目の前に現れたのは、圧倒的な絶望だった。
幸せだったはずの日常を握り潰される。
それに抗い、必死で戦う勇気ある戦士はたくさんいた。
今まで共に死線を潜り抜けてきた仲間たち。何度も何度もピンチを迎えながら今まで勝利をし、生き残ってきた。
ただ一つ違うのは、その戦士の内の一人が欠けていたこと。大きな大きな損失。まだその心の傷さえ癒えていないのに。
でも泣き言ばかり言っていられなかった。あたしたちは必死で目の前の脅威と戦った。


「―――っ、悟飯、ライ、逃げろ!!」


プライドさえ捨て去って、全員でその脅威と戦っていた時だった。
こちらの仲間は誰一人例外なくボロボロになっていた。それなのに相手の二人は無傷。余裕の笑みすら浮かべていた。
そんな中投げられたピッコロさんの言葉。
どうして?と真っ先に思った。今の状態でも劣勢なのに、あたしと悟飯が抜けたら更に状況は悪くなるだけなのに。
最近は修行をすることも減ってしまっていて、以前と同じように戦えるとは言えない。でも、それでもいないよりはマシだと思った。


「あたしたち、まだ戦え―――」


そう思ってピッコロさんの言葉に反論しようとした。
だけどあたしの身体は強い力によって引かれ、あっという間に戦場から遠のく。一瞬にして目の前にいたピッコロさんが豆粒ほどの大きさに見えた。


「悟飯!どうしてっ……」


あたしの手を引いたのは悟飯だった。
空を飛んでいるとも地面を駆けているとも言えない状態で、とにかく猛スピードでその場を移動していた。
手を振り払おうにも悟飯の力は強くてできなかった。


「ピッコロさんの言う通り、ボクたちじゃあの場にいても何の役にも立たない!」


駆けながら悟飯は言う。焦りと悲痛さが滲むような声だった。
私はそれを聞いて悔しさに眉が寄る。


「そんなの分からないじゃない!」


声を荒げて言い、地面に足を付けて踏ん張る。多少地面を抉ることになったけど何とか踏みとどまることができた。
そのままUターンするように戻ろうとするも、悟飯の手からは逃れられなかった。


「だめだよお姉ちゃん!」
「どうして!悟飯は悔しくないの!?」


今も向こうでは皆が戦っている。地球を守ろうとしてくれている。
ピッコロさん、クリリンさん、ベジータさん、ヤムチャさん、天津飯さんや餃子さんも……。
皆一生懸命戦っているのに、自分たちだけ逃げるなんて。


「悔しいに決まってるよ!!」


あたしの言葉に、今まで見たことないくらい激昂した様子の悟飯。
一瞬驚いてしまい言葉を失った。
……分かってる。本当はよく分かってる。
辛いのも悔しいのも悟飯は同じだということ。本当は悟飯だって逃げたくないことも。
あたしの実力の足りなさも。ピッコロさんやベジータさんですら敵わない相手に、自分がどう立ち向かえるのかということも。


「だけどっ、今のボクたちじゃ無駄死にするだけだ……!」
「っ………でも、それじゃ……っ」


分かっているのはそれだけじゃない。
ピッコロさんがあたしたち二人に逃げろと言った理由。勝てる可能性を少しでも残しておきたいため。
今のあたしたちはまだまだ幼い子供でしかないが、生き延びて大人になって力をつければ、今より更に成長できる。そうすれば太刀打ちできる可能性がある。
ピッコロさんはあたしたちに託してくれたんだ。
そして同時に、


「みんな、みんながっ……!」


自分たちを犠牲にしてでも今は生き延びろということなのだ。
今自分たちが戦って、片方でも倒すことができたらいいと。希望を残せると。
そういうメッセージも含んでいると思うと、震えが止まらなくなった。
もちろん信じたかった。今までのように、皆が勝ってくれると。でも、そんなに現実は甘くないのだと先程の人造人間の強さを感じて思った。打ちのめされた。
なんて、情けない。
あたしは奮える手で悟飯にしがみついた。


「耐えて、お姉ちゃん……」


悟飯も同じように抱きしめ返してくれた。
心臓の音がよく聞こえる。ドクンドクンと速い動きだけど、それはあたしを少しだけ安心させた。
不安だった。とてもとても怖かった。
こうしている間にも、ぷつん、ぷつんと……。
皆の気が一つ一つ消えていくのを感じていたから。


「あ、っ……あぁ……っ!」


そして最後の一つが消えた瞬間。
あたしの中でも何かが音を立てて崩れた気がした。
悲しくて、悔しくて、でもどうしようもできなくて、虚しくて。
気付いた時には喉を突き破るほどの悲鳴を上げて泣いていた。
悟飯もあたしと同じ気持ちだったと思う。泣いていたし、唇は強く噛み締めすぎて血も出ていた。
それでもあたしを慰めようと強く抱きしめていてくれた。背中も撫でてくれた。
あたしが覚えているのはそのあたたかい悟飯の手だけだった。
一体何時間その場で泣いていたのかは分からない。体中の水分が全て涙となって出てしまったのではないかとも思った。
それでもあたしは生きている。皆に、生かしてもらった。
辺りが暗くなってきたところで、皆の元へと戻った。
震えが止まらなかった。精神がまともでいられる自信もなかった。
だって、そこにあったのはあまりにも無残な―――――





「―――――っ!」


目が覚めると、自分がひどく汗をかいて、荒い呼吸をしていることが分かった。
ライはそっと身を起こす。辺りを見回すと殺風景な自室があった。
そして呼吸を整えながら、昔の夢を見ていたのだと気付く。


「おはよう、姉さん」


するとライが起きたことに気付いたのか、ゆっくりとドアが開き悟飯が入ってきた。
先程の夢の頃から数えると13年が経ち……23歳になりすっかりと大人になり逞しくなった悟飯。父にそっくりの優しい笑みで声をかける。
だがライはその悟飯の姿を見ると、ベッドから飛び起き悟飯に抱きついた。
悟飯は少し驚くも、右手でライの背中をゆっくりと撫でた。


「……昨日は遅くまで修行してたからもう少し寝ていた方がいいと思ったけど……起こした方が良かったみたいだね」


優しく穏やかな声音でライに囁く。そして落ち着いてベッドに座るように促した。
ライはといえば、目元に涙が滲むのを感じながら目を閉じる。


「……昔の夢を見たの。とても……とても、辛くて悲しい夢……」


ぽつりぽつりと語るライの声と弱々しく悟飯の服を握る手は微かに震えていた。
悟飯は予想通りだったのか特に驚くこともなく、ライの頭を撫でた。


「………ごめんね、姉さん」
「……どうして悟飯が謝るのよ……」


悟飯はあの時のことを話すといつも決まって謝っていた。
それがライにとっては辛く、心苦しいものだった。だが、謝る悟飯も同じ気持ちだというのも分かっていた。
あの時ライを守るために逃げた悟飯。だが、今となってはその選択は正しかったのかと疑問に思うことがある。
突然現れた圧倒的な強さを持つ人造人間。到底敵わない自分の力。ボロボロになるまで戦う仲間たち。そして……そんな仲間たちの無残な死。
それらを一度に目の当たりにして……元気ではつらつとしていたライの心は深い絶望を感じ壊れてしまった。
誰よりも人一倍仲間を大切にして、仲間の為に行動をしていたライ。
強くなるためという大義名分はあるが、そんな仲間たちを置き去りに逃げて生き延びてしまったことは事実。ライは自分を責めた。
ライの所為ではないと悟飯も何度も言うが、それは気休めにしか過ぎなかった。


「(父さん……ピッコロさん……二人なら、どんな言葉をライにかけてあげるのだろう……)」


今でもその正解は分からずにいる悟飯。きっと正解などないのだろうが……悟飯は謝ることしかできなかった。
心を壊したライはあの時から今に至るまでずっと辛そうだ。
そしてそんな風に辛そうにしているライを見ることが、悟飯にとっても辛かった。
あの時悟飯自身は生き延びる決心をした。だが、もしかしたら……。
ライにとってはあの場で皆と一緒に戦って死んでしまった方が、ずっと楽だったのかもしれない、と。
そんな悲しいことを考えてしまう。
だから、あの場からライを連れ出したことに対して悟飯は責任を感じていた。
ライを守ることができるのはもう自分しかいない。この地獄からライを救うのは自分の役目だ、と。


「謝るのは、やめて……悟飯は何も悪くない」
「……でもボクはまだ、あいつらを倒せるほど強くなれていないから」
「悟飯は十分強くなったよ……本当はあたしだって、もっともっと強くならないと……」


ライは顔を上げて、切なそうに悟飯の左腕があった場所を見つめる。
1年前の戦いで失くした悟飯の左腕。
その時もライは必死で戦った。だが力の差はまだまだあった。
悟飯が左腕を失くしたというのに、重傷とはいえ五体満足だった自分をまたライは責めた。


「………姉さん。姉さんは、もう……」


痛切そうに眉を寄せながら悟飯が何かを言おうとすると、急に背後にあったドアが大きく開いた。
驚いて二人がそちらへ視線を向けると、その先にはトランクスの姿。
ライは慌てて悟飯の影に隠れ目元の涙を拭った。


「おはようっ、悟飯さん、ライさん」
「おはようトランクス」
「おはよう……」


元気に挨拶をするトランクスに向けて、悟飯も穏やかに挨拶を返す。
ライもしっかりと微笑を作り、トランクスを見た。


「あれ?もしかして、話し中だった?」
「ううん、そんなことないから大丈夫。トランクスは今日も早起きね」


きょとんと首を傾げるトランクスだが、ライは首を横に振りながらベッドから立ち上がる。


「今日もライさんたちと修行するために、朝から特訓してて……」
「ふふっ、トランクスは本当に頼りになるわね。あたしも頑張らなきゃ」


言いながら、ライは椅子に掛けてあった道着に手を伸ばした。


「ライ……」
「じゃああたし着替えるから、ほら、二人とも出てった出てった」


まだ何か言いたそうにしていた悟飯だが、ライの笑顔にそう言われては引き下がるしかなかった。
また後でね、と言うトランクスと同じように部屋から出る。


「……トランクス、ごめんな。さっきのわざとだろ」


ドアから少し離れたところで悟飯はトランクスに向けて言った。
振り向いたトランクスは眉を寄せて、切なそうに悟飯を見上げる。


「ボクの方こそごめんなさい……」
「トランクスが謝ることはないさ。話、聞こえてたんだな」


悟飯の言う通り、トランクスは先程のライと悟飯の会話を聞いていた。
朝の特訓を終えこちらに到着し、ライに会いに行こうとしたところ偶然居合わせた。
そしてトランクス自身も辛くなるのを堪え、いつも通りを装って部屋に入ってきたのだ。
ライには気付かれていないが、勘の鋭い悟飯にはそれが演技だと気付かれてしまったようだ。


「その……邪魔するつもりはなかったんだけど……」


言い訳を言うようにトランクスは口を開く。
だがその必要はないと言いたげに悟飯は首を横に振った。


「むしろ、助かったよ。……あのままだと、姉さんにひどいことを言ってしまうところだった」


そして思い詰めるように視線を伏せて一点を見つめ続ける。


「ひどいこと……」
「ああ。姉さんがきっと一番嫌がることを、さ」


悲しそうな表情で悟飯が告げる。
その内容を、トランクスは何となく気付いていた。
マンツーマンで組手をした方が捗るから、直々に教えたいことがあるから……そんな理由を作って、悟飯がライを修行から遠ざけようとしていることを知っていたから。
きっと、悟飯はライをもう戦わせたくないのだと。それを告げようとしていたのだとトランクスは思った。
そしてそれをライが聞くととても悲しむだろうということも想像がついた。だからトランクスは二人の会話を邪魔するように登場したのだから。


「ごめんな、巻き込んで。もう一度顔洗ってくるよ」


そう言って悟飯は自分の悩みを洗い流したいかのように、トランクスに背を向けて歩き出した。
トランクスはその後姿を目で追いながら、またも悲しそうに眉を下げた。


「……ボクは、もっと巻き込んでほしいと思ってるのに……」


ぽつりと呟かれた言葉はトランクスの本音だった。
さっきだってそうだ。悟飯もそうだが、ライも自分が現れたことによって泣きたい気持ちを押し殺した。
トランクスの前では明るくしようと努めた。悟飯の前では本心を曝け出せるのに。
双子の姉弟だから仕方ないとは思いつつも、トランクスはそれが寂しくて切なかった。
自分もライの力になりたい。頼ってほしい。感情の捌け口だってなんでもいい。偽りではない本当のライに触れたかった。
赤ん坊の頃から面倒を見てくれ、自分に戦いを教えてくれた師匠二人。
二人からしたら13歳のトランクスはまだまだ子供に見えるだろう。
だが、こんな荒れ果てた世界。トランクスだって幼いままではいられない。現実を見なければならないし、大人にだって早くならないといけない。
早く大きくなって強くなって、人造人間を倒さないといけない。
それが地球を救い、もっと言えばライの心を救うことにもなると思っていた。
自分に優しく笑いかけてくれる、あのボロボロの笑みをやめさせてあげたかった。
泣きたいときは泣いて、怒りたいときは怒って、そして笑いたいときに笑って欲しい。
それがライを想う、トランクスの幼いながらも確かな恋心だった。