄に苛立ちを覚え、化け物の癖に優しい静雄を嫌悪し、時には傷つけたいとさえ思う。 その感情の正体が分からない臨也はますます苛立ち、静雄を忌み嫌った。そんな、堂々巡りだった。 けれど、その感情の名前を知ってしまった今。彼は酷く後悔している。どうして、もっと早くに気がつかなかったのか。 どうして、今更になって気づいてしまったのか。 臨也は静雄の背中が見えなくなって、自身の前髪を掴み、呟いた。 「クソ……、」 まさか、自分が恋をしていたなんて。 しかも天敵を相手に。 出会ったときからならば、もう9年以上も片想いを続けていることになる。その事実に臨也は思わず溜め息をついた。 これじゃあ、想いを伝えるまでもなく失恋しているようなものじゃないか。 おまけに、きっとこの恋は終わりを迎えることが出来ないだろう。だって、20年以上生きていて、臨也は静雄の代わりとなるような存在を見つけた試しがないのだから。 いつだって、臨也の瞳に映っているのはただ一人。 この世界で一番憎んで、誰よりも愛してしまった男…静雄だけだった。 そして臨也はふと、眉をしかめた静雄の姿を思い出す。 池袋に来るな。 その言葉は臨也への願いでも、命令でもない。 そう、単なる、ただの拒絶だったのだと彼は初めて気づいてしまった。 臨也は鈍器で殴られたような、気分のまま立ち尽くしている。 空は鉛色で、彼の生涯最初で最後となるであろう恋の失恋を憂うかのように、どんよりとした面持ちだった。 伝えることすら できない (だって俺は、君をたくさん傷つけたから) →back |