overflow
この作品は「SPiCa.」のりん様から頂きました!
カノキドで、甘めです。
「──ああ、」
またか。
俺は手のひらを見つめながらぼんやりとそう思った。
頬を滑る水滴と歪む視界。時折やってくるその衝動は原因不明で、大抵夜中に訪れる。何もしていないのに涙が溢れて止まらない。悲しくなんてないのに。
団員が誰もいなくてよかった、と白む頭で考える。さすがに日も跨いだ夜半に、リビングにいるような酔狂な奴はいない。俺だってずっとここにいたわけじゃない。
机の上に置いた空のコップが霞む。滲んでいく世界が鬱陶しくて、でもどこか、自然な気がしていた。寒くもなく暑くもない。嬉しくもなければ悲しくもない。泣いている、ということを除けば身体的にはまったくもって快適だ。
ならば何故涙が出てくるのだろう。
人間の心というやつは複雑すぎて、当の人間である自分にすら原因は分からない。理由があるのかないのかも。仮に普段の強がりが剥がれているにしても、タイミングがあまりにおかしい。そういうスイッチが入っているわけじゃないんだから。
悲しいとき、嬉しいとき、切ないとき、苦しいとき、幸せなとき、そのどれでもない。ただ涙が落ちていくだけ。その間心はもっぱら平静で、波音のひとつも聞こえない。
はらはら、はらはらと、流れて落ちて洋服に染みを残していく。
「大丈夫?」
真横から声がした。
首だけを動かせば、黒い寝間着姿の少年が、こっちを見ていた。反射的に彼に手を伸ばす。
「修哉……」
何故だろう。
彼はいつも、私の異変に気付いてくれる。
この涙の発作が起こる度、私は彼にすがりつく。悲しいわけじゃないの。苦しくもないの。ただ、泣きたくて仕方がないだけ。
欲求のまま、彼の肩口に顔をうずめる。背中に手を回せば、彼も同じように私を捕まえて、ゆっくりと背筋を撫でてくれる。宥めるように優しくて、すこしくすぐったいのが心地いい。
「我慢しないで、好きなだけ泣いていいからね」
耳に流れ込む声音すら、朝焼けを旅する小鳥ちの羽音のように優しい。彼のシャツに一段と黒く模様をつけていく。彼はずっと背中や頭を撫でていてくれる。ああ、涙が止まらない。
止めらない。
(ああ、違う、私は──)
止めたくない。
優しい時間。素直になれる距離。世界の愛おしい部分がぎゅうっと私を包むから、私は涙を止めようとすら思わないのだ。甘えていいんだと、彼が私を甘やかすのだ。
このまま、時が止まってしまえばいい。
優しい彼の腕の中で、症状の原因を悟ってしまった私は、それでも気づかないフリをして、溢れていく愛を彼に注いだ。
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