※20歳御剣




多く私が感じることなのだが、自分の言葉はまるで言葉ではないような気がする。正確に言えば、周りの人が理解できる言葉を話せていないような気がする。もどかしくて、真意が伝わらなくて、結局口を噤んでしまう。そういうシーンを何度も繰り返してきた。初めて感じたのはまだ小さいころ、私にいま触れているこのひとにそうされたことで、そしてまた今再び会って、またも私の言葉は奪われた。怜侍くん。綺麗な目と、声をした人だった。この世から正しくないものを一掃できる声だった。私が自分の中でしか昇華できない言葉を用いているというなら、彼はさながら全方位に通じる共通言語を用いる、あらゆる人間をその言葉だけではっと気づかせることができる、選ばれた人だった。私はまがった物の見方しかできない凡人で、彼は真っ直ぐな天才だった。



薄暗い早朝のシャワーというのは、どうしてこうも絶望的なのだろう。監獄に降り注ぐどしゃぶりのようにさえ思えるときがある。情けなく泣いたら鼻から水を吸って惨めな気持ちになった。汚い。吐き気と下腹部の鈍痛で座り込んでしまって、頭垂れてしばらく泣いていたら何の躊躇いもなくバスルームのドアが開かれて怜侍くんの冷たい声が降ってくる。「早くしたまえ。私は仕事がある」私だってある、と叫びたくなったけど無様なほど自分の声は潰れて、掻き消えた。顔を掴まれてむりやり怜侍くんの方を向かされるが、私は唇を結んだままどうか涙が漏れ出していることが気づかないでほしいと願う。



「そんなに嫌なら、二度と私に近づくな」



この世にこれほどさみしい言葉が、存在しているだろうか。最初に言われたのは成人式にほんとうに何年ぶりに会ったときで、怜侍くんはびっくりするほど変わってしまっていた。多くの人を扇動し、鼓舞する言葉は多くの人を誘導し、思いのままに動かす言葉に変わっていた。白銀のカリスマは真っ黒に汚れて、手が付けられない物に変わっていた、と思う。どうしてこんな関係になってしまったかは発露をはっきり思い出せない。結局のところ私はこんな手段でしか人に干渉することはできないからだろう。もっともその干渉なんてものは―ただの、ただの一時の欲望と発情を互いに合致させた瞬間だけで終わってしまう夢みたいなものなんだけど。


「やだ」子供みたいだと思う。でもあまりにその言葉は、悲しい。むなしい。私の心の方が孤独で剥がれ落ちてしまいそうになるくらいに。「違うの、怜侍くん、わたし」なんで泣いてたのかな。私が望んであなたにせめて何かをあげられたらと思って始めたことで、むしろ怜侍くんは私に付き合ってもらってるようなものなのに、彼の傍にはきっと頭も良くて優秀だったり綺麗で大人な女の人がいっぱいいるだろうに、だから私が辛いから離れると言ってしまえば何もかもおしまいなのだ。怜侍くんは一人になってしまう。この言葉を振りかざして、孤独の水底に沈んでしまう。


たとえセックスしてたってろくに汗もかかないしただ眉を顰めて目を閉じてるだけの怜侍くんがシャワーの水滴で濡れて、表情は雨の中の子供みたいに見えた。このひとは、きっと、何も変わっていないのだろうと根拠はなくとも確信できた。大人になってしまったわけではなく、何らかの、おそらくは小学校の急な転校の理由になった出来事で、彼は大人にならなければいけなかっただけなのだろうと思う。子供でいるわけには、いかなかったのだろうと。だから私はどれだけ傷ついても彼の傍から離れられないと思ってしまう。せめて傷を癒せなくてもいいから、吐露できる人が現れるまで、傍に。


私は手を伸ばす。つめたくかたい白い頬に。「好き」怜侍くんは理解できない物を見るようなぞっとするほど軽蔑を隠さない視線を私にただ投げかける。「好きなの」「君の言葉は、軽い」「知ってる。だけど、好き。小さい頃から、言いたかったの。あなたに。怜侍くんに」いつもいつも私の気持ちなんてほかの可愛いとか声が大きいとかたくさんの女の子たちに埋もれてしまって、届かない。だからこそ私は、嬉しいとさえ思ってしまう。この雨の中には私とあなたしかいない。私の声はやっと、音だけでも、伝えることができる。そこに込められた気持ちの大きさも、強すぎる意味も、あなたは理解できなくていい。


そういう力を私は持たないことは知っているから、私の横に濡れたまましゃがんでいる無表情な怜侍くんに私は縋るように抱き着く。私は想像を絶するほど弱いだろう。あなたから見たら理解ができない思考回路で動く、不気味な生き物に違いない。「嫌いになったりしないから」シャワーの水滴がいっぱいいっぱい、怜侍くんの頬を滑り落ちていく。長く揃った睫毛を濡らし、結んだままぴくりとも動かない唇を縦に裂き、幾筋も幾筋も。「だから、一人になろうとしないで」私の痛みなんて、この人がずっと背負ってきたものに比べたらどうということはないのだと思えば思うほど、ひどい耳鳴りが頭痛を呼んで酸欠になるほど苦しくなる。怜侍くんは私を抱きしめてくれない。私と同じで、寂しさを埋める正式な手段を何も知らないまま、大人になってしまったひと。彼は一言だけ、やっと自分の感情を絞り出す。



「―虫唾が走る世界だ」



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