DendrotoXin

メガロパ・アンヒューマン






「ナオキ、こんなところで何をしてるんだい」
「ほんと、こんなところで奇遇ね、アルベド。花占いみたいなものよ。好きか嫌いかを、占うの」
「ボクには蟹に見えるのだけれど」
「じゃあ蟹占い」

城の右の城門を出て左手側、シードル湖を目の前にして焚き火に当たる女は、数日前のニュースペーパーの上に置かれた焼蟹が冷めるのを待っていた。
モンド城では人があまり出向かないこの場所へ、アルベドが足を運んだのは偶然ではない。自分の家に帰る途中ガイアから、ナオキが焚き火をしていて危なっかしいから見に行ってやれ、と。要は焚き付けられたのだ。危ないと思ったなら君がついていれば良かっただろうと小言を言うと、『俺はやることがあってな。それに、本当に俺が一緒で良かったのか?』とガイアは挑発的な発言をした。目を細めて口角を上げる彼に、アルベドは自身の、ナオキへの想いが勘づかれていることを悟った。
この男に彼女への気持ちが漏洩していたことは、アルベドにとって想像もしなかったことであった。ただ、彼女に会いにいく口実ができたというのも事実であったため、野次るガイアを無視して足早にこの場所へと赴いたのだ。しかし様子を見に来れば、恐らく恋占いであろう行為をしようとしている。しばらくぶりにナオキに会えると浮き足立っていたアルベドの胸中を騒つかせるには、十分すぎる出来事であった。
アルベドはナオキの隣に腰を下し焚火に目をやると、棒で刺された魚が焚き火に炙られているのが目に入る。彼女は釣りができただろうか。自身の記憶を探っても、ナオキが魚を獲っている情景が想起できず、アルベドは首を傾げた。

「この魚は君が?」
「ううん。ガイアがさっき獲ってくれたの。ガイアってすごいのよ、魚がいるところだけ上手に凍らせて。まぁ溶かすのがちょっと面倒だったけど。これが焼けたら彼の所に持って行かなくちゃ」

蟹の温度を指で確かめながら「蟹はお土産でもらったやつ」と笑う彼女に相槌を打つ己の顔が引き攣っていないか、アルベドは気が気ではなかった。
完全に仕組まれている。アルベドがナオキの所に来ようが来まいがガイアは彼女の安否確認ができたし、自分と彼女の関係が進展しようがしまいが、ガイアに情報が行くようになっていたのだ。アルベドは眼帯の男を今一度思い出し、胃をムカつかせた。焚き火で暖を取り、湖と風の清涼な香りを感じながらも、アルベドは苦虫を噛み潰しているような心持ちであった。
温度が丁度よくなったのか、ナオキは蟹の足を二本毟ると、殻をナイフの柄で割り塩をかける。一般的な花占いは花弁を一枚毟り好きか嫌いかを口にするが、その辺りはあまり気にしていないようであった。

「アルベドは好きと嫌い、どっちが先がいいと思う」
「ボクは…そういった占いの類いは気休めだと思うから、君が決めるといい。花弁の枚数も蟹の足の本数も、種別によって変わることなんて稀だからね」
「そんなことは分かってるよ。どっちからがいいか聞いてるの」
「………好き、」
「うん。じゃあはい、好き」

ナオキに好きと言って渡された蟹の足は、身がしまっており上等で、食べやすい温度になっている。しかし、誰に向けたかも分からない彼女の好意が込められたそれは、アルベドには最早毒が入っているようにすら感じ、口に運ぶのを躊躇い、殻のトゲを指でなぞった。
順番を待ってまだ自分の蟹を食べていないナオキの、早く食べろと言わんばかりの視線に、アルベドは一思いに口内に収めた。久々に食べた蟹の繊維質な身をかみ砕くと、舌は蟹のうま味を拾っていた。
アルベドが蟹を頬張るのを見届けると、ナオキは「きらい」と言いながら続いて蟹を口にした。蟹の味が気に入ったのか、彼女は目を輝かせながら一本目の蟹の足を食べきった。

「ナオキは…ガイアが好きなのかい」
「はぁ、なんでガイア?」
「いや、そうじゃないならいいんだ」
「ふぅん、ガイアが好きじゃ嫌なの」
「いや……嫌ではないよ。ただナオキが誰が好きなのか気になっただけだ」
「知りたいの」
「君が占いなんかに頼るほど好きな人だろう。興味がある、かな」
「そうね…ガイアよりかっこいい人かな。はい、好き」
「…随分曖昧だね」

アルベドはまた彼女に急かされる前に二本目の蟹を口に入れると、若干のえぐみを感じ、早々に飲み込んだ。
ガイアよりもかっこいいと形容される男は、このモンドにはそういない。かといって、ガイアでもないということは、この国の人間ではない可能性に、アルベドは思い至った。そして、彼女の想い人を知ったところで、自分が今更どうすることもできないということを、分かっているようで分かっていなかったことを、今理解してしまった。
「きらい」という言葉を口にしながら、相変わらず嬉しそうに蟹を頬張るナオキは、アルベドの胸中等知る由もなく、微妙な顔の隣の男がまだ自分の想い人を考えていると思っている。

「ヒント欲しい?」
「うん」
「う〜ん、結構鈍いのかも」
「鈍い?」
「私はかっこいいって言ったでしょ。でもその人はきっと、自分のことそうは思ってないんだろうなって思うよ」
「ふぅん。そういう男のことが好きなんだ」
「そう。好き」
「……」

渡された三本目の蟹の足を見つめたところで、最早どうにもならないことはアルベドにも分かっている。しかし、ここまで彼女に想われている筈なのに、未だそれに気づいていないらしい男に対して、妬ましさと羨ましさから手に力が入り、手袋に殻の棘が刺さる。
いっそ嫌いと言いながら渡してくれたら良かったと、アルベドは奥歯を咬み合わせた。嫌いと言われながら渡されたのであれば、少しは心穏やかであった筈なのに。「きらい」と言いながら、好きだと表情へ滲ませて告げる女の毒が全身に回り、動悸がする。
魚を焼き終わったのか、ナオキが魚を火から離して、簡易皿に乗せている。この後またあの眼帯の男と会う予定がある彼女に、行かないでほしいと言う権利はアルベドにはない。アルベド自身、そのことは分かっていても、考えてしまう。今己が彼女にわがままを言ったとして、彼女がどんな反応をするのか。しかし実際は、困らせるだけなことは分かっているため、口に出すことは無い。

「ハサミの大きさが違うね。アルベド、大きい方あげる」
「それは君が食べると良い」
「大きい方がおいしそうだよ。それに、好きが大きいほうがいいの。アルベドが食べて」
「…うん」
「ふふ、好き」

中途半端な優しさと気遣いが、アルベドの空しさを助長してゆく。今この瞬間、一番傍にいるのは、ナオキを想っているのは、自分だというのに。喉から手が出るほど欲しいその言葉は耳を滑り、宛てた人物に届かず宙に霧散する。空気に溶け出したそれを吸ってしまったから、こんなに息が苦しいのか。最後の「きらい」は願わくば、見知らぬ誰かのものに。アルベドはそう思わずにはいられなかった。咀嚼した蟹ごと空気を飲み下す。かといって何も無かったことにはならない。詰め込み過ぎたのか嗚咽が漏れそうになるも、せり上がる感情ごと喉をすぼめてせき止めた。
やはり、他人へ過度な期待を抱くのはいつだって、リスクが大きいとアルベドは思う。労力が成果に見合わないことがあまりにも多い。他人に頼るよりも、自分で解決することのほうが、回りまわって何倍も早く終わる事など、何度も経験してきた。
ため息を付いてナオキの肩に頭を寄せると、髪がこそばゆいのか、身をよじりながらもアルベド方へ身を寄せる。アルベドはそんな彼女もたまらなく愛しくて、目を細めた。
一人でいた時より、二人でいる時の方が寂しさを感じることがある。
彼女への好意を自覚する前には知りもしなかったが、彼女のふとした瞬間に見せる誰かへの感情が、アルベドの寂しさを撫でつけてやまないのだ。
アルベドは普段であれば行儀が悪いから、としないことだが、身の無くなった蟹の爪でナオキの薬指を挟んだ。彼女の皮膚を傷つけないように、しかし離さないように少しだけ力を入れて抑える。魅力的なオスの求愛などできはしないと、思い込んだ男のままごとのような愛情表現は、かなり分かりにくいものだった。
指を見つめて少しだけ呆けると、ナオキは残っていた甲羅を差し出した。

「好き」

彼女が嫌いと言って、それでおしまいだと思っていたアルベドは、目眩を感じた。これは、意地悪をした報いなのだろうか。蟹の足が偶数だと分かっていながら、彼女に好きから始めさせたから。彼女の恋を、見知らぬ彼女の想い人への想いを、尊重できなかったから。愚かな己への罰なのだろうか。
彼女が自ら結果を変えるような、それくらいの熱量を持ってその男を想っている、ということを見せつけられたようで、自分が入る余地が無いと暗に言われているように思えてしまう。

「君は…花の茎も無理やり使うタイプだったかな」
「占いなんて気休めだしね。でしょ」
「……好きな人にそんなに好かれたいの」
「それはそうでしょ。私の好きな人が、私を好きになってくれるなんて、この上ない幸せだわ」
「そんなに…好きなの」

下瞼が重く、ぬかるんでいく。ナオキが好意を吐露するたびに、アルベドは己の気持ちがあまりにも無意味だったような気がして、自分から赴いたくせに、この場から今すぐ立ち去りたいという思いに苛まれる。

「好きよ」
「……そうか」
「ひどい顔」
「っ…ボクはもう行くから。火の扱いには注意して」

立ち上がろうとしたアルベドは、腕を引かれよろけた先で、頬に柔らかな温度を感じた。

「好き」
「それは…」
「ねぇ、誰が好きだと思う?」

全身の血が沸き立ち、全身のタンパク質が固まってしまったのかと思う程、アルベドの体が固まる。顔の神経の全てが、彼女に触れられた箇所に集中し、触れられた感触を脳が繰り返し再生しているようだった。

「……ボク?」

ナオキは自信の無い返答に答えるように、アルベドの唇に口づける。若干焦点の定まらない目で、青かった顔を真っ赤にしたアルベドは、ナオキの瞼に口づけると、腰を抱き額を擦り合わせた。数秒見つめ合った後、ナオキは血の匂いを嗅いだ。不審に思い一旦顔を離すと、アルベドの鼻から垂れる鮮血に焦って、ハンカチを押し付ける。

「アルベド、鼻血!」
「……すまない」
「大丈夫…?」
「鼻血のことは大丈夫。でも…恰好が付かなくて嫌になるな」
「そうね。蟹の求愛行動なんかじゃなくて、人間の言葉で伝えてほしいわ」

ナオキが蟹の求愛行動を知っていたことに、アルベドは若干顔をしかめたが、隣で自分を笑いながら心配する彼女の表情につられて、口元が緩む。鼻血でハンカチと手が汚れることも気にせず、己の鼻に当て続ける彼女に、とんでもない充足感を得てしまう。彼女を抱きかかえて街中を練り歩き、街行く全ての人に自慢したいくらい、浮かれているな、とアルベドは自己分析をしていた。

「ボクも好きだ。キスされて鼻血が出るくらい」
「毎回出さないでよ」
「それは約束できないけど…努力する。ボクと交際してくれるかい」

答えなど聞かなくても分かっているだろうに、不安そうに問いかける男の唇にナオキはもう一度キスをする。ようやく漕ぎ付けた愛しの人とのキスは、蟹の味がした。
答えに満足そうなアルベドの鼻血は止まらず、本当に大丈夫なのか思案していると、何かを思いついたのか、見た事もない悪い表情で頬を寄せた。

「ボクのかわいい人、さっそくお願いなんだけど」





「それで飯がなくて、わざわざうちへ来たのか」
「ああ。どう転んでもどちらかが…いや、俺の読みではアルベドが持ってくると思っていたから、大穴だ。鹿狩りでも良かったんだが、どうも甘さで胸やけがしてな。誰かさんの顔で中和しに来た」
「早く馬に蹴られて来い」
「はは、明日あたり蹴られそうだ」

ガイアが午後の死のグラスを空けると、ディルックは無言でシャンディガフを差し出した。あまり飛ばし過ぎるなという無言の圧力に苦笑しつつ、ガイアはグラスを傾けた。
この夜はまだ始まったばかりだ。

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