※狂愛 「ごめんなさい。私、あなたと一緒には……行けない」 その言葉が、俺を、俺の世界を、狂わせた。 * 「ロー、今日は珍しく甲板にいるのね」 「セーラか。まあ……今日は良い天気だからな」 俺が甲板で一人、ぼうっと海を見ていると、心地の良い笑みを浮かべたセーラがすぐ隣に来た。 「確かに、今日はとっても良い天気だね。海も、キラキラ光ってて綺麗」 んっと背伸びをしてから、セーラは途方もない海の先を見つめる。 確かに、燦々と輝く太陽の光に当てられて、水面はまるで宝石のように輝いていた。 「確かに、綺麗だな」 「……もう、ちゃんと海を見てよ」 「俺によっては海よりも、セーラの方がずっと綺麗に思えるが」 そう言いながらセーラの長くてさらっとした髪を一束すくう。 その仕草をくすぐったげに感じ、恥ずかしそうに頬を朱に染めるセーラ。 こうして俺と一緒に船に乗ってからもう半年が経つというのに、未だにこういった態度には慣れないらしい。 「ろ、ローってば……」 「本気だ。そう照れるな。顔が真っ赤だぞ」 さらりと流れる髪から手を離し、セーラの頬に添える。 すると緊張からかびくりとセーラは肩を震わせた。 「う……そうさせてるのは、ローだよ……」 「ああ、そうかもな」 「っ………もう、ローは出会った時から、私を恥ずかしがらせることばかり言う……」 「………。出会った時、から?」 その言葉に眉を寄せ、つい低い声が出る。 一抹の不安が、胸を過ぎる。 「うん。……私の住んでいた町が海賊に襲われて、ローが私を助けてくれた日から」 「………ああ、そうだったな」 だが、それもセーラの次の言葉によって杞憂に終わった。 ああそうだ。そうだったな。 俺たちはあの時、出会い直したんだもんな。 「ローには、本当に感謝してる。ショックで記憶を失くして行く当てもなくなった私を、こうして船に乗せてくれて……その、愛して……くれて」 穏やかな笑みで、優しく告げるセーラ。 俺はその表情をとてつもなく愛おしく思っている。 絶対に、二度と離したくないと思っている。 「ああ。俺はお前を愛してる」 「っ!も、う……そうやってストレートに言わないでよ……」 頬が真っ赤になったセーラはもごもごと言いながら俺から目を逸らす。 そして誤魔化すようにぱっともう一度俺の方を見た。 「それよりも、今日は暑いからそろそろ船内に戻ろう?」 「それもそうだな。天気は良いが、暑すぎる」 「ね、そろそろ夏島が近いのかな……。私も暑くて、汗が……」 ぱたぱたと手を振って風を送るセーラの首筋には、確かに汗が伝っていた。 その一粒の汗さえ愛おしいと見つめている時、セーラの様子は一変した。 「暑い………あつ、い……」 「……セーラ」 目が、俺の胸元辺りを凝視したまま動かない。 そして唇がかくかくと震える。震える唇から告げられるのは、ひたすらに「暑い」という言葉だ。 俺は眉を寄せ、真剣な目つきでセーラの名を呼んだ。 「暑い、暑い……熱いっ……」 唇の震えは全身へと移り、セーラは震える自らの手を見つめた。 今にも目玉が零れそうなくらい見開いた目で。 俺は短く舌打ちをし、そんなセーラの小さな身体をめいっぱい抱き締めた。 「熱い……熱い、の……ロー……家が、町が、皆が……燃え、て……っう……頭、痛い……」 「セーラ、落ち着け。俺を見ろ。俺だけ、見てろ」 「頭が、割れるっ……ねえ、ロー………どうして……ロー………どうしてどうしてどうして、あああああああああああああああっ!!」 セーラの口から発せられる、獣の咆哮のような叫び。 今にもセーラの喉を引き裂いてしまうような、甲高い悲鳴が俺のすぐ耳元から聞こえる。 だが、俺はセーラを離さない。 離すもんか。絶対に、お前を離したくはない……。 「どうして私の家族を殺したのっ!!」 が、唸るようにセーラが叫ぶと同時に、渾身の力で俺を突き放した。 俺は後ろによろけながらも、名残惜しむようにセーラへと手を伸ばした。 セーラは激しい頭痛に苛まれながらも、俺を睨むように見ていた。 「あ……っあ……あなたは、私の家族を、町を………全部、ぜんぶっ……!」 「………」 「返してよおっ!私の家族を!!かえして……っ私を、故郷に、帰してっ……」 泣きながら言い続けるセーラへと手を伸ばす。 一歩、一歩、確実にセーラを捕える為に。 「この人殺しいいっ!!」 悲しみや悔しさ、怒りや憎しみといった全ての負の感情を詰め込んだような声でセーラが叫ぶ。 と同時に、俺はようやくセーラをまたこの腕の中に捕える。 逃げようとするセーラの頭を固定し、俺はセーラに口づけをした。 「んっ!」 薄目を開いてセーラの目を見ると、嫌そうに目を細めて俺を睨む目と目が合った。 最悪な気分だろうな?セーラ。 世界で一番大嫌いな相手にキスなんかされて。 いや、大嫌いじゃ済まねえか。俺は、お前の両親や町の奴らの仇だもんな。 悔しいだろうな。苦しいだろうな。だが、安心しろ。 「ん、……っう……」 俺はセーラの体に力が入らなくなったのを感じると、セーラの口内から舌を抜きとる。 セーラが喘ぐように酸素を求めた後、全身から力が抜けたのか膝から崩れ落ちようとする。 もちろん、その前に俺が抱き締めたから倒れるなんてことにはならなかった。 「………」 額に汗をかき、さらさらしていた髪は乱れまくっている。 俺はそんなセーラの額の汗を指で拭う。 今セーラは、俺が口に直接入れた睡眠薬で眠ってしまっている。 その寝顔は、とても落ち着いたものだった。 「安心しろ、セーラ……」 俺は安定しつつある寝息を立てるセーラに向け、囁くように言う。 「次また目が覚める時、お前はまた何もかも忘れちまってるから」 俺は今度はもう一度、ちゃんとしたキスをセーラの唇に送った。 セーラを俺の寝床に連れて行き、目が覚めるまで待とうとしている時。 例の騒ぎを聞きつけて、シャチとペンギンが駆けつけてきた。 「キャプテン!……セーラは……」 「ああ。だがもう心配する必要はない。もうすでに薬は飲ませた」 薬というのは睡眠薬のことではない。 睡眠薬は、いつセーラがああやって記憶を取り戻すか分からない為、俺がいつも肌身離さず持ってる。 だが、今度セーラに与えた薬は俺の部屋にしかない。 「っ……また、あの薬、ですか……」 シャチが眉を寄せて、苦そうな顔で言う。 まあ、そんな顔をするのも無理はない。非合法的な薬だからな。 記憶を操作する薬、なんてものは。 「またすぐにいつもの<Zーラに戻る。シャチ、コックに何か腹の足しになるようなものを作らせろ」 「………あの、キャプテン」 俺の言葉に素直に従わず、シャチは何か言いたげに俺を見た。 若干眉を寄せて睨むように見ると、シャチは怯んだようで視線を少しばかり逸らした。 だが、代わりを言うように隣に居たペンギンが口を開く。 「キャプテン……いい加減やめましょうよ」 切実に、願うような言い方だった。 「もう何回同じことしてるんですか?どうせまた、セーラは今日みたいに思い出しますよ……」 「……っそれに……こんなこと続けてたら、いつかあいつは……」 ようやくシャチも口を開いた。 なんだ……言いたいことってのはそんなくだらないことだったのか。 「別に、そうなっても構わない」 淡々と、切り捨てるように言う。 そして二人から視線を外し、静かな寝息を立てているセーラを見つめた。 「思い出したらまた、薬を飲ませてやるだけだ」 今までもこれからも、変わることはない。 俺とセーラが生きて行くために。 俺と出逢う以前の記憶なんて必要ない。 「薬の副作用とか……」 「そしたら俺が助ける。俺は医者だ」 発言の矛盾を感じたのか、シャチとペンギンは眉を寄せ、悲しそうに目を細めた。 この薬は確かに副作用もあり、体には毒だ。 だが、そんなもの俺にかかれば、あってないようなものだ。 薬の持つ毒気は、セーラに薬を与えた直後に能力で取り出している。 それを思い出したのか、言いだしたシャチは何も言えなくなった。 「俺が傍に居る限り、セーラは死なない」 宣言ではない、断言だ。 俺は医者として、人間として、一人の男として……セーラを死なせはしない。 「わかったら出てけ。もう二度と、くだらねえ話をするな」 「っ……はい」 低い声で、威嚇をするように言うと二人は怯み、互いに目を合わせて部屋を出て行った。 俺は短く息を吐いて、セーラを見つめた。 「………セーラ、」 頭を撫でながら、俺はそっと呟いた。 「全部、お前が悪いんだぜ……?」 セーラが俺から逃げようとするなら、俺は何度でもその手を掴み引き寄せる。 絶対に逃がさない。セーラを。俺から逃がしてはやらない。 初めてセーラと会った時。 よく働き、よく喋り、よく笑う。家族に囲まれて、その身は小さいながらも、実家の宿屋の切り盛りをしていた。 そんな姿に俺は一目惚れをした。柄にもねえ話だが。 こう、汚ねえ目で見ると……まるでセーラが聖人君子のように見えたんだ。 船員たちを船に残し、一人その宿屋に泊りに行った時、海賊として名の知られている俺は初め宿泊を断られた。 嫌だからというよりは、怖いから。だが、そうして恐る恐る断るセーラの両親をセーラは止めた。 「こんなに小さな宿屋なんだから、来てくれるお客さんを拒んじゃだめだよ」 「それに、どんな人でもあたたかくお迎えする、それがウチの良い所でしょう?」 にこりと笑って言うセーラ。 俺はすでに、その笑顔に見惚れてしまっていた。 「気を悪くされたなら、ごめんなさい。海賊、あまり見たことがなくて……。でも、あなたはなんだか優しそう」 「……俺がか?」 「ええ。海賊にしては、毒気のない表情しているもの」 残忍と恐れられる俺に対して、セーラはそう言った。 だがそう言われた内容を俺は素直に受け入れることができた。 セーラと対峙すると、浄化されるように身の汚れという汚れが無くなっていくような気がしたからだ。 やっぱり、セーラのことが好きだ。俺の心をあたたかくしてくれる、その笑顔に惚れた。 俺は3日程その宿屋に通った。その間に、セーラは多くのことを話してくれ、また多くの笑顔を見せてくれた。 そして最期の日。宿屋をチェックアウトする早朝。 見送るようにして出てくるセーラに対して、俺は思いの丈を告げた。 お前が好きだ。心底惚れている。だから、俺と共に海へ来て欲しい。 ―――――初めての告白だった。 セーラからの返事は、 「ごめんなさい。私、あなたと一緒には……行けない」 という言葉だった。 両親が心配だから。宿屋を切り盛りしないといけないから。町から離れ難いから。不安だから。………セーラはその後、そんなような理由を言っていたと思う。 だが俺の頭の中はその言葉を受け入れることはなかった。真っ白で、情けない顔でセーラを見つめていたと思う。 ごめんなさい、と最後にもう一度謝り、頭を下げ、セーラは宿屋の中へと戻っていく。 その後ろ姿を……俺はこの手に掴むことができなかった。 それを悔しく思い、俺はふと考えた。 セーラの心残りを全て払拭してやればいいんじゃないかと。 だから俺は、その日の夜に行動を起こした。 逃げ惑う人々。燃え盛る家々。 セーラが心配する両親を殺し、宿屋を跡形もなく消し、町すらも消してしまう。 そうすれば、セーラの心に何のわだかまりもなく俺と共に来ることができる。 そうして、燃え盛る宿屋の前で泣きじゃくるセーラに再び会いに行った。 これでもう何の心残りもないだろう。だから、俺と来い。 震えるセーラの肩に手を置こうとした時、それは振り払われた。 「あなたがやったの……?どうして?どうしてこんなことをするの?私……そんなに酷いこと、した……?」 「………セーラ」 「私の名前を呼ばないで!!あなたなんて大っ嫌い!!海賊なんてっ……泊めなきゃよかったっ……」 「セーラ」 「触らないでこの人殺し!人殺し!人殺し!!私の両親を、町を、返しっ」 この時、初めてあの薬を使った。 実際は半信半疑だった。いくつか前に立ちよった島の、闇の商人から面白半分で買った代物だったから。 だが、効果は本物だった。暴れるセーラに確実に飲ませるため、口移しでその薬を与える。 嫌がったセーラだが、しばらくして頭痛が襲ってきたのか、呻きながら頭を抱える。 そんなセーラの様子を俺はじっと見ていた。 そして、 「っ…………あなた、は……誰?」 「……セーラ」 「セーラ……?私は……セーラ、っていうの……?」 薬の効果が、セーラの体を、脳を蝕んだ。 俺が両親を殺し、町を殺したことだけではなく、自分の名前すらも忘れてしまっている。 初めはきょとんとしていたセーラだが、周りの様子がおかしいことに気付き眉を寄せた。 怖がるセーラを俺は抱き締めた。えっ、とセーラは小さく声を漏らす。 ………拒絶されないことが、こんなにも嬉しいものだとは思わなかった。 そして俺はセーラの耳元で嘘の記憶を押し付けた。 ここはお前の故郷。だが、紛争がありお前の家だけではなく町もこの通り燃やされてしまった。 お前以外の住人は、全員死んだ。だが、俺はお前を助けたい。お前を死なせたくない。だから、俺と一緒に来い。 ………元の記憶を欠片と持ち合わせていないセーラは簡単に俺の言葉を信じた。 そしてすんなりと首を縦に振る。 それだけでなく、感謝の意も告げてきた。 「本当に、いいの……?私、何も覚えてないよ。記憶も、帰る場所のない私を……あなたは、本当に引き取ってくれるの……?」 「当たり前だ。お前の帰る場所は、今度は……俺の、この腕の中だ」 そして強くセーラを抱き締める。 俺がセーラを手に入れた瞬間だった。 ……もう、半年前の出来事か。 半年という期間の間、セーラは何度記憶を取り戻しただろう。 闇の商人というものはやはり信じるものではない。薬は、効果を完璧には発してくれなかった。 とあるきっかけを与えると、セーラは元の記憶を取り戻してしまう。 だから俺は、その度にセーラを眠らし、寝ている間に薬を投与し、あの日以降の記憶を失くすよう操作する。 それの繰り返しだった。 いつセーラの記憶が蘇るか、常に気を張っている。 だが、それでもこの日常というものは悪くはなかった。 記憶を失っている間のセーラは、恩人≠ナある俺に優しく穏やかな笑みを向けてくれる。 憎悪なんて欠片もない。あるのは好意のみ。それが、たまらなく俺を満たした。 「………ん……」 セーラの口から微かに吐息が漏れた。 俺は身を乗り出して、セーラを見つめる。 「………あ、れ……ロー……?」 何度か瞬きをして、目覚めたセーラ。 きょとんとした、寝起きの顔で俺を見た。 「気分はどうだ?」 「ん……ちょっと、頭が痛いだけ……私、どうしたの……?」 右手で頭を押さえるセーラ。 その頭痛は、薬の作用によるもの。 だが俺はセーラを心配させないために、嘘を吐く。 「熱中症だな。日に当たりすぎたんだ」 「そう、なんだ……。あ、ごめん……ローのベッド、占領しちゃってたんだ……」 はっと気付き、申し訳なさそうに、でも少し恥ずかしげに……俺のベッドの上で小さくなる。 その顔は、俺の求めるセーラのものだった。 俺は自分の顔から力が抜けるのを自分でも感じるようだった。 そしてそっと、セーラの頭を撫でる。 「ロー……?」 「いい。今はゆっくり休んでろ。………なあ、セーラ」 「ん?」 俺に言われたからか、大人しくベッドに横になるセーラ。 そんな素直なセーラに、俺は優しく声をかけた。 「俺のこと、好きか?」 聞くと、セーラの顔はみるみる内に赤くなっていく。 そしてシーツで顔の半分を隠した。 俺はその反応だけで十分だった。拒絶されないだけで。心から安心する。 「………好き、だよ」 「っ………」 だがセーラは、潤む瞳で、赤い耳をシーツから覗かせながら……そう、小さく言った。 言ったと思えば、羞恥の限界なのかがばっとシーツを頭の上まで被る。 俺は思わぬ態度に、目を見開いてセーラを凝視した。 「………ったく、反則、だろ……」 これだから。 これだからセーラを手離すことができない。 セーラを俺の傍に置く為なら……俺はきっと、悪魔にだって魂を売ってやれる。 ああ……もう売ってるか。 「セーラ……」 シーツで隠れて、寝たふりをし始めたセーラに顔を近付ける。 「愛してる」 そして、そう囁くように言った。 あの日言った言葉、セーラは覚えてるよな? お前の帰る場所は、もう俺の腕の中しかない。 セーラ……お前はもう、一生、ずっと、俺の腕の中でしか生きられない。 俺という檻の中で生きろ (俺の世界には、お前が必要だ。俺も……初めて会った時から、お前に捕らわれてしまっている) |