高校二年の春。
新しいクラスでの初めての数学の授業の日。
騒ぐ教室に入ってきたのは長身で肌が白く体の細い男だった。
フレームなしのメガネの向こうに覗く琥珀色の瞳と、金髪の髪。白いワイシャツが眩しいくらいで、美形な顔は仏頂面の仮面を被っていて少しばかり勿体無い。
乱雑に教科書を教卓に置いた男はチョークを手にして黒板に向かう。

細く、綺麗な字でかかれた“平和島静雄”という文字。


彼、平和島静雄は教師と呼ぶにはあまりにそれらしくなく、
−−−−−人と呼ぶにはあまりに美しすぎる男だった。




Guernika



平和島静雄、24歳。
新任教師だが大学時代は塾の講師のバイトなどをしていたため、担当教科…数学の教え方は群を抜いて上手い。無口で無愛想、加えて金髪の頭髪をしているため第一印象は良くは思われないが、心根は優しく、穏やかな人物。大好物はプリン。職員室ではいつも甘いコーヒーかコーラ、いちごミルクを飲んでいる甘党。アパートで一人暮らしをしていて、弟思いの独身。

……これが、折原臨也が集めた平和島静雄の情報のすべてだった。
高校生の集められる情報など微々たるものではあるが、臨也はこの数ヶ月間、平和島静雄のことを全力で調べあげた。
何故かと問われれば臨也自身もはっきりとは答えられない。ただ、知ろうと思った。彼を一目見たあの瞬間に。


六限目の授業だからか、教室全体の空気が暖かく穏やかな眠気を誘うものとなっている。数人の生徒は眠っているようだが特に何かを言うでもなく、平和島静雄は教壇の上で数式を書いていた。
臨也の赤い目は静雄を捉えて離さない。くしゃくしゃなワイシャツだ、細い体つきだな、ちゃんと食べてるのだろうか。そんなことを考えながら目で追っていると、ふいに先生は振り返って説明をし始めたので驚いて肩を震わせた。
そして生徒たちを見渡す先生と視線が交錯したときは、思わず眉間に眉を寄せてしまうほど胸の中がざわついて仕方がない。…平和島静雄と折原臨也が目を合わせることはあまりない。折原臨也は極めて成績優秀な生徒の為、補習を受けることもなく、平和島静雄と関わりを持つことが授業以外ほとんどないのだ。会話さえしたことがない。臨也はその事実にさえも多少の苛立たしさを覚えるも、変わらぬ日々が続いていた。
興味深い観察対象、だから知りたくなる。けれど平和島静雄を見ているときのあの苛々が募るような気持ちが、それらとあまりに矛盾しすぎている。しかし考えても仕方がないので、臨也はあまり考えないようにしていた。


やがて授業終了のチャイムが鳴ると、平和島静雄はチョークを置いてゆっくりと口を開いた。


「週番の奴は放課後、ワークを集めて数学研究室に持ってこい。」


低く、透き通ったような声が心地良い。その声があんまり綺麗だったもので、臨也は自分が週番だということを忘れていた。静雄は黒板の端に書いてある週番の名前をゆっくりと口にする。

「折原、……いざや?」

思わず心臓が止まるかと思った。


臨也は弾かれたように立ち上がり返事をする。

「は、はい!」

慌てて立ち上がったせいで机に膝をぶつけてしまった。らしくない。
臨也が内心舌打ちをして静雄を見れば、静雄は目を丸くして臨也を見つめていた。あんまり臨也が慌てたから驚いたのだろうか。
バツが悪そうに、臨也は再びはい、と返事をする。すると、静雄の丸い瞳がすっと細まった。

「変な奴だな。」

ふわり、と優しく浮かぶ柔らかな笑み。花のつぼみがそっと開いたような、そんな笑顔がどうしようもなく綺麗で。号令がかかった後も臨也はしばらくそのまま動くことができなかった。




息を深く吐いて、ノックを二回。
そしてゆっくりと研究室の扉を開けばそこには平和島静雄以外の誰もいなかった。
臨也は平和島静雄の琥珀色の瞳が自分を捉えたのに心がざわめくのを感じながら、口を開く。

「……ワーク、持ってきました」

「あぁ、置いておいてくれ。ありがとうな。」

けだるそうにメガネをかけ直して静雄は臨也から目を離した。机の上にワークを置けば臨也の役目は終わりだ。…なんだかそれで終わりなんて、寂しい気がする。そう考えた臨也は思い切って、ワークの山から自分のものを取り出した。

「平和島、先生。」

「あ?」

「問題の、別解の解説がよく分からなかったんです。教えて頂けませんか?」


そう言った瞬間、先生の目が一瞬泳いだような気がした。
腕時計を確認すると、小さく頷いて携帯も取り出す。メールか何かをチェックしてるのか…?そう考えた直後、静雄は臨也の申し出を承諾した。そばに椅子を持ってきて、そこに臨也を座らせる。
終始、臨也の胸の高鳴りは止まなかった。会話の、チャンスじゃないか。


「で、どの問題だ?」

「38ページの問5です。」

「あー…、これは………」

すらすらとシャープペンシルが細い数式を書いていく。その指の動きをじっと見つめているとまた胸の辺りがざわざわとしてきた。なんだろう、どうしてこの人を見ているときやこの人のことを考えているときの俺はこんなにも不安定なのだろう。胸に広がる感情は苛立ち?いや、違う。苛立ちに似た気持ちだ。かといって嫌な気持ちというわけでもなく、嬉しい気持ちでもない。単純な感情ではなく、名前をつけるには難しいような、もっと複雑な………。


「おい、聞いてんのか。」

はっとして顔を上げれば訝しむような先生の顔。予想外の距離の近さに、臨也はすぐ琥珀色から目を逸らして、すみませんと呟く。

「………つうか、お前にも分からない問題とかあるんだな。」

謝った俺の様子が先生の目にどう映ったのか、ふいに彼は話を変えるようにそう言った。自分のワークを見やりながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「それは、どういう意味ですか」

「いや、お前、数学のテストもほぼ満点だし。聞けば他の教科も成績良いんだろ?なんか、何でもこなす完璧人っつーイメージがあってな。文武両道、加えて顔立ちも良い。モテるだろ、お前。」

最後は先生なりの気をつかった冗談のようなものだったのだろうか。
モテる、…か。

「先生こそ、数学はもちろん運動も出来そうだし、……何より綺麗だ、すごく。」

無意識のうちにそんな言葉が口から出ていた。
自分の言った言葉の意味を理解して、はっと顔を上げる。

綺麗だ、なんて言うんじゃなかった。確かに本心ではあったが、男相手に綺麗だと言うなんて。
そこまで考えた瞬間、改めて先生の顔をしっかりと見つめた。

「……折原?」

そう言った先生の唇は綺麗な薄桃だ。白い肌。よく見ればまつげも長い気がする。ブリーチで染められた金髪がふわふわと跳ねているのもまた愛らしい。そして何より、あの目が。先生を初めて見たときから輝いていた琥珀色の目が、鮮やかな光線を俺の瞳に染み込ませていくから。

だから、
今まで気づかなかった感情の名前にも、きっと気がついてしまったんだと思う。

「好きです」


口から零れ落ちたのは素直な告白だった。
その一言を口にしてしまえば、後は頭に血が登ったように顔が上気して。まるで楽しかった思い出を語る子供さながら興奮し、知らぬうちに抑えていた気持ちを吐露するばかりだ。

「好きだった、初めて貴方を見たときからずっと。数学の授業がある日はいつだって楽しかったし、先生の授業を嫌だと思ったことは一度だってなかった。これは、恋なんだ、きっと。」

苛立ちにも似た気持ち、それが恋なのだと気づくことができなかったのは何故だろうか。今、言葉にすることで初めて気づけたような気がする。
…夢中で想いを語る臨也に、静雄の表情は見えていない。

「先生は男で俺も男だ、でもだって仕方がないじゃないか、一目惚れだったんだ。愛して、いるんだ、本当に、本当に。先生を、」

愛しているんだ。

そう言った臨也はそのまま俯いてしまった。
今まで彼が経験したことのないような爆発的な感情の吐露は、予想以上に彼の神経をすり減らしたらしい。気持ちを素直に吐き出しただけで、ぐったりとした疲労感が体にのしかかる。
そしてその余韻に浸る前に、臨也は大事なことに気がついてしまった。

先生は、
こんな俺を、どう思ったのか。
同性同士なのに先生に恋をしてしまった俺を、気持ちが悪いと言うだろうか。


突然、冷水を浴びせられたかのように頭が冷えていった。ああ、勢いに任せて言ってしまった。嫌われた?気色悪がられた?

だが、そんな心配は杞憂に終わることになる。
先生の様子を恐る恐る伺えば、彼は驚いたように目を丸くしていた。そこに嫌悪感の類いの感情はまったく表れていなくて。ただ、ただ驚いたと言わんばかりの表情。平和島静雄は、ゆっくりと口を開いた。「……悪い、何となく、それは知ってた」


………は?


「…えっと、」

「あ、知っていたっつうか、なんかそうなのかもしんねぇ、って感じで。」

先生は弁解するようにそう言った。だが、どうして気づかれたのか。自分自身でさえたった今気がついた気持ちだというのに。臨也は呆然としながら問いかける。

「なんで」

「…あー、だってお前すげぇ見てくるから。痛いくらいの視線だったもんだから、そりゃ普通気づくぜ」

「…そんなに、見てましたか?」

「あぁ。…まぁ、それなりには」

照れたように顔を赤らめて頬を掻く静雄を横目に、浅はかな自分を臨也は恥じた。うなだれて、唇を思わず噛む。
何故そんなにあからさまな態度に出してしまったのだろうか。やはり相手が大人だから気づかれたのか。ぐるぐると頭の中で考えが巡るが、どれも信憑性のある推測ばかりでだんだんと情けなくなってくる。

しかしいつまでもへこたれてても仕方がない。ここまで来ればもう後戻りは出来ないだろう。
臨也は勇気を出して、静雄に問いかけた。

「なら、俺と付き合ってくれませんか?」静雄の瞳が僅かに揺れる。

それを見た臨也はさらに真摯に静雄へと迫っていった。

「高校生だけど、それでも貴方が好きなんだ。幸せにするし、だから、」

「悪い。」


…………臨也の言葉が止まる。


「俺はお前とは付き合えない」

眉間に皺を寄せて、静雄は静かにそう答えた。
嗚呼、もったいない。
先生のせっかくの綺麗な顔に悩ましげな皺なんていらないよ。
臨也が頭の片隅でそう考えたとき、
静雄はゆっくりと唇を動かした。



「恋人が、………いるんだ。」




生まれたばかりの恋心は、
叶うことなく終わってしまうかもしれない。


………to be continue.







臨静です!←






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