「おなまえちゃん、サクラ好きだっけ」



はあ、と私は声を出して香水くさいがさがさのベッドに寝転がったまま読んでいた雑誌から顔を上げてタテユキを見た。「サクラ」「そ。チェリーブロッサム。好き?」彼はにんまり笑ってぴこぴこと両手の指を二本ずつ上げて動かす―謎の決めポーズを決めて、鈍い音をあげる冷蔵庫から自然な流れでバドワイザーの缶を取り出して水みたいに喉に流し込む。湯気の立つ身体はだらしなくジャージだけを履き、上半身には首にかけられたタオルしかない。「行かない」私は視線を雑誌に戻す。「…もうバレちゃった?早いなあ。お願いだよー、オジサンの顔を立てると思って」「やだったらやだ。日本語喋れないもん」タテユキはぴょんと私の上に乗って猫みたいに擦り寄り、私の背にかかる髪を集めはじめた。「都合の悪い時だけアメリカンのふりしないの」「タテユキも都合の悪い時だけ情けないおじさんのふりしないの」


参ったな、と彼は笑い、一口ビールを口に運ぶ。「真面目に頼んでるつもりなんだよ、これでも」「誠意が感じられません」「お。金品かな?花束?それともディナーから?」「どれもすっ飛ばしてベッドの上でほろ酔いで言われても聞かない」「おいおいおい。まだ酔ってないよ。君のスプライトみたいなもんだよ、これくらい」…タテユキは。大抵の場合、私が拒むとどのようなことでも二・三言で引いてしまう。しょうもないポリシーなのかプライドなのか元々の性格なのかは知らないけど、こんなに食い下がってくるというのは珍しいことだ。残念ながら私はまだ諦めの悪さを仕事中以外で見たことは無い。「…キラいなのは知ってるけど、さ。日本の春は綺麗だよ。アレルギーさえなければ過ごしやすいし。どう?」


セレブのつまんないスキャンダルも毎年同じように回されるファッションにもそこまで興味はないけど、タテユキのタテマエを延々と聞くよりはずっと有意義なので、私は一切取り合わない。「日本で女の子作って助けてもらえば」「あれ。ヤキモチ?おなまえちゃんそれってヤキモチ?そこだけは喜ばざるを得ないなあ」「違うっ!…真面目に言ってくれないなら一切話も聞かないし考えない」「わかったわかった…ごめんね、」ぎ、とタテユキが私の背中に乗り、髪を分けてそっと首筋に唇をつける。「真面目にさ、頼んでる。一緒に来てほしいって」身体を使うのは何より踏み込まれたくないときだ―と私は知っている。「タテユキ、オジサンなんてやめなよ。敬称なんだし」「え」ごろん、と私は彼から逃れるように仰向けに転がり、頭を引き寄せてやる。「じゃあぼくはなんて自称すべきかな」「アダルトチルドレン」私がくすんだ肌色の大きな耳に唇を寄せて言ったら、彼はそれはそれは楽しそうに笑った。


「寂しいし不安だから来てほしいって言ったらいいよ。あと、日本の彼女をほったらかしてふられてそうで怖いって白状したら私の席代は自費にしてあげる」「うーん。飛行機代は惜しいけど真実は前者だけだな。いないよ、日本に彼女なんて」私は訝しげに目を細める。「本当に」「本当だよ。一緒に来て確認するかい」タテユキが私の頬にキスをする。結局私は求めていた答えは得られなかったような気がして、ぼんやり溜息をつく。「念押さなくても行くよ。ちゃんと自分で」「本当に?」「本当に。寂しがりで悲観的で打たれ弱いタテユキのためにね」「ベイビー君は本当に最高だ!オジサン今日は張り切って奉仕しちゃう」「…タテユキがベイビーとか最高に似合わないから撤回するように。ねえ、本当に着いて行っていいの、わたし」「いいよ。そのまま事務所に入ってくれても、ね。何にせよ今回で決着付けたいんだ。いつまでもミツルギの名前でふらふらしてられないからね」…やっとほんの少しは真面目になった、と私はタテユキの大きな目を見る。ミツルギって昔の奥さんとかかなあ、と思う。おっかない名前。優しい盾をいつまでも痛い目に合わせる天から投げ込まれた火の、邪悪な響き。私は今度はタテユキの唇に自分の口を合わせて舌を伸ばす。あなたを焼く悪魔は私だけで充分だ。



ゴスペルオブルーク   IS-7号事件解決前の話

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