DendrotoXin

割って、春。





「君に好きになってもらうには、どうすればいいのだろうか」
「アルベド、それは私に直接聞くことじゃないんじゃない」
「確かに、でももう聞いてしまった。どうすればいいのかな」
「え?うーん、自分で考えてみたら。とりあえず今日は薄氷割りに付き合ってほしいかな」
「わかった」

ボクはどうすればナオキに好きになってもらえるのか、もう既に随分と自問自答した後だ。結論、答えを得られなかったのだから、答えを得るために取るべき手段は一つしかないと思っていた。しかし、確かに言われてみればそうだ。彼女がボクに答えを教える義理は無いし、答えを教えるに至っているのであれば、もう既にボクのことが好きだということが推測できる。答えをくれないということは、つまりそういうことなのだろう。しかし彼女から一緒に、少しだけ遠くへ出かける提案をもらえたということは、きっと嫌われてもいないのだろう。ボクは今彼女の中でそのような立ち位置にいて、恐らくまだ地位向上の機会がある。そう捉えて相違ないはずだ。
出かける準備をするといったナオキは、クローゼットを開けると普段着のワンピースの上に厚手のコートを羽織り、マフラーを巻いた。ナオキがこちらを見ていないのをいいことに、不躾にクローゼットの中を見れば、ボクがプレゼントしたアクセサリーたちが、ガラスのジュエリーボックスの中で息を潜めてボクに助けを求めていた。きっちり綺麗に並んだそれらは、どうも使われた気配がない。気に入らなかったのだろうか。聞き出した好きな色以外は、どんなアクセサリーが好きかを知らなかったから、指輪にネックレスにブレスレット、ピアスの穴は開いていないからイヤリングも、一通り贈ってある。だが、現に彼女はネックレスの一つも着けてはくれない。それどころか、今日までだって付けたところを見たことが無い。両手に手袋をはめ、遠出用の鞄を下げてボクの方へ振り向いた彼女は、普段となんら変わらない。存在が愛らしいだけの、ボクに飽きを抱かせない可愛い人。

「ドラゴンスパインに長くこもっていると、その辺の薄氷割りなんてあまり楽しくないかもしれないけど」
「構わない。なぜ薄氷を割るのかはわからないが…ナオキがそうしたいのなら、そうしよう」
「そっか、じゃあ行こう」

「いつ見ても寒そう」とボクの腕を撫でるようにさすって外出を促すナオキに、アクセサリーはしないのかという問えば「冷たくなっちゃうから嫌」と返されてしまう。そうなるとボクはもう口をつぐむしかない。ボクの不満がよほど顔に出ていたのか、ナオキは「あなたが春に気づいたらね」というあやふやなことを言いながら鞄に軽食と水筒を詰めた。ボクは彼女の言葉に納得する前に「わかった」と返してしまったが『春に気づいたら』というなら、もうすぐ彼女がボクの贈り物を着けてくれる気候が巡ってくる。ともすれば、確定的な約束はせずとも、ボクが季節の移ろいに気づいたら良い。きっと、そういうことだろう。

「そうだ、これ。アルベドのマフラー」
「ボクの?」
「うん。頑張って編んだの。大事にしてね」
「…うん。ありがとう」

淡い青色で少し長めの、目の細かいマフラー。ナオキはボクを少しかがませると、それで首をぐるぐる巻きにして首の後ろでゆるく結んだ。一瞬、彼女に抱きしめられているように錯覚して、呼吸がおかしくなっているのを彼女に気づかれまいと息を止めた。つま先立ちの彼女のかかとが床と平行になった時、ようやく再開したボクの一呼吸は、冷たい空気と彼女の匂いが鼻から脳天に抜けて、少しフラつきそうになった。「少しは寒くなさそうに見えるよ」といたずらに笑うナオキにまた息を忘れかける。ボクは息を吸うのがこんなに難しいことだとは思わなくて、マフラーに鼻と口を埋めて深呼吸をした。ナオキと同じ匂いがして、今すぐ目の前の女を抱きすくめてもみくちゃにしてやりたい気持ちになった。ボクが急に抱きしめたらどんな反応をするのだろうか。サプライズが上手くいったと喜んではにかむのだろうか。照れて少し拒絶を見せるのだろうか。あるいはボクを嫌悪の目で見るのだろうか。

「そうそう。そのマフラーね、こないだアルベドに貰った花で染めたの」
「これを一人でやったのかい。ナオキは染色なんてしたことないだろ」
「うん。だからティマイオスとスクロースに手伝ってもらったよ」
「へぇ…」
「ごめんね、二人とも借りちゃって。嫌だった?」
「嫌なわけないさ。二人は同僚のような関係であって、ボクのものではない。でも、ボクを呼べばよかったのに」
「アルベドを誘ったら何を作ってるのかバレちゃうでしょ」
「そうだね。…うん。確かにそうだ」

ボクはナオキを抱きしめられないまま腕を引かれ、彼女は家のドアに鍵を掛けた。彼女に連れられながらボクの思考はふわふわと宙に浮いていて、彼女が染色をしたであろう時期のことを思い出していた。一か月ほど前、夕方近くにティマイオスとスクロースが、ドラゴンスパインのボクの拠点に一口大のパイをいくつか差し入れてくれた。『人から貰ったが食べきれないから』と言っていたが、もしかしたらあのパイはナオキに持たされた物なのかもしれない。あの中に少しだけでも、ボクへの気持ちだとか、そういうものが入っていたら良いと柄にもなく思う。
彼女に対しては、自分でもどうかしてしまっていると思うほど、ボクは普段のボクではなくなってしまう。今だって、どこへ行くのかと聞いたら「夜になる前に帰れるところ」と明確なゴールを示さない彼女になんの疑問も抱いていない。なんなら、今日はほぼ一日、一緒にいられるとさえ考えてしまう。彼女がどこへ向かっているのかをボクは知らないけれど、彼女とであればボクはどこへだって行こう。そういう、時間を浪費するような非効率的なことだって、その時間を共にするのがボクであればいいと思ってしまう。これがきっと、ボクの恋なのだろう。
モンド城を出て1時間程真っすぐ進み、風立ちの地のオークの木が目に入り始めたあたりで、付近の土に霜のようなものが見え始める。歩みを止めない彼女がどこを目指しているのか大体の見当はついた。でも数分ぶりに声が聴きたくて、ナオキに声をかける。

「この辺りのものでは駄目かい」
「うーん、駄目ではないけど。どうせならあの木の近くがいいかな」
「なるほど。こだわりがあるのかな」
「そこまでじゃないけど。やっぱり思い出は印象に残るほうがいいよ」

ナオキが「疲れちゃった?休憩しようか」と言い出すものだから、ボクはそんなことはないと少しおどけて見せると、ボクの動きの何かが彼女の琴線に触れたのか、ひとしきり笑った後、ボクの動きの真似をしはじめた。ボクを真似る彼女は、無表情で立てた人差し指を大げさに動かしていて、自分ではもう少し緩い顔をしていた自覚があるだけに、彼女にはこう見えていたのか、という気づきを得て微妙な心持になる。
話を切り上げたくてさっさと歩き出したボクの後を平謝りでついてくる彼女の手首を握って、一等大きな木を目指して歩く。もう既に、何度か足裏でシャリシャリとした霜を踏みつぶす感触を得ているが、きっとナオキは、もっと分かりやすく氷を割りたいんだろう。ふと横を向くと、彼女の吐く息が白く空気に溶けていくのが見える。ボクが握るこのコート越しの肉体に、まだ確かな熱が宿っている。その短い定命の灯でしか体現できない、儚さに近い美しさを、今横にいる人間に感じていた。
ボクの体に近しい形でも、ボクの体にはない変化をしていくナオキ。ボクを好きになったら、ボクを置いていかなくてはいけないナオキ。いつかいなくなるナオキ。それをまだ知らないナオキ。でももうボクは自分の中に生まれた欲を無視できない程、ナオキに固執している。少しだけでも、ボクが想う百分の一でも、彼女にボクのことを想ってほしい。そう考えてしまう。
オークの木の根元が見え始めたところで、鷹飛びの浜に繋がる川のほとりに氷が張っているのも目に入った。ナオキは大喜びで駆けだしてボクの名前を呼ぶから、求められているようで嬉しくなってボクの歩幅も大きくなる。

「アルベド、見ててね」

ナオキが当たり前のようにボクの手を取る。寒さのせいか胃がせりあがるような感覚があり、少し強く彼女の手を握ってしまった。
彼女の踏み出した一歩が、川のほとりに薄く張った氷に亀裂を入れる。伝播して、少し周りの氷も割れていくパキパキという音が耳に届く。彼女の退けた足から破片が散って、光に反射すると地面に落ちて溶けていく。一か月も後にはここの氷も全て元通りの川の一部になっているのだろう。そう考えると彼女が今踏みしめている氷はとても特別なもので、わざわざ氷を踏むという行為も、合点がいく。
ぱき、ぱき、ぱき。ナオキが一歩ずつ、川を割っていく。割るために割と体重をかけていたのか、厚い氷が割れずに前につんのめった。手を引きながら、繋いでいない方の腕で抱きとめ、肩口へ顔を寄せる。

「ナオキ、足は捻ってないかな」
「だいじょうぶ。ありがとう」
「……ナオキ」
「なぁに、アルベド」
「まつげが凍っている」
「本当?」
「うん。キラキラしている」

ボクと彼女の体の間に隙間が空いて、陽光に反射するまつげに付着した結晶が眩しくて目を細める。
冬に囚われる彼女は美しい。春に咲き、夏に煌めき、秋に憂い、冬を尊ぶ。四季を巡る彼女に、ボクは伝えなければいけない。百年後のこの世界には存在しない君に置いて行かれるボクの話を。ボクの体は春のまま在ることを。それがきっと、ボクが彼女に好きになってもらうための誠意だろうとも思う。でもまだ、恐れてしまう。認めてほしい存在に否定されることを、ボクは恐れている。
そんな心中を知らないナオキのきらめく縁取りが瞬いて、少しニヤついた顔でボクを射止める。何かを見透かされてしまったような気がして、少し身構えてしまう。

「ね、アルベドは私のどこが好きなの」
「どこ、というのは…言われてみると、そうだね。難しいかもしれない」
「全部好きとか」
「いや、全部は好きではない」
「そこは全部好きって言いなよ」

全部が好きだとその耳に嘯いたとして、君がボクのことを好きだと言ってくれるのであれば、いくらでもそうするだろう。でも、そうはならないことをボクは知っているし、おそらくナオキのそういうところが、ボクは好きではないと思う。回答が不満だったのか、再び体をくっつけて、顔をボクの胸に擦りつけるナオキのことを、少しだけ憎たらしく思う。
ボクとナオキの足元で、薄氷が割れていく。ぱきり、ぱきりと、氷が割れていく。

「まだ気づかないの」
「春のことかい」
「そう。見つけられた?」
「薄氷を割って次の季節への移ろいを感じる、ということかな」

「ちがうよ」と笑う彼女の表情を見ていると、もしかすると彼女が条件に出した『春』が、四季ではないという気がしてくる。春が何か聞こうと思ったが、思いとどまる。恐らくそれを探すのが彼女の問いかけの真意であるのだろう。

「アルベドはしばらく見つけられないかもね」

ボクの手を引く君は微笑んだ。

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