※『検事2』から8年後設定





私の上司は一言で言えばバカである。


往々にしてそれは不幸なことだし、同期の茜みたいにイケメン…ではなくてもいいからせめて優秀な人の下で働けたらそれはもう最高の環境だろうと自分でも思うけど(彼女曰くマッタクそんなことはないらしい、無いものねだりの権化め)、うちの上司は残念ながら頭が悪い。しかし一生懸命仕事はしたがるし、何より失敗した時の、あの、けとばされた子犬みたいな情けない表情としかしそれでも立ち向かっていこうとするひたむきさはどうしても私の心のすみっこをきりきり摘むから、どうしても余計な口を挟んでしまう。そうすると彼は嬉しそうに笑って、得意げにそれを自分の考えのように語り、最終的に私にお褒めの言葉をくださる。結果的に個人としては足りなくても飼い主としてはどうしようもなく有能と言わざるを得ない。


「これは…わかったぞ!いちりゅ、いや―優秀検事の俺にはもう、真相は見えたッ!」


聞こえよがしの得意げな声に、始まった――と私は溜息をつく。今回の捜査は駅前のビジネスホテルの一室で、せっせと鑑識は行き来し室内の痕跡を浚い私はタブレットを取り出して事件のファイルを引っ張り出す。どうかそのまま自分の心の中に留めておいてほしいと一緒に仕事を始めて二回目から既に願い続けている言葉を唱えながら―「みょうじ、来い!俺のスイリを一番に聞ける権利をくれてやる!」―そんな都合よくいくわけがなかった、と私は顔をしかめて「ありがとうございます」と機械的に言って、脇に立ってやる。…そもそも現場は私達刑事のフィールドだってのに。

「俺が思うに…うん、これは、自殺だな!間違いない!被害者はあそこの窓から…飛び降りたッ!そして即死!そうだろう?」「…そうですね、即死でしょうね。6階の高さで頭から落ちれば、やはり意識があるとは考えにくい」「だろう!優秀な俺は既に解剖記録を確認しているが―被害者の遺体からは強いアルコール反応、それに睡眠薬の痕跡だ!間違いなくめい……めいわく…?めい、めい…」「酩酊」「そう、メイテイ!メイテイ状態で意識もなく路上に落下した、ってことだろうな」

フフン、と検事は胸を張る。この人は最低限のことはこなせるのだが、問題はその最低限が物事の全てだと思い込んでいるところだ。「私もそう思います。死体は路上で発見、夜ではあったものの時間はさほど遅くないため目撃証言も届いてますし、また解剖記録から言っても落下時に意識があった可能性は低いでしょう。ただ―」「ただ、俺がなぜ自殺と断定したか、知りたいのか?そしてそれはそー…ソーケイだと!言いたいんだろう!そうだな、みょうじ」め、めずらしい頭のきれ…そして嫌な予感。「は、はい、そうです、まだ決めるには早計ではないかと―」待ってましたとばかりにびっ!と検事はいつも楽しそうに振る指揮棒をそこで私に向ける。


「それには交換条件だ!教えるには、俺の命令を聞いてもらう!」「………あの。さすがにちょっとムジュンが多すぎてわかんないです。聞きますけど。命令なら。部下なんで」「フ、そうだろうそうだろう…いいか。今日の仕事が終わったら、俺と夕飯を食べに行くんだ、わかったか?」素晴らしい提案だとも言いたげに彼はぽんぽんと掌を指揮棒で叩く。私は、がっくり肩を落として、「セクハラです」「せ、せくはら………!ええと、そ、そんなハレンチなこと、俺がするわけないだろ!そういうことをするのは夕飯に誘った後だって言ってたぞ!」「…検事。いいですか、セクハラは別にいやらしいことをするという意味だけで使われるわけじゃないですし、私はますます夕食のお誘いに乗るわけにはいかなくなりました」

「な、なんでだよ!命令だ!命令だぞ!あっいや違う、交換条件だ!俺のスイリの根拠のための!」悪い予感は的中し、検事は涙目で私に訴えかけ、ここで拒んでは間違いなく私が稀代の悪役になりかねないと思って私は鼻から息を吐き、自分の額を掌でぐりぐり押す。「……わかりました。スイリ、聞きたいです。夕飯も行きましょう、業務が残らなければの話ですけど」「…そうだろう!よし、いい子だみょうじ!………で、ええと」「何故自殺と断定したか、です」「そう!それだ、何故自殺だと思ったか―トーゼンこの部屋には、事件発生時、被害者一人しかいなかったからだッ!」


私は固まった。様々な意味で。ベッドの上で検査をしている顔見知りの鑑識が同情した視線をこちらに投げかけたのがわかった。「…あの。もしかして、まだご存じありませんでしたか。一人ではなかった、って」「な……なんだと!聞いてない!そ、そもそも誰だよ、そいつは!被害者は出張中で親族や友人はこの近隣にはいないって―」とんだ貧乏くじだ、と私は苦々しげに顔を歪めて、小声で言う。「…デリヘルです」「で、でり…?」「…出張ヘルスサービス、つまり嬢が一人派遣されこの部屋では性的サービスが行われていたんです。おわかりですか」

25歳の検事はうーんとしばらく考えた末、「………つまり、金を払ってハレンチなことを行っていたと!夕飯の後になら誘ってもいいことを!」「その認識は心からどうにかしてほしいですがまあ、一応は合ってます…なので人がいたんです。その業者には今連絡を取ってる最中です」「フーン…そっか。じゃ、俺のすることはないな。任せた。捜査を続けようぜ」はた、と止まって検事は頷く。私はこういうとき、情けないことにひどく狼狽する。大抵の場合、無能な検事はここで私に己の責任を押し付け叱るとか八つ当たりに入るのに、彼はそういうことだけはしない。あっという間に切り替えて、次の段階に入ってしまう。自らの恥なんてどうでもいいとでも言いたげに。


そういうところが掴めなくて、摘まれる。


「…おーい?みょうじ?どうしたんだよ、ぽかんとして」「え、いえ、すみません報告してなくて」「ま、しょうがないだろ。でもホントなら俺に一番に報告が来るはずなんだけどなあ…どうして外されんだろ、この前の捜査でもそうだったんだぜ」心底不思議そうに首を傾げる彼に私はちょっとだけ愉快な気持ちになって、笑う。「この手の話は検事には刺激が強いって皆思ってるんでしょう」「…は?!なんだよそれ、どういうことだよ!俺もう25歳だぞ!酒だって飲めるし!一緒に夕飯食ったらその後そういうことしていいんだ!」「…はあ。ご存知ですか、検事。そういうことは、好きな人と、何度か食べに行って仲良くなった後するんです」彼は、ふうん、ともう一度唸り―そして思いついたかのように声をあげる。


「じゃあ何回もオマエを誘っていいのか?」


え、と私は声を出す。「だから、仲良くなるまで好きな奴と何回も飯食べに行っていいんだろ?うん、それはいい案だ!採用してやる」「えあ、だから、あの、わたし―」なんて言えばいいかわからない。そ、そもそもこういうことは私だって得意じゃないのに、まったく弟みたいな実家の飼い犬みたいな上司に―上司はあの特徴的な半目で、ふふんと笑う。「…そしたらみょうじだって俺のこと好きになるって。ゼッタイな」……もう好きにしろ、と私は顔を背けておそらく真っ赤になってしまった耳を髪で隠す。しょうもないバカ上司は、とりあえずバカなだけで、おそらく無能ではないのだろう。

たぶん。


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