「おい、臨也っ!」


静雄の制止の声も聞かずに、臨也はどんどんと静雄の手を引いて人混みを押しのけていく。
静雄は戸惑いや怒りの折り混ざった表情を浮かべて何度も臨也に声をかけ続けた。

臨也、待て、いきなりどうして、手前、なんで。

だが、臨也は何も言わずにただただ静雄の手を掴み、早足で歩を進めるだけだ。
その顔は彼にしては珍しく無表情で、よく見れば眉を寄せているようにも見える。…他人から見ても、彼が苛立ちを感じているであろうことは一目瞭然だった。その原因が静雄には分からない。臨也の考えていることなど、静雄には分かりやしないのだ。そう、いつだって。静雄は臨也とは違うから、理解ができない。



やがて狭い路地裏の奥へと辿り着けば、臨也は静雄を壁に力任せに押し付ける。


ダン、という鈍い音と背中に受けた衝撃に怯むこともなく、静雄は臨也を睨みつける。鋭い黄金に輝く目、だが、その奥の瞳には何故か不安の色が浮かんでいた。


「手前……、仕事中だってのになんなんだよ。」


静雄は、上司のトムと次の目的地へと移動する途中に突然臨也に連れ出され、今に至る。
上司を残して仕事をさぼっていることに、静雄は気が気じゃなかった。


しかし、静雄の言葉に何も言わずに至近距離から鋭い視線を受け止め、臨也は静雄を見つめ返している。

真っ直ぐな赤い目に、静雄は息が詰まりそうだった。




一方、臨也の胸の中は酷く混沌としていた。自分でも、静雄を連れ出して、こんなことをしたかったわけじゃないのに。

上司と笑いながら街を歩く静雄を見てから、焦燥感が溢れるのが止まらない。あぁ、知っている。臨也はこの感情の名を知っている。



嫉妬っていうのは、キリスト教の7つの大罪のうちの1つじゃなかったろうか。
臨也は静雄を見つめながらそんなことを頭の中で考えていた。
傲慢、色欲、怠惰、暴食、憤怒、 強欲、…そして、嫉妬。
仏教の十悪も酷似した内容が記されていた気がする。
まあ、大罪だろうが罪源だろうが知ったことか。何にせよ、この想いが止められないのは今に始まったことではない。

臨也は静雄の頬に冷たい指を滑らせた。
なめらかな肌に触れれば、静雄の肩は小さく震える。


…手に入れておきながら、他人に妬くなんて、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

どろどろした汚い感情に苛まれる自分を、臨也は憎らしく思った。
目の前の男は、こんなに綺麗なのに。どうして、こんなに“違う”んだろう。
根本的な部分が臨也と静雄では圧倒的に違う。…いつの日だったか、サイモンに殴られた日のことを臨也は思い出した。

“静雄にコンプレックスがあるだけなんじゃないか”


的を得ているようで、得ていないその言葉。
確かに、俺はどこかでシズちゃんにコンプレックスを感じていたのかもしれない。だって、“違いすぎた”から。自分が好きになった男が、あまりにも自分とは違う存在だったから。


でも、そんなものを凌駕するほど臨也の心を蝕んでいたのは、そう、何でもない。ただの、恋心だった。




静雄は臨也をきつく睨みながら、呟く。


「…手前は一体、俺をどうしたいんだよ」



その言葉に、はじめて臨也が口を開いた。



「愛したい。」
純粋に、愛したい。



静雄は目を丸くして臨也を見つめ返す。至極、驚いたような顔で。
だが、片や臨也は無表情のまま静雄に顔を近づけていく。


後ろは壁で逃げ場はない。
静雄は頭を精一杯壁に押し付けながら、目を堅く瞑った。


そして、臨也がさらに顔を近づければ二人の唇が重なる。
柔らかな感触、乾いた唇。
ぬくもりを感じる暇もなく、触れただけの口づけを臨也はすぐに離した。すると静雄は顔を赤に染め、横に背けてしまう。耳まで赤くなった彼の顔を見ながら、臨也は小さな優越感を覚えて露わになっている首筋に舌を這わせた。

熱く、ぬめりと首筋を舌が這い上がる感覚に静雄はぞくっと背筋が震えるのを感じて、臨也を叱りつける。


「おいっ!…なにしてんだ手前、止めろ、」
こんなところで。


そう言うはずだった声は臨也の唇によって塞がれた。

今度は触れるだけのそれではなく、深い口づけとなって臨也は静雄の口内を犯していく。
静かな暗い路地裏とはいえ、いつ、誰がやってくるかも分からないというのに、臨也は貪るように静雄に口づけるばかりだ。逃げ回る舌を絡めては、吸ったり、悪戯に噛みついたり。
卑猥に響く水音は静雄の羞恥心を煽り、そんな静雄の姿は臨也の嗜虐心を擽るばかり。…言わば堂々巡りだ。





息が苦しくなった頃、やっと臨也が唇を離した。
細い銀糸が二人の唇に紡がれ、名残惜しくもそれはぷつり、と途切れてしまう。



「…っは、」



息が苦しくて仕方がなかったのか、静雄は肩で息をしながら壁に寄りかかる。
まるで、運動でもした直後のような様子に臨也は溜め息をついて呟いた。


「…色気ない。」



スポーツ選手さながらじゃないか。すると、静雄は臨也を睨みつける。



「色気なんて、いらねぇよ。男だし」


「そうじゃなくてさ、…もっとなんかないの。寄っ掛かるなら俺に寄り掛かるとか」


「死ね、糞野郎」



静雄が悪態をつくのに、臨也は小さく笑って同じように壁に寄り掛かった。

先ほどまでの緊迫した空気が嘘みたいにほぐれていく。気がつけば臨也の胸の中の、煮えたぎっていた嫉妬の炎も消えてなくなっていて。ビルの隙間から覗く青い空のように、どこかすっきりとした心境だった。


「はははっ」突然笑った臨也に、静雄は訝しげな目を向ける。



「なんだよ」



「いや? …別になんでもないよ」




言えない。
臨也は心の中で呟いた。
自分が汚すぎて、どうしようもなく滑稽に感じたから笑ったなんて、言えない。


言えば、シズちゃんはきっと俺を罵倒するだろう。汚い、その通りだ。嫌な奴で皮肉ばかり。そう罵倒するだろう。
でも、きっと彼は罵倒と共に俺に優しい眼差しをくれるだろうから。

それはまるで、そのままでいいと。
お前はそのままでいい。

そう言ってくれているような眼差しで、俺を見つめてくれるから。


それに甘えてはならないと、臨也は考えたのだ。
甘受すればどこまでも堕ちていくような気がするし、赦されると考えてはならないと彼の本能が告げている。


そして、臨也は自問した。

こんな汚い感情に塗れた自分が、
静雄のような綺麗な人間を愛していいのだろうか。

と。

汚い奴には汚い人間が、
綺麗な者には綺麗な人間が。

それが、互いの幸せにも繋がるのかもしれない。


……でも、それでも。
臨也は目を伏せて俯く。



「シズちゃん。ごめん。」




その声色は、穏やかだった。
ごめん。例え互いの幸せの為になるとしても、俺はきっと君を手放せないだろう。


君の幸せを望めず、ごめん。
縛りつけてしまって、ごめん。
愛してしまって、……。




「……許すわけねぇだろ」



突然、静雄がそう言った。
怒りに染まった声ではない、だが、穏やかな声でもない。どこか凛とした声で。

臨也が目を丸くして静雄を見れば、静雄は自分に背を向けて歩き出していた。
路地裏の出口へと向かっているようだ。静雄のその向こうには道路や、青い空も見える。



シズちゃん、と臨也は名前を呼ぼうとするが、それを遮るように静雄は再び口を開いた。



「許さねぇ」



……それは、どういう意味なんだろうか。そもそも静雄は臨也の謝罪の意味を理解して、そう言ったのか。それとも今日の仕事中に連れ出したことを謝られたと、勘違いしての発言だろうか。


臨也にそれは分からなかった。



すると、……瞬間。




静雄はゆっくりと振り返った。

その顔には、穏やかで…悪戯な微笑みを浮かべて。




臨也の胸が、小さく高鳴って優しげな音を奏でる。




「許さねぇよ」



愛しい、声。
低く、唸るようなそれとは違う、酷く優しい声。そして、静雄はまた歩き出す。
今度は二度と振り返ることなく出口の向こうへと消えていってしまった。


静雄が見えなくなったにも関わらず、臨也はぽかんと路地裏の出口を見つめて立ち尽くしていた。


幻、みたいに。
一瞬のことで。
すぐに消えていってしまって。

それでも確かにその目で見た、静雄の微笑みが臨也の頭に焼き付いて離れない。



胸が、苦しくなった。
それは嫉妬で覚えた痛みとは違うもの。もっと、純粋な感情だ。
そう、愛しいとか。
好きだ、とか。

どうしようもなく苦しい胸を臨也はぎゅっと押さえつけた。


見境もなく欲しくなる輝き。
静雄という、自分の中の小さな光。
それは消えてしまいそうな儚く脆い光で、きっとすぐに衰えてしまうだろう。


けれど。


「きっと、いつまでも綺麗なままなんだろう。」

君は、変わらないのだろう。



そう呟いて臨也は、出口へゆっくりと歩を進める。


路地裏を抜けたら、其処は池袋の街。

やがて静雄がくれたこの純粋な想いも、池袋の喧騒の波に呑まれてしまう。



けれど、どうかこの一瞬は。


せめて路地裏を抜けるまでの、この瞬間だけは。俺も君と同じように、
綺麗なままで…………。







(君だけにこれを唄います)



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