「セーラ、またこんなところに居たのか」


モビーディック号の甲板の、人目に付かないとある場所。
セーラがそこから遠い海の水平線を見つめていると、背後から聞き慣れた声が聞こえた。


「エース」
「お前、ここ好きだよな」


名前を呼ぶと、エースは気のいい笑みを見せてセーラの隣に立つ。
セーラはそんなエースを一瞬見たが、すぐに視線を海の向こうへと戻した。


「……ここだと、少し静かに海を眺めていられるから」


モビーディック号は白ひげ率いる大海賊団の船だ。船員も多い。
船医見習いとしてこの船に乗っているセーラは、日々忙しく過ごす中で時折この場所に立ち海を眺めるのが気分転換というか、心の安らぎとしていた。


「……家族が気になってんのか」


そのどこか寂しげな横顔を見てエースも優しく声をかける。
セーラは一瞬黙ったが、別に隠すことでもないと思い口を開く。


「兄と離れることになったのは初めてだから、少しだけ」


元々はとある島にある小さな町で暮らしていたセーラ。
両親を幼い頃に亡くし、それからは兄に男手一つで育てられた。
兄はその小さな町にある唯一の医者だった。そしてセーラはその助手。
平穏な暮らしに不満はなかった。幸せだったし、両親の代わりとして立派に医者をしている兄の手伝いをするのも誇りだった。
だが、セーラには夢があった。もっと色々な世界を見てみたいという、果てない夢を。
幼いうちに家にある冒険記の類は全て読み、たまに兄に連れられて行く他の町で少ない小遣いを溜めて新しい本を買う……それがセーラのひっそりとした楽しみだった。それで満足しようと、言い聞かせていた。


「こんな可愛い妹に想われて、その兄貴は幸せだな」


エースの言葉にセーラは少し自分を責めた。
この船に乗ったことに後悔はしていない。広い世界を見るととてもワクワクするし、毎日が夢に見た冒険記の中の世界みたいだった。新しい医療の知識にも出会え、飽きることはない。
だが、もしもあの時この海賊団に出会わなかったら……自分はあのまま町で兄と暮らしていたのではないか。そう思うことがしばしある。
ある日、島の外れでこの海賊団……いや、エースに出会わなければ。


「でも、私は我儘だったんじゃないかなって、心配になるの……」


この島に着く前に一悶着あったのか、少しだけ体に傷を負っているエースと出会い、応急処置として包帯を巻いてあげたのが始まり。
海賊に会ったのは初めてだったが、悪い人には見えなかったエースの話を聞くと、その生活は自分が読んでいた冒険記とよく似ていた。
誰かを襲うのではなく、とある目的のための冒険……。広い海、世界の中で自由に渡り歩くその姿を格好いいと思ってしまった。夢に触れた瞬間だった。


「我儘?」
「うん……エースに会って、私は夢を叶えられるかもって、そればっかりになって……」


気付いたときには「自分も一緒に連れて行って」と言ってしまっていた。
もちろんエースは断った。海賊になってしまったら、追われる身になる。
それどころか、危険なこともつきもので、何が起こるか分からない。身の保証もできない。
だがセーラは諦めきれなかった。世界を見られるのなら、死んだって後悔しないと。
そう言うとさすがにエースは驚き言葉を失ったが、しばらくしてにいっと笑った。
そして翌日になっても気持ちが変わらないのならこの場所にまた来いと言った。
セーラは頷き……翌日、荷物をまとめてこの場所に来ていた。
今思えば、猶予を与えたのは冷静にさせるのもそうだったが、家族と別れの言葉を交わす時間をくれたのだろう。


「夢は誰にだって平等にみることができるんだぜ。そして、兄貴はそれを応援する義務がある」


エースはどこか経験談のように語った。清々しい表情をしていた。
再会した時、エースは分かっていたように笑い、手を差し出した。
約束通り連れて行ってやる。だが、死ぬことを前提にはするな。俺が責任を持って守るから、必死で生きろ。
そう言った。セーラは緊張や不安もあったが、ようやく夢の第一歩を踏み出せる、そのドキドキで胸がいっぱいになった。


「エース、なんだかお兄ちゃんみたいなこと言うね」


実際、エースの言葉は最後に聞いた兄の言葉に似ていた。
海賊について行くなど、到底許せることではない。たった一人の家族なら尚更。
だが自分のどうしても行きたいという思いを語ると、兄は複雑そうに押し黙ったのを覚えている。そして重々しく口を開いた。
セーラが世界を見たがっていることは知っていた。だがうちにはそんなお金もなければ、自分はこの町の唯一の医者のために離れることができない。セーラの夢を見て見ぬふりしていたことは辛かった。それは本当だ。だが、お前はその男に出会ってしまった。それがきっと、運命だったのだろう……。それならば、自分は一人の兄として、妹の夢を応援しなければならないな。
兄は寂しそうに笑った。そして送り出してくれた。
そのことを思い出し、セーラは少しだけ寂しく、少しだけ懐かしい気持ちになった。


「俺も離れ離れの弟がいるんだ。お前によく似た目をしてる」


エースの言葉は初耳で、セーラは驚きエースを見上げた。
それに気づき、エースはセーラを見てにかっと笑った。


「あの時、弟と同じくらい真っ直ぐな目をしてるお前を見て、放っとけなくなってよ」


普通にお願いされただけなら、エースも一人の少女を海賊船に乗せることなどしなかっただろう。
だが、あの時のセーラの真っ直ぐとした目、純粋に自分を見つめてくる目には見覚えがあった。
懐かしい弟の眼差しを思い出し、エースは断り切れなくなったのだ。
自分が言った、責任をもって守るという言葉も本気だ。今もそれは変わりない。
ここで船医見習いとして動くセーラは大変そうだったが、弱音も吐かず、仲間とも打ち解け楽しそうにしていることが多かった。
それは心配ないことが分かったが、だがセーラはたまに人目から隠れられるこの場所で海を見つめている。
ここが嫌というよりは、遠くの方で何か心配事がある、そんな直感が働いていた。


「……意外。エースって、ちゃんと人の事見てるんだね」
「失礼だな。俺はこう見えて、ガキの時から面倒を見るのは得意だったんだ」


意外と言われ不満だったのか、エースは威張るように言う。少し内容は大きく言ったが、まぁ弟のルフィのことがあるため全くの嘘ではない。


「何なら、セーラも俺のこと兄貴扱いしていいんだぜ」


提案をするように言う。
そうすれば自分の面倒見の良さが伝わるだろうし、セーラも少しは兄と離れた寂しさを紛らわすことができるだろう。
我ながら名案だと思い、セーラの反応をうかがう。


「エースが、お兄ちゃんに……?」
「おう。兄貴って呼んでもいいし、今みたいにお兄ちゃんでもいいぜ。少しくすぐったいけどな」


実際エースにとってルフィは弟分だが、兄貴だとか兄ちゃんだとか呼ばれたことはない。
自分で言って少し気恥ずかしくなったのか、それを隠すように笑う。
対するセーラは未だ目をぱちくりとさせていたが、せっかくの心遣いだと思い、考えてみることにした。


「……じ、じゃあ……」


こうして寂しい時、兄にして欲しいこと……。もしくは、してもらっていたこと。
改めて考えてみると難しくなったが、ふと思いついたことが一つだけあった。


「……あ、頭……頭を、撫でてくれる……?」


正面からお願いするのは何か違う気がするが、よく兄にしてもらっていたことだ。
言って、少しだけ恥ずかしくなったのか俯く。
だがそれを聞き届けたエースはお安い御用だと思いすぐに手を伸ばし、セーラの頭を撫でた。


「よしよし。セーラはいつも頑張ってんな」
「………」


エースの大きな手が頭を撫でる。なんだこのシチュエーションはと思いながら、セーラはしばらくじっとしていた。
思えば、エースに触れるのはあの時、怪我の手当てをして以来な気がする。
元々自然系の悪魔の実の能力者であるエースは怪我をすることはほとんどない。
それは良いことなのだが、エースに憧れてこの船に乗ったセーラにとっては接する機会が少なくて寂しく思っていたこともある。


「……エースの手、大きいね」
「そうか?セーラが小さいってのがあると思うが……。というか、遠慮せずにお兄ちゃんて呼んでいいんだぜ」


久しぶりにエースのぬくもりを感じていると、頭上から降ってきた言葉はどこかセーラにとって複雑なものだった。


「俺も妹は初めてだからな。なんか変な感じだ」


妹。そう言われ、セーラはますます複雑な気持ちになり唇を尖らせた。


「エース、やっぱりいい」


そう言い、エースの手から離れる。
突然のことにエースは驚き、セーラを見る。


「どうした?なんか不満だったか?」


複雑なままのセーラの心境など知らず、エースは自分のやり方が何かまずかったのかと思い、聞いてみる。
覗き込んだセーラの表情は、眉を寄せ何かに不貞腐れているということがすぐに分かった。


「やっぱり、エースをお兄ちゃんだなんて思えないよ」


セーラは短く溜息をついて言った。
せっかくのエースの厚意は嬉しかったが、こんな複雑な気持ちになるのなら遠慮したかった。
セーラの言葉に、エースは残念そうに笑った。


「そっか、残念だな〜。可愛がってやる気は満々だったんだが」


さすがに本物の兄貴には勝てないか、エースは心の中で呟く。
余計なお世話だったなと思い、セーラの頬をつつく。


「ま、元気が欲しくなったらいつでも言えよ。俺でも、少しなら役に立つだろ?」


そして相も変わらず、気のいい笑顔を見せる。


「……違うよ、エース。エースのお兄ちゃんが不満だったわけじゃないの」


お役御免というわけではないとセーラは口を開く。
だったらどういうことなのか分からず、エースは難しそうに首を傾げた。
するとセーラは、自分の頬をつついたエースの手を握り、


「エースには、私の恋人になってもらいたいから」


そう宣言するように言うと、驚くエースの無防備な頬にキスをした。
一瞬のうちに何が起きたのかと理解が追い付かないエースは、目をまん丸にしてセーラを見つめる。


「だからエースをお兄ちゃん扱いするのは嫌。私のことも、妹扱いしちゃだめだよ」


わかった?と聞かれると、エースはぽかんとしたまま、思わず「はい」と答えてしまった。
それに満足したセーラは微笑を見せると、今日はありがとうねとお礼を言ってその場を去る。
残されたエースは、キスをされた頬を押さえながら未だに瞬きをすることなくその場に立ち尽くしていた。


「………ふ、不意打ちすぎるだろ……」


そして全てを理解した時、文字通り顔から火を出すほどに赤くし、その場に項垂れた。
ああ、顔が熱い。自分は本当に、寂しそうなセーラを心配していただけなのに。
こんなことでドキドキしていては確かにセーラを妹扱いするのは無理だなと思い、エースは畜生やられたと呟いた。





ふたり、隅っこに肩並べて
(兄妹ごっこ?冗談じゃない。私はあなたに焦がれて船に乗ったんだから)




とてつもなく久しぶりのエース夢です。
個人的にはエースみたいなお兄さんが欲しかった。理想的です。
ですが、やっぱり近くにいると恋人がいいですよね。お兄さんぶるエースが慌ててると思うと可愛く思えてしまいす。